第28話:男手
前回のダンジョンホールから三日が過ぎた。
事務所の空気は、昨日黒崎さんが引っ越してきたことで少しだけ変わった。
重い銃器や装備を片付ける彼の背中は大きく、力強い。
怪力の持ち主であることが自然に伝わってくる。
「やっぱり男手があると違うわね」
社長は隣で書類を整理しながら呟いた。
「……」
紗夜は手持ち無沙汰なのか、手元の煙草をくゆらせる。
その姿は、戦場で見せる冷静さと威厳をそのままに、日常の空気にも馴染んでいる。
「勝手知ったるなんとやらよ、社長。ここでこれでいいだろ?」
黒崎は肩をすくめながら、重い銃器箱を棚に押し込む。
社長は軽く頷き、彼の背中を見守った。
私はその様子を見て、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
こうして日常の中でも、女所帯で苦労していた力仕事をしてくれる彼を見ると、安心感が自然と生まれる。
「男手があると仕事も捗るわね。でも、油断しないで」
見ているだけの紗夜が私に小さく囁く。
共に見ているだけの私は頷く。
紗夜の言葉は単なる日常のアドバイスではなく、常に戦いの意識を忘れないための警告だ。
午後の光が窓から差し込み、事務所の埃まじりの空気を黄金色に染める。
りこはソファーでお昼寝の最中。
この空間には確かに小さな安心感がある。
新しい仲間、新しい日常、そして紗夜の静かな目線。
私は、しばし胸の奥で息をついた。
しかし、そんな安息も束の間だった。
りこが目を覚まし、片付けも終わった頃。
紗夜が口を開く。
「雨宮、黒崎は見たまんまバリバリの前衛よ」
服の上からでもわかる隆起した筋肉。
重い荷物を運んでいても、微動だにしなかった体幹から予想はしていた。
「体術も一流だから、夕食までみっちりとしごいてもらいなさい」
拒否権のない提案。
「……はい」
気分は一気に重くなった。
私はりこに手を引かれて、訓練室に足を踏み入れる。
「嬢ちゃんはハンターになって、どれくらいなんだ?」
「半年です」
「まだ、駆け出しも駆け出しか」
顎に手を着いて、しばし思案する。
「よし、怪我しないように軽く揉んでやる」
私はその言葉で咄嗟に抱き締めるように胸を隠した。
「揉んでやるなんて、卑猥ね」
「ちょ!お前!俺はそんなつもりで……」
私の視線が彼を突き刺す。
「……変態ね」
黒崎さんは私と紗夜の間を何度も見る。
「へんたいって、なに?」
りこからの追撃が彼を襲う。
紗夜は久しぶりに見る悪い笑顔を一瞬だけ浮かべて、りこの両肩を手を置く。
「変態には近付いちゃ、駄目よ。酷いことされるからね」
「なぎ、ひどいことされるの?」
「違う!違う!俺は稽古をつけるだけだ!」
必死に弁明するが女所帯に来てしまった宿命だなと感じた。
訓練室の床は少し硬く、冷たい光が窓から差し込んでいた。
彼は私の前に立ち、ゆっくりと構える。
「まずは基礎からだ。ガードの位置と体重移動を確認する」
腕を前に突き出すだけで、その力の重さが伝わる。
わずかに踏み込んだだけで、床の振動まで感じる。
「はい……!」
私は声を出して構えを真似る。
彼の動きはゆっくり、でも正確で、まるで空気を押すような感覚があった。
当たらないと解っているのに怖い。
「よし、次は回避だ。攻撃は来る前に避ける。それが前衛の基本」
彼が片手を軽く振るだけで、私の体は反射的に左右に跳んだ。
――軽く跳んだだけなのに、空気の抵抗で腕や肩が痛い。
「悪くない。だが、まだ重心が高い。もっと腰を落として、足で地面を掴め」
彼の指示に従い、体を沈めて踏み込む。
すると、不思議と安定感が増す。
重い荷物も扱える理由が少しだけ分かった気がした。
「次は自分よりも大きい相手への対処だ。俺が触れる前に相手の力を受け止める」
彼がゆっくり近づいて、片腕で軽く私の肩に触れる。
力は想像以上に強く、腕を伝って体が揺れる。
「うっ……!」
思わず踏ん張るが、彼は笑わずに軽く指摘する。
「踏ん張るのはいいが、筋肉で止めようとするな。体の芯で受けろ」
体の芯――その言葉通りに意識を腰と背中に集めると、少しだけ受け止めやすくなる。
彼は頷き、次に足を軽く払う動作を示した。
「相手の重心を崩すんだ。力で押すんじゃない、流れで導く」
指先や肩で触れられるだけで、体が自然に反応する。
重さではなく“力の流れ”を感じる瞬間だった。
そのたびに、私は息を切らせ、腕も足も震えた。
だが、彼の目は優しくも厳しく、決して手を抜かない。
――これが、ただ強いだけの男じゃない、前衛の極意なのか。
私の心の奥に、少しだけ憧れと緊張が入り混じった。
「随分と教え方が上手くなったわね」
紗夜が感心したように腕を組んでいる。
「そりゃ、大手では若手の指導もしてたからな」
肩を竦める様には苦労が滲み出ていた。
「昔のあんたは狂犬みたいだったのに、牙を抜かれちゃったのね」
完全におちょくる言い方。
「相変わらず、お前は可愛気がないな」
「何?喧嘩売ってんの?」
女の子が作ったら駄目な皺が眉間に寄る。
「そういうところだよ」
二人が言い合いをしていると訓練室の扉が開く。
「夕食が出来たわよ」
社長がエプロン姿で呼びに来た。
「へんたいもいこ!」
りこの言葉に黒崎は膝から崩れ落ちた。
私よりも早く、彼に膝を着かせるなんて……。
りこ……恐ろしい子。




