仮面の素顔
「――おやおや、残り二人ですよ?もう少し頑張って頂かないと」
「厄介な!!」
「このっ!しつこい!!」
能面のような印象の薄い顔の男、ウィルキエルは獣の腕を振るいながら感情も感じさせないような声で言う。それに対しているのはよれよれのスーツを着た裏町のなんでも屋レッド・バクストンだ。バクストンはどういう原理かその腕が振るわれる寸前に煙の様に姿を消し、或いは現れてウィルキエルに剣で攻撃を仕掛けていた。その周りには円盤のような魔法具が飛び回り、その攻撃を援護する。
しかし精霊島が沈んだ今、神出鬼没に現出を繰り返すバクストンでも宙を飛べない以上はその行動を明らかに制限されていた。それとは裏腹にウィルキエルの方は背中から生えているのは左右非対称な生物同士を混ぜ合わせたような悍ましい翼。さらには体の至る所から生物のなりそこないのような異形が生み出される。
その異形達はウィルキエルを離れ、鋼鉄の翼を持つ天馬に乗った騎士とその後ろで気を失ったメルクーアを抱きながらレイピアを操るサリアを襲っていた。
空を飛ぶ鳥のような異形や魚のような異形が四方八方、それどころか上からも下からも攻撃を仕掛けており、サリアの方もそれに対応することで手一杯だ。
メルクーアが無事であったのならまだある程度の余裕はあっただろう。しかしメルクーアは先の精霊島の崩壊の折、隙を突かれてウィルキエルによって昏倒させられていた。そうなれば必然的にメルクーアを放っておくわけにもいかず、サリアはメルクーアを庇いながら戦闘することとなり、バクストンはウィルキエルと単独で戦うこととなったのである。
一時的とはいえS級冒険者であるタイラントと相対して無事に逃げ延びている存在だ。そうである以上、タイラントよりも武力において大きく劣るバクストンが苦戦を強いられるのは当然の事といえた。むしろ今の状態はかなり善戦をしていると言って良いだろう。
――しかし人間ではないのは分かっていたがこいつ本当に生物か?
バクストンは手に持った剣をウィルキエルの胸に差し込みながら考える。この一撃と同様に致命傷となる攻撃は幾度も与えている。しかしそれなのに全く手ごたえがないのだ。
最初はバクストンも相手を行動不能にして尋問を行おうとしていた。しかしそれが無理だと悟ったのは戦闘が始まって間もなくである。バクストンはウィルキエルを戦闘不能に陥らせるために長剣に毒を仕込んでいた。象ほどの巨体を持つ魔物でも掠り傷程度で卒倒させる効果を持った毒だ。けれどその毒がウィルキエルを侵すことは出来なかった。毒が効いた様子が一切ないのだ。
まるで柳に風とウィルキエルは反撃を行ってくる。バクストンも裏の仕事を請け負っている以上、生き物の殺し方、いや壊し方というべき事柄については理解しているつもりだ。だがその一切がウィルキエルには通じない。血さえ流す様子もないのである。最早、生命の理の外にあるのではないかという想像さえ頭を過る始末だ。
むしろまとめて全て吹き飛ばすか?そんな不穏な考えが浮かぶが至近距離にサリアやメルクーアがいる状態ではそれも叶わなかった。それ以前にウィルキエル相手ではそれが効果的かどうかすら怪しい。
そんな事を考えていたためか、バクストンの差し込んだ長剣をウィルキエルの胸元から伸びた蜘蛛の糸に縋りつくような無数の亡者の腕がそれを絡めとった。緊迫した遣り取りの中の一瞬の油断。そもそも奇襲による一撃必殺を旨とするバクストンの戦闘方法を考えれば戦闘が長引くのは不利となる行為であった。しかしそれも言い訳にはならない。
「ちいぃ!!」
即座に腕を長剣から離したバクストンであったがそれは既に手遅れであった。ウィルキエルの胸から伸びた亡者の腕は悍ましい人のような体躯を形作り怨嗟の声と共にバクストンの体を抱きとめたのだ。バクストンは再び消失を行ってそれを逃れようとするがそれもまた後手。ウィルキエルの体から飛び出した数え切れないほどの棘が宙を舞っていた魔法具を破壊する。
「しまっ――!」
「貴方のその魔法、影を使ったものですね?残念でした。地上ならばまだそれなりに手段はあったのかもしれませんが……。まあここは湖上。仕方ないでしょう」
正解だった。バクストンが使っていたのは印をつけた対象の影に転移する魔法。陸上ならともかく水上では使い勝手の悪い事この上ない魔法だ。しかし日が落ち、夜となったならばそれは強力無比な魔法であった。けれどそれを嘲笑うかの様に日はまだその身を地平線に残している。何の影もない広大な湖の上という状況も更にバクストンを不利にしたことは否めない。
精霊島が崩壊し、足場を失った時点でこの未来は半ば確定していたのだ。
絡みついた亡者たちの腕がバクストンを冥府へと誘わんときつくその身を締め上げる。全身の骨が軋みを上げ、肋骨が肺を喰い破るのをバクストンは感じた。口からは行き場を失くした血液が溢れ出る。
「レディアスっ!!」
魔物に囲まれたサリアの怒声が響く。レッド・バクストンという偽りの名を呼ぶことも忘れている。しかし迷いも一瞬に鋼の騎士を奮い立たせ、メルクーアを抱きながら自らも剣を振るいサリアはバクストンの元に駆ける。
サリアのそんな様子にバクストンは死が間近まで迫ってきているにも拘らず苦笑を浮かべた。思慮深い性格のメルクーアと違って直情的なサリアはいつも自分の感情に従って行動する。それがたとえ己の身を危険に晒すと分かっていてもだ。
バクストンはサリアのこの性質を厄介なものだと思うと同時に好ましくも思っていた。いつも淑女を志して貞淑を装っている彼女もこうなればもう誰にも止められない。まるで猪のようだ、といったのは誰だったか。まさに的を射ている。
「おや、御仲間が死ににいらっしゃったようですよ?」
「かはっ……くはは、あいつが、そんなタマかよ!あいつは勇者の妹だぞ?そんな簡単に死ぬわけないだろう?」
バクストンは痛みに口元を歪めながら笑う。その目に宿るのは信頼。その視界の端でサリアは鎧袖一触に魔物を斬り裂きながら進む。鋼鉄の騎士に幾多の魔物が喰いつき、鎧に傷が走り、剣の刃は零れ、小さな罅が入った。それでも騎士は尚も背に乗せた主を庇いながら突き進む。
「勇者?……く、ふ、ははは。なるほど。それで……。いやこれは……なかなかどうして世界は狭い。貴方の最初の問い掛けはそういう事でしたか。なぜ貴方がズリエルを知っているかと思えば。身内!あの堕ちた勇者、アナスタシア・グラム・フィルガーデンの身内とは!」
ここにきて初めてウィルキエルの表情が変わった。能面のような仮面が崩れ、露わになったのは醜悪な心が滲み出たような禍々しい素顔。鳥肌の立ち、体が生理的にそれを受け入れるのを拒み、無性に不安に駆られるようなそんな何か。
ウィルキエルの様子にバクストンの体が強張る。何かとんでもない間違いを犯したようなそんな気にさせられるそれはそんな笑みだった。
「今、ズリエルは故国に帰っていますよ。人々の救済のために。アレを救済と呼ぶかどうかは分かりませんがね。まあここで死ぬ貴方には関係のない話でしょう。」
そういうとウィルキエルは懐からナイフを取り出し、自分の手首を斬りつける。するとそこからどす黒い液体が溢れた。それはウィルキエルの手のひらを伝って指先から湖へと落ち、湖面へと溶けていく。
その瞬間にぞわりとした怖気がバクストンの背筋を走った。あれはいけない。あれは悍ましいものだと頭が全力で警鐘を鳴らしている。
黒い液体の落ちた水面はぼこぼこと泡を立て、水からヘドロのような粘質な物体へと変わろうとしている。
「おや、あちらも限界のようですよ?」
ウィルキエルの言葉にバクストンが振り向くと全身に罅の入った鋼鉄の騎士がバクストンまであと一歩というところで魔物の足止めを喰らっていた。
「サリア!下がれ!『騎士』が持たない!巻き込まれるぞ!俺を置いて逃げろ!」
「そんなこと出来るわけないでしょう!!『騎士』!投げなさい!!」
何かわからない不吉な予感にサリアを制止しようとしたバクストンだったが当のサリアはそれを意に介さない。それどころかサリアは罅割れた『騎士』に命じて自身をバクストンに向かって投擲させた。
放物線を描いてメルクーアを抱いたサリアがバクストンの元へと飛んでくる。その後方では『騎士』が魔物の波に飲まれて光の粒子となって霧散した。
「届けぇぇぇぇええ!!」
「おや、成程。そちらを選びますか」
サリアがバクストンへと手を伸ばし、その手がバクストンに触れた瞬間、ウィルキエルの言葉と共に湖面に蠢いていたヘドロのような物体が形を成し、バクストンとサリア、そしてメルクーアの三人をバクリと呑み込んだのだった。




