第33話:ブランコ
朝の事務所。窓から柔らかい光が差し込み、今日も平穏な一日の始まりを告げていた。
りこは覚束ない手つきでお皿を持ちながら、笑顔でお手伝いしている。
「なぎはおかず、おおめだって!」
「ちゃんと食べなきゃ駄目よ」
昨日の夜はあの後、歩くのもままならなくなりベッドで寝てしまった。
ご飯を食べられなかった、そんな私への社長からの配慮だ。
「お腹ペコペコだから嬉しい!」
私は頷きながら、箸を手に取る。
――でも、どこか視線が落ち着かない。
ふと、食器棚の方を見ると、ガラスに映る私の目がほんの一瞬、いつもと違う光を帯びていた。
血が滲むような、わずかな赤み。
ほんの一瞬、指先に昨夜の弓の熱が残っているような気がした。
そして、その感覚が脳裏をかすめ、手がわずかに震えた。
「……あれ?」
りこが小さくつぶやく。
私はすぐに視線を逸らす。
普段通りにお茶を口に運ぶ仕草をしているのに、手がほんのわずかに震えていた。
社長も紗夜も黒崎さんも気づかない。
でも、私にはわかった。
――微かな違和感。
私自身も、それを認めたくないらしい。
箸先をそっと動かしながら、何事もなかったかのように食卓に集中する。
「きょうはおそとにいきたい!」
りこの無邪気な声が、空気を和ませる。
私は小さく微笑む。
でも、その微笑みもどこかぎこちない。
違和感はほんの一瞬。
でも、確かにあった。
朝食後、りこと近くの公園に来ている。
少し離れたベンチには黒崎さんが護衛役で座っている。
「なぎ!ブランコのりたい!」
やっぱり小さい子はブランコが好きなんだと思う。
りこはブランコに乗ると一生懸命に漕ごうとするけど、足が届かなくて上手く漕げない。
なので私が横からゆっくりと押してあげる。
「なぎ!もっとおして!」
りこが落ちないように優しく押す。
きゃっきゃっ、と喜ぶ子供の声が公園に響く。
その時、焦点がズレて目がズキッと痛む。
片手で抑えるが目が熱い。
「なぎ、もっとおして……なぎ?」
私はりこの後ろに回り、背中を優しく押す。
たぶん今の私の目は赤くなっている。
その証拠にりこからは白い光が見える。
黒崎さんからは灰色の光。
この公園にいる人たちからもそれぞれの色が見えた。
私の目は進化している――もしくは変質しているのか……。
熱と僅かな痛みが引いていく。
りこはひとりでブランコから降りると私の服を掴む。
「なぎ、のどかわいたよ」
「そっか、私も喉渇いたからどっか行こうか」
「うん!」
私たちはベンチに座る黒崎さんの元に向かった。
彼は私たちの気配に気付くと、スマホをしまって立ち上がる。
「どうした?」
「りこと私が喉渇いたのでどこかの喫茶店にでもいきませんか」
「くろ〜、いこう!」
ここ数日でりこは黒崎さんにも慣れたみたい。
彼も子供に懐かれて、嬉しいのか優しい笑顔を浮かべる。
「りこ、肩ぐるましてやろうか?」
「かた…くるま?なに、それ」
初めて聞いたのか、りこは不思議そうな顔で私を見てくるので微笑む。
「りこ、折角だからしてもらったら?世界が変わるかもよ」
ちょっと、大袈裟かなと思ったけど、りこの瞳は輝いた。
「うん、かたくるくるして!」
私たちは顔を見合わせ、小さく笑った。
肩ぐるまが気に入ったのか、りこはわぁー、や高い高いとはしゃいでる。
その様子をすれ違う人たちは温かい目で見ていく。
なかには若い夫婦ね、なんて言うおば様方もいて、私はどこか恥ずかしい。
「そこにするか」
さっきのおば様の言葉を思い出して、ちょっとだけ妄想していた私は、不意の問い掛けに心臓が跳ねる。
「えっ、は、はい。そこでいいです」
「よし、いくぞ」
「おー!」
前に向きなおった彼の目は一瞬だけ真剣味を帯びていたが気付く者は誰もいない。
喫茶店はまだ朝ということもあって、年配の方達が多くの席を埋めていた。
年季を感じる壁や柱。
レトロな椅子が歴史を感じさせる良い雰囲気。
りこはメニューの写真を見て、唸っていた。
「二人とも好きなもの頼みな」
私たちを穏やかに見つめる目。
「りこ、決まった?」
りこは決められないのか、私を見てくる。
「なぎは?」
「私はクリームソーダ」
胸を張って答える。
すると、向かいから噛み殺す笑いが漏れた。
「いいんじゃないか」
私は頬を膨らませて、反撃に出る。
「りこ、プリンアラモード頼もっか?」
「うん?プリン?」
私のことを笑った罰として、財布にダメージを与えてやる。
私たちのテーブルにプリンアラモードがやってきた。
「わぁ、すごい……」
りこはその見た目に感動していた。
彼はブラックコーヒーを飲みながら、孫を見るように微笑む。
「なぎ、たべていいの?」
りこは崩すのが勿体ないのか、遠慮している。
「子供が遠慮なんてするな」
私はナプキンに包まれたスプーンを渡す。
恐る恐る生クリームをすくい、口に含む。
「おいしい!」
「りこ、ほっぺにクリームがついてるわよ」
おしぼりでクリームを拭っているとスマホが震える。
どうやら黒崎さんのスマホにも通知が来たようで、画面を見る目が鋭くなった。
「政府からの発表があったらしい」
何が?なんて聞く必要はない。
「三日後にここはダンジョンホールに包まれるとよ」
なぜか私は、その場所を“知っている気がした”。




