第39話:別荘
ダンジョンホールが招いた悲惨な結果は人々の心に暗い闇を落としていた。
それも仕方がない。
被害者数はのべ30万人に及んだ。
あの一夜だけで地方都市が3つもなくなったのだ。
家族、親族、友人、知り合い。
消えてしまった人々と関わりがない者達の方が少ないほどの被害だった。
難を逃れた者達もゴーストタウンと化した町では生活が成り立たず、故郷を離れる一家が相次いでいる。
そんな私たちもどこか逃げるように別荘へとやって来た。
都心部から車で半日。
一番近いコンビニでも30分はかかる自然に溢れた地域。
山間の別荘は街の光から切り離され、音すらも遠い。
唯一、夜空が近いくらい。
風が木々を揺らす音だけが、一定のリズムで窓を叩いていた。
室内には最低限の灯りだけが残されている。
私はソファに座り、眠れずにいた。
理由は分かっている。
――あれを見てしまったからだ。
意識がないはずなのに、何かの意識が働いたとしか、思えないあの指の動き。
回復ではない、何か別の“兆し”。
視線は自然と奥の部屋へ向かう。
扉の向こう。
まるで“そこに誰もいないみたいに”気配を感じない、凪が眠っている部屋。
「……気のせい、よね」
自分に言い聞かせるように呟く。
だが、りこだけの気配が自分自身にすら言葉として、届いていなかった。
――その時だった。
コツ。
小さな音。
木が軋むような、軽い衝撃音。
私の身体が強張る。
音は、奥の部屋からだった。
りこが起きたのだろうか…。
ゆっくりと立ち上がり、毛布が床に落ちる。
足音を殺しながら扉に近づく。
その行動が無意識に恐れている証とも気付かずに。
ノブに手をかける。
――開けるべきじゃない。
一瞬、そんな考えがよぎる。
だが、確かめなければならない。
何気ないドアノブがやけに硬く感じた。
私は、静かに扉を開けた。
軋む音が、やけに大きく響いた。
部屋の中は暗い。
カーテンの隙間から差し込む月明かりが、ベッドを薄く照らしている。
りこは寝ていた。
凪は――起きていた。
「……あ」
声が漏れる。
凪はベッドの上に座っていた。
こちらを見ている。
目が、合う。
あの夜の衝撃が凪の目を赤く見せる。
「紗夜」
いつも通りの声だった。
あまりにも、普通の。
目の色はもう見えない。
「……起きたのね」
「うん」
短い返事。
違和感は、ない。
――ないはずなのに。
私の背中を、冷たいものが伝う。
「体は……大丈夫?」
「大丈夫」
即答だった。
迷いがない。
あまりにもスムーズすぎる。
「りこは?」
「隣で寝てるでしょ」
「そう……だね」
会話は成立している。
でも、いつもの凪じゃない。
そして、少しのズレ――何かが、決定的に違う。
私は一歩、部屋に入る。
凪は視線を逸らさない。
瞬きが、少ない。
いや――ほとんど、していない。
まるで、一度も目を逸らしたくないみたいに。
「……どうしたの?」
凪が首をかしげる。
その仕草も、自然なのに。
「無理してないか、気になって……」
だが。
「紗夜の方が、変だよ」
その一言で、空気が変わった。
責めるでもなく、心配するでもなく、ただ“事実”を述べただけの声。
心に、表情に、温度がない――感情の欠落?
私の喉が、わずかに鳴る。
「……そう、かしら」
「うん」
凪は微笑んだ。
見慣れた笑顔。
――のはずだった。
だがその笑みは、口角だけが先に上がって、あとから“笑顔の形”が追いつく。
まるで、そうするべきだから、そうしたみたいに。
「ねえ、紗夜」
「……なに?」
「外、静かだね」
「ええ」
「全部、終わったの?」
一瞬、言葉に詰まる。
終わった?
何が?
どこまで?
「……まだよ」
眠れなかった頭で絞り出すように答える。
その瞬間、凪の目が、わずかに細くなった。
「そっか」
納得したように頷く。
「じゃあ、まだ"残ってるんだ"」
だがその反応は、“理解”ではなく――“確認が取れた”ようなものだった。
「よかった。ちゃんと全部、消えたわけじゃないんだ」
次の瞬間。
凪の視線が、私の肩の後ろへと滑る。
何もないはずの空間。
そこを、じっと見ている。
「……紗夜」
「なに?」
「それ、誰?」
空気が、止まった。
私は、振り返れない。
振り返ったら、“何かがいる”と認めてしまう気がした。
「……何もいないわよ」
声が、わずかに震える。
凪は少しだけ考えるように間を置いて――
「そっか」
凪は少しだけ首を傾げて――
「うん。さっきはいたのにね」
もう一度、頷いた。
「紗夜のすぐ後ろで、ずっとこっち見てたよ」
今度は、ほんの少しだけ楽しそうに。




