そういって彼女は微笑った
ベルーナが見たのは倒れ臥した銀狼の亡骸から伸びる植物の根のようなものであった。
銀の毛並みを突き破ったそれは勢いもそのままにベルーナの脇腹に風穴を開け、その華奢な体躯を貫通している。
かひゅっと口から我知らず空気が吐き出されるのと同時に胃の中に溜まった赤黒い血が漏れ出て泉の清廉な水を汚した。
「ベルーナッ!!」
「一体、何、が……」
勝利の歓喜の中で起こった惨劇に風精霊は悲鳴を上げながらベルーナへと駆け寄る。瞠目するベルーナは周りへと目を向ける。そこにあったのはともに戦い勝利を勝ち取ったはずの仲間達が蔓に貫かれている光景だった。そしてベルーナの問いに答えるかのように銀狼の体躯が裂け、中からゆっくりと体をもたげたのはドライアドのような植物の魔物。
植物の魔物は赤い双眸でぎょろりとその惨事に目を遣ると薄く笑い、ガラスを引っ掻いたような耳障りな叫びを上げる。
その瞬間体から何かを失うような感覚を覚えてベルーナはよろめいた。
「これは……」
その時、ベルーナは全てを理解した。体を貫いたままの蔓はどくりどくりと不気味に脈動する。
魔力だ。この魔物は魔力を吸っているのだ。
――『マナ喰い』。
そう呼ばれる植物がある。誘因効果のある蜜を持ち、誘き寄せた生物を捕らえてその魔力を吸い取ることで成長するのだ。しかし元々はそれほど脅威度の高いものではない。
おそらくこれはその変異体。他の生物に寄生することが出来るようになった『マナ喰い』なのだろう。
先程から魔力の消費が大きかったことに対して極度の緊張状態からくるものだと考えいたがそれは違う。 『マナ喰い』がサーヴァントの霧を媒介として魔力の吸収を行っていたのだ。
ベルーナの考えが正しければ寄生した生物を操る能力さえ持っている。サーヴァントは本来群れで組織的に行動し、竜族を陥れるほどに頭がいい。そのサーヴァントが配下を連れることもなく単独で、しかも慎重であったというよりは能力を頼みとしたものだった。
「あ、ぐ、ぅぐううぅぅ」
苦悶の声を上げたのはベルーナではない。横でベルーナの心配をしていた風精霊だ。
ここでベルーナは気付いた。ベルーナと風精霊は精霊石を通してリンクで繋がっている。そして魔力を構成する魔素たるマナをマナ喰いは吸い取っている。
通常の生物なら魔力を吸い取られることで魔力の欠乏状態に陥って力を奪われ、体の自由が利かなくなるだろう。しかし精霊はどうか。精霊とはマナで構成された特殊な生物だ。それがマナを奪われるということは……。
「存在の、消滅……」
ベルーナの頬を冷や汗が伝った。このままではかけがえのない友を、子供の頃から共に歩んできた。無二の親友を死なせてしまう。
「ああぁぁぁぁああ!!」
魔力の欠如に鈍くなる体を無理に動かして蔓に対して剣を振るう。それは蔓を浅く切り裂き、数度目の振り下ろしによってやっと断ち切ることが出来た。
ベルーナは駆けだす。最早精霊魔法士以外の仲間達は意識を失っている。サーヴァントとの争いでの負傷が響いているのだ。貫いた蔓から炎を使った双子の片割れと水晶の槍を放った少女がベルーナ同様に拘束を抜け出した。
――早くしなければ間に合わなくなる!!
強引にマナを失ったことによる崩壊の苦しみに喘ぐ精霊達の声に焦燥を抱きながらもベルーナは駆ける。
『マナ喰い』さえ倒せれば、この窮地を脱することが出来る。
三人の精霊魔法士が斬りかかる。精霊魔法は使えない。精霊達への負担が余りにも大きすぎる。
「……カ、ハッ」
しかしその攻撃は無情にも届かない。地面より現れた巨大な根が三人の体を貫いたからだ。そこからまた 大量の魔力が吸い取られた。ベルーナの意識は朦朧とし、視界さえも揺らいで見える。
体は地面に叩きつけられ、新たに這い寄った蔓がベルーナの体を雁字搦めにする。
既に勝敗は決まっていた。ベルーナの弱った体はこの拘束を引き剝がす術を持たない。
抵抗を止めたベルーナ達を見て、『マナ喰い』は魔力の吸収に集中し始めたようだ。
「べ、ベルーナっ」
「ごめん。私、もうダメみたい」
臥したベルーナはそう言って苦悶を浮かべながら覗き込む風精霊に声を掛けた。その表情は自分だって苦しいはずなのに優しげな雰囲気を崩さない。体から溢れる血は止まらず流れ続けている。
「嘘だっ!!こんなの!!こんな終わり方あんまりなのだよ!!」
風精霊は叫ぶ。
こんなに心優しい少女が、未来ある少女が、果てるのか、こんな場所で。
運命のなんと残酷な事か。世界のなんと非情な事か。
風精霊の中に生まれた昏い感情がじくじくとその身を蝕む。
精霊は世界そのものだ。世界の善性なのだ。故にその世界に対する拒絶はマナの強引な奪取によって傷ついた風精霊の崩壊を早めた。
しかしそんなことはどうでもいい。
ベルーナを、仲間を純粋に守ろうとした者達をこんな目に合せた世界が唯々憎い。
「そんな顔しないで」
ベルーナの手が風精霊の頬を撫でた。否、そう感じただけだ。魔力体である精霊の体に触れるはずもない。
しかし風精霊にはその手のぬくもりが確かに感じられたように思えたのだ。
「あのね。ずっと考えてたの」
「何を……」
「あなたの名前」
「な、でもそれは」
精霊族の名前は世界樹の精霊たる精霊王が付けることになっている。そもそもなぜいまそんな話をするのか。
「うん。知ってる。でも渾名みたいな名前くらいあってもいいと思わない?」
「こんな時に一体……」
「少し前に月の女神様と話したこと覚えてる?ここじゃない世界の話。その世界のいろいろな物語」
風精霊の言葉に返事をすることなくベルーナは朗々と言葉を重ねる。そんなベルーナの様子に風精霊は戸惑ったままだ。
「私ね。ハッピーエンドが好き。どんな絶望的な状況でも最後に神様が出てきてすべて解決してめでたしめでたしってやつ。きっとそんなうまい話はないってみんなはいうだろうけどでもね。私はそんな話が好きなの」
「どうして今そんなこと!!」
「だからよ。私の最後は哀しい最後かもしれない。でもね。いつかそんな風に悲しい結末を迎える人がいなくなってくれればいいと思うの。だからあなたは悲しみに暮れる人々を嘘みたいな魔法で幸せにしてあげて?」
風精霊は思う。そんなことを言ってほしいわけじゃない。お別れみたいな言葉なんて嫌だ。
風精霊の望みは難しいものではない。ただ隣にいて欲しいだけだ。
隣にいて優しく微笑んでくれるだけで構わない。
それが叶わないのならばせめて一緒に。
「それはだめ」
風精霊の心を察したようにベルーナがその言葉を口にするのを止める。その瞬間ベルーナの魔力が最後の輝きを見せるように風精霊に逆流した。
風精霊にも分かった。この魔力はベルーナが生命力を削ってまで風精霊に受け渡したものだと。
そして唐突に、本当に唐突にお互いのリンクが途切れる。精霊石を傷つけ強制的にリンクを破壊したのだ。
温かいベルーナの魔力が流れ込む中、ベルーナ自身の生命力が消えていく。
いままでいつも近くにあったものが喪失していく痛みに風精霊は慟哭した。
「だから、だから微笑って?あなたの名は――」
風精霊は必死に喪失した何かを掴もうとベルーナに手を伸ばす。
しかし触れられない。何も掴むことが出来ない。
いままでこんなに何かに触れたいと思ったことがあっただろうか。
触れたい。触れたい。触れたい。
せめて最後にベルーナの頭を撫でてやりたい。
よくやったよと。ありがとうと。
しかしそんな簡単なことですら叶わない。
涙ですらこの体では出てこない。こんなに悲しいのに。こんなに愛しいのに。
どうして、どうして……
その時、森の中から怒号にも似た無数の声が上がった。
見遣れば数十の森人や妖精達。その先頭に立つのは巨大な槌を手に持つ小柄な土人の少女。少女は悲痛に顔を歪めながらも後ろに続く者達に号令をかける。
それを合図に一斉に森人達が『マナ喰い』飛び掛かった。土人の少女も戦闘を切って駆けていく。
後続部隊だ。ベルーナ達の戦闘の跡を追ってここまで辿り着いたのだろう。
けれどもそんな剣戟の中、一人取り残された風精霊は穏やかな表情の少女を見つめながら、その場にずっと座り込んだままだった――。
「――面を上げよ」
風精霊は毅然とした様子で顔を上げる。豪奢な絨毯が敷かれ、その先にはこれまた豪奢な椅子に座る流れるような金髪の少女。その横にはツインテールの小柄な土人の少女と妖艶な雰囲気を醸し出す妙齢の美女が並んでいた。
それは荘厳な絡み合う連理の世界樹の御許、その虚の中。
椅子に座すのは世界樹の精霊、精霊王である。
風精霊は力を取り戻した精霊王から名付けの儀式を受けているところであった。
あの銀狼の眷属とマナ喰いによって引き起こされた事件より数十年、世界樹は力を取り戻し、精霊王も無事顕現できるほどとなったのだ。あの後例のマナ喰いの変異種と同様の存在が幾つも確認された。世界樹が世界の再生の折に使った魔力により変質を起こし、進化を続けていたらしい。世界樹の根に取り付いていたものもいたほどだ。世界樹の回復の遅れはそれに起因していたところもあるらしい。
それが判明したのちは大規模な掃討が行われ、種族総出でのマナ喰いの駆除となった。
しかし回復の一番大きな助けとなったのは現在精霊王の横に佇む妙齢の美女の存在である。
星獣にして癒しの乙女、名をシュルマといった。
創造神より自由に生きる事を許された彼女は星海より降り、世界樹の回復を助けながら客分としてセントラルに住まっていたのだ。
そんな紆余曲折を経ながら現在の名付けの儀に相成る。
「名を与える。汝が名は……」
「御待ち下さい。精霊王様」
風精霊は精霊王の言葉を遮る。普通なら不敬極まりない行為である。しかし風精霊は固い決意を込めてその言葉を遮った。
「ふむ。言いたいことがあるか。申してみよ」
風精霊は緊張した面持ちで言葉を発したが精霊王は鷹揚に続きを促した。
「願い事が二つ御座います」
「ほう、願い事とな。面白い。申せ」
「はっ!一つはこの身が精霊を辞することを御許可願いたく」
「む?精霊を辞するとは……それは何かの謎掛けか?」
突然の真意の解からぬ発言に流石の精霊王も困惑する。風精霊はゆっくりと首を横に振った。
「それはー私から説明するよー」
間延びした声でそこに割って入ったのは土人の少女。彼女こそは創造神と共にこの世界を作り上げし、一柱。鍛冶の女神、創造神が他の世界創造のために世界を発った時、この世界に残ることを決めた女神、エルト・ダウ・アルカーシャであった。
あの日ベルーナの隊は全滅した。己だけでは何も出来ぬ六人の精霊を除いて。
隊員達は皆サーヴァントとの決戦の傷が深くマナ喰いに襲われた時には既に息絶えていた。精霊魔法士もマナ喰いにより受けた負傷と魔力を吸収されたことによる衰弱で結局助からなかった。
あの後、エルトは風精霊以外の消えかかった精霊達の精霊石を砕き、一つに繋ぎ合わせてベルーナの魔力によって安定状態にあった風精霊を使って相互のリンクを纏め上げ、応急処置的に魔力のリンクの循環機構を形成した。そのことによって精霊達は安定状態を取り戻したのである。
その手腕はまさに神業で鍛冶神というに相応しいものだった。
「この子達がねー。体が欲しいっていうんだー。大切なものを守れるようにー」
「大切なもの……マナ喰いの一件か。しかしそんなことが可能なのか?」
エルトはゆったりとした口調で続ける。精霊王はその言葉でマナ喰いの事件を思い出し、神妙な顔つきをしながらエルトに問う。
「理論上はねー。でもその為に世界樹の枝を少し分けて欲しいかなーなんて」
エルトはおどけた様にいうが精霊王に世界樹の枝を分けろというのは身体の一部を寄越せと言うのと同義である。体が欲しいとは言ったがその材料まで聞いていなかった風精霊はぎょっとしてエルトと精霊王を交互に見つめた。
「むむ……。しかし力衰え、統治を怠った故に出た犠牲でもあるか……。まあ枝くらいなら今の妾ならすぐに生えてこようもの。仕方ない」
「ありがとー」
エルトはにこやかに精霊王に礼を述べる。風精霊の方は気が気でなかったのだがエルトのウインクで諦めた様に溜息を吐いた。
「して、精霊を辞するとはどういうことか」
「それがねー。もし体を彼女達に与えちゃうとこれまでにない種族になっちゃうんだよねー」
「な!それは!」
「ソロモン君も人間を生み出してこの世界を出て行っちゃったでしょー?正直性急な方法だとこれしかないんだよねー」
創造神に対して君付けもいかがなものかと思う精霊王であったが新種族の創造という大事の前ではそれも霞んで見える。精霊王はエルトと風精霊そっちのけで話をした後、深い溜息を吐きながら風精霊達が精霊を辞するということを認めた。
「して、もう一つの願いとは何か」
精霊王は疲れた様に風精霊に問う。その顔には先程の件だけでもうお腹いっぱいであるというのがありありと見て取れた。
「はっ!重ね重ね無礼を承知で申し上げます。実は私には友に貰った名がすでにあります。それを名乗る許可を頂きたく」
「ほう。友とは件の……」
「はい。光鈴の森のベアトリクセン氏族の娘。名をベルーナ・ルスベル・ベアトリクセンと言います」
「ふむ。よい。その名、申してみよ」
先程の話とは打って変わって精霊王はどこか面白そうに風精霊に問う。
風精霊は暫し瞑目し、あの日の事を思い出す。
『――私ね。ハッピーエンドが好き。どんな絶望的な状況でも最後に神様が出てきてすべて解決してめでたしめでたしってやつ。きっとそんなうまい話はないってみんなはいうだろうけどでもね。私はそんな話が好きなの』
――君がそう望むなら
『――私の最後は哀しい最後かもしれない。でもね。いつかそんな風に悲しい結末を迎える人がいなくなってくれればいいと思うの。だからあなたは悲しみに暮れる人々を嘘みたいな魔法で幸せにしてあげて?』
――君がそう願うなら
『だから、だから微笑って?あなたの名は――』
「――私の名は『マキナ』。マナの森に生まれし、誇り高きベルーナが友」
マキナは真っ直ぐに精霊王の瞳を見つめながらそう言い切った。
精霊王はその眼差しをしっかりと受け止め、にっと口元を綻ばせた。
「――ふむ。良き名かな。その名を名乗ることを許そう。今日より汝の名はマキナ・マナ・ディアベルとする」
謁見の間に精霊王の声が響く。
――変えてみせよう。不幸な結末を。不条理な最期を。
『あなたの名はマキナ。幸せな結末を導くもの。そして私の誰より大切な友達――』
――そういって、そういって彼女は微笑ったのだから。




