第26話:バー
紗夜の誘いで来たのは高級ホテルのバー。
BGMにジャズが静かに流れる品の良い空間。
薄暗い照明が大人の世界を演出していた。
紗夜は自然に左から4番目のカウンター席に座る。
まるでそこが彼女の指定席のようだった。
俺はひとつだけ席を空けて座る。
「いらっしゃいませ」
白髪の髪を綺麗に固め、清潔感のある身だしなみ。
マスターは俺達の正面に立つと朗らかに微笑む。
「久しぶりですね。紗夜さん、真司さん」
マスターの視線は一瞬だけ、俺達の間の席に向かった。
紗夜はマスターに微笑む。
「コープスリバイバーを」
紗夜が頼んだコープスリバイバーには“死んでもあなたと”の意味が込められているカクテル言葉。
俺はその言葉の裏に、亡き恋人との記憶、そして復讐とも取れる強い決意を感じた。
注文を受けたマスターは軽やかにシェイカーを振る。
その小気味良い音を聞きながら、紗夜は煙草に火を着けた。
足を組んで煙草をふかす彼女は窓の外に広がる夜景と一体化し、絵画のようだった。
「アクダクトを」
俺は今の気分で、"時の流れに身を任せて"を頼んだ。
綺麗に磨かれたグラスに柑橘系の黄色が映える。
「お二人が一緒なんて久しぶりですね、私も一杯貰ってもよろしいですか」
俺達は無言で頷いた。
マスターが作ったカクテルはギムレット。
"遠い人を想う"
そのカクテルを空席に置く。
紗夜の亡くなった恋人――そして、俺の元相棒を悼むカクテルだ。
「ありがと、マスター」
「どう致しまして」
俺達は三人でグラスを掲げた。
紗夜はグラスの縁を指でなぞりながら、記憶を呼び覚ます。
ここはかつて、自分の恋人とその元相棒の黒崎、三人で通っていたバー。
とはいえ、頻繁に来ていたわけではない。
報酬が良かった時だけ。
彼が連れてきてくれた、特別な場所だ。
懐かしみ、静かな時間が流れる。
「あの男のこと、何処まで調べたの」
本題よりも遠い思い出が勝り、その表情は儚い。
「大したことはまだ分かってないさ」
「話して……」
俺は喋りやすくするように、グラスの半分を空ける。
「あいつは第三研究所の主任」
紗夜はマスターからサービスのチョコを口に含む。
口の中に広がる甘さが重さを和らげる。
「そこでシェイプシフターについて研究しているらしい」
紗夜は口の中のチョコを噛み砕く。
「今回、ダンジョンホールに同行したのは嬢ちゃんの目が目的だ」
灰皿に置かれた煙草の灰が落ちる。
「どこで知ったのかしら」
「お前らが提出した戦闘データだろ」
「そうね」
カクテルのアルコールで感情の鍵が次第に緩くなっていく。
「それで私たちの戦闘データを買い取ろうとしたのね」
「ああ」
紗夜は飲み干すとグラスをマスターに向けて、押し出す。
「マスター、コープスリバイバーをもう一杯」
「おいおい、そんなに飲んで大丈夫か?」
「これくらい、まだ大丈夫よ」
紗夜は妖艶に微笑む。
マスターはすでに退避……、他の客の相手をしている。
俺は助け舟を期待する目でマスターを見たが苦笑いで流された。
「そんなに心配して、酔った私に何かするつもりなの?」
そんな命知らずな奴がいるなら、見てみたいというのが本音だ。
「言っとくけど、変なことしようとしたら……」
紗夜は懐に忍ばせる銃に触れる。
「この銃であんたの頭、撃ち抜くから」
「……勘弁してくれよ」
俺の引き攣った顔に満足したのか、紗夜は煙草を咥えなおす。
その銘柄は元相棒と同じ。
煙草を見て、口をつきそうになるが押し止まる。
どれだけ引き摺ってやがる。
「その男は凪の目について、どこまで掴んでたの」
「正確には解らないがあの目を標本にでもしたそうだったな」
「……下衆が!」
マスターが紗夜にチェイサーを差し出す。
「この件だが、顔見知りの奴らにも聞いておく」
「あんたは凪の目について、どれだけ知ってるの」
俺はグラスを空けてから、口を開いた。
「弱点を見破る目だと噂だ」
「そう」
何か考えてるのか、カウンターの奥を見つめながら呟く。
「ついでにあんたの知り合いに伝えといてくれる」
その目は暗く静かでとても綺麗だった。
「私の家族に手を出したら、タダじゃおかないって」
紗夜の言葉に喉がやけに乾いた。
「あんたも、あんたの知り合いも……」
「……わかった。馬鹿な真似はするなと伝えておく」
「マスター、彼にブラックベルベットを」
用はそれだけと視線を外し、紗夜はコープスリバイバーのグラスを傾ける。
ブラックベルベット、そのカクテル言葉は
――"忘れないで"。
マスターがシェイカーを軽快に振る音が響く。
紗夜の本気を感じた。
喉の渇きが、まだ消えない。




