原初の魔物
『精霊島』はエルミナス湖に浮かぶ無人の小島だ。アルカスにおいて聖域として認定されている。
この場所の由来は遥か昔、現在水中迷宮と化している神を現世に顕現せしめようとした反逆の塔が出来るよりもさらに前の時代、人類が生まれる前、世界の黎明期にまで遡る。
その時代、エルミナス湖があった場所は平原であった。そこに世界最古の魔物が出現した。
『原初の魔物』と呼ばれる類の魔物だ。『原初の魔物』は総じて巨大な体躯と膨大な魔力を持つ。平原に現れた『原初の魔物』、メルビレイと名付けられたその魔物はその膨大な力を使って雲を呼び、嵐を巻き起こした。
その事に気が付いた神々は二匹の竜を遣わした。黒竜王ガイアスと白竜王ウェキラである。一匹の原初の魔物と二匹の神竜の戦いは凄まじく、その争いは七日七夜にも及ぶこととなる。
三匹の攻防は雲を割り、大地を穿ち、地形を変えた。その際に出来たのがエルミナス湖である。
そして八日目の朝、黒竜王と白竜王は傷つきながらも原初の魔物メルビレイを打ち倒した。しかしその存在を完全に滅することは能わず、精霊の力を借りてその存在を封印した。
それが今日の『精霊島』である。
クロノは忘却の彼方にあった知識を掘り起こす。
これは『ワールドクロニクル』で行われたイベントに関する情報の一部だ。
レイドボスは大きく分けて二種類の分類が出来る。一つが『突然変異型』。何らかの要因を以って既存のモンスターが突然変異を起こし、強大な力を獲得したパターン。この何らかの要因については魔王討伐のメインシナリオとは別にイベントを通した長大なシナリオとして謎となっていた部分だ。この突然変異型については変異した魔石――黒結晶と呼ばれるもの――がそのキーとなっていた。しかしいまはこのことは放っておこう。
問題はもう一つのパターン。『原初の魔物型』である。
世界の黎明期に出現したという魔物群。黎明期に神々と竜族の王によって封印されたそれらは例外なく強力で、一匹で天災を起こせるほどの力を持つ。封印されていたことによって弱体化した状態で、である。レイドボス級、ステータス十万台とはそれほどの存在だ。
クロノ達もダリアの恩恵によってその力を持っているのだが持て余しているのが現状である。何せこの力を本気で使えば都市を崩壊させるほどの力があるのだ。軽々と本気を出すことは出来るはずもないだろう。ミスタンにおいて『決闘の腕輪』を手に入れることが出来たのは本当に幸運であったと言わざるを得ない。
『原初の魔物型』のレイドボスについて五百年前のプレイヤー達の活躍は一切歴史書に反映されていなかった。
封印を解かれ、プレイヤー達に討伐されたはずの『原初の魔物型』のレイドボスが出現さえしていなかったことになっている。『突然変異型』のレイドボスは歴史書にその記録を見ることが出来たのにだ。
そしてそれを打ち倒したのは例外なく『英雄』と呼ばれる存在。しかし同様に歴史書にはその『英雄』について一切の言及がない。どんな人物だったのかどんな種族だったのか。名前、来歴、容姿の描写、どんな武器を使ったのか、どんな魔法を使ったのか。それらが全く記述されていないのだ。
まるで『英雄』という言葉が独り歩きしているように。
この世界の歴史は何かがおかしい。そこにこの世界が『ワールドクロニクル』の世界と酷似している理由、クロノがこの世界に呼び出された理由と繋がってくるのかもしれない。
話が逸れた。
とにかく『原初の魔物型』のレイドボスの封印が解かれていないということはそれ程の力を持った存在がまだエルミナス湖に眠っていることになる。
これが今回の件と無関係とはどうしてもクロノには思えなかった。
恐らく奴らの狙いは原初の魔物、『黎明の水禍メルビレイ』の復活だ。
これが『ワールドクロニクル』の世界の設定そのままであったならレイドボス出現時にはセントラル王国の妖精女王の加護を得た魔法具によってレイドボスを結界の中に隔離することが出来た。綺麗な花の咲く『妖精郷』と呼ばれる隔離空間にレイドボスを閉じ込めることが出来たのである。勝利演出でその綺麗な花々から花びらの翼を持った鳥達が飛び立ち、舞う姿をクロノは幻視する。
しかしいまそんな便利な魔法具はない。つまり封印が解除された場合、このエルミナス湖に原初の魔物は顕現する。その被害は計り知れないだろう。確実にアルカヴィルシオは滅亡する。
その前に封印を解くための何かしらの鍵となっているであろうベールを救出し、封印の解除を止めなくてはならない――。
――ぶわりと島を覆うように咲く水仙の花を波打たせながらクロノ達は精霊島に着地する。
精霊島は島というには小さく、野球場四つ分ほどの平坦なものだ。風に揺れる水仙以外は何もなく、その姿は確かに叙情的なものではあるものの、ここに原初の魔物が封印されているとは思えないほど殺風景でもあった。
ただその場に満ちる空気は酷く澄んでここが聖域であると無条件に思わされるものである。
「おや、S級ではありませんね?」
「あらぁ?貴方は……」
降り立った大地に向かい合って立つ影が二つ。
ベールを攫った能面の紳士然とした男。そしてクロノが倒したハナエルと一緒にいた天使族の女――ハマリエル――だ。
クロノは水仙の咲く島を見渡すもののベールの姿を見つけることは出来ない。
「ベールを何処へやった」
クロノは湧き上がる怒りの感情を押さえつけながら問う。ルトナはクロノの腕の中から出て、剣を構え、アルレシャは障壁を展開した。
「アハハハハハ!こんなところで会うなんて奇遇ねぇ!運命を感じちゃうわぁ!」
「おや、ハマリエルのお知り合いでしたか。どうも初めまして」
そんなクロノ達の様子をきにすることもなくハマリエルは陽気に笑む。能面の男の方は感情の籠もらない声で軽くお辞儀をした。
「やはりお前達『矛盾の黄昏』の仕業なんだな」
「おや、そこまで御存知とは恐縮ですね」
クロノの呻るような声に能面の男はあくまで平坦な声音で返す。
だめだ。やはりこいつらとは話が通じない。
『ワールドクロニクル』の情報が正しいとすればここには精霊の守護がある。この島の清浄な空気も精霊の守護の健在を証明するもののようにクロノには思えた。
しかしそれでもクロノの心からは一抹の不安が消えることはなかった。
この場にベールがいないことが殊更に不安を掻き立てる。
そしてなにより『矛盾の黄昏』がこの場にいる時点で安心など出来ようはずもない。
「お前達はベールに何をした!いやベールに何をさせようとしているんだッ!!」
ついに堪えきれなくなったクロノが声を荒げて叫んだ。
「アハハハハハ!何をさせようとしているかですってぇ?実際見た方が早いんじゃないかしらぁ。ほらぁ、そろそろ――」
ハマリエルの言葉の途中で『矛盾の黄昏』の二人が立つ後ろ側、何もない空間自体が大きく捩れ、歪み、そしてに耐えきれなくなったのか甲高い嫌な音を立てて罅割れた。
硝子でも弾けたかのように二重になった空間の欠片が剥がれ落ちていく。
先程までに島を覆っていた清浄な空気とは比べ物にならない程の濃密な正の空気がその隙間から零れ出る。それは荘厳な大聖堂でも及ばない程の聖性。清ら過ぎるほど透き通った深く精錬された空気。
これの感覚を言葉として表すのは難しい。しかしその空気を浴びた瞬間にクロノはこの先にあるものがこの場所を原初の魔物の封印たらしめて来たものだと悟った。
「これはッ!」
「何が起こっているの!」
クロノの横でアルレシャとルトナが堪えきれず声を上げる。それに呼応するように剥がれ落ちた景色の中に一つの建造物が浮かび上がった。
塔というには少し小さい三メートルほどのその建造物は宗教的な宝塔、或いは何かの碑のように見える。恐らくその宝塔はこの地の鎮守の要であったのだろう。空間の位相をずらしてまで秘匿されていたものだ。その役目は語るまでもない。だがそのところどころは真新しい罅に覆われ、今にも崩れ去らんとしている。
そしてそれを引き起こした原因ともいえる光景を宝塔の根元に見ることが出来た。
宝塔と同じく今にも薄れ消え去らんとする女性と幾重にも別れた黒い刃をその女性の胸に突き立てているベールであった。
「――なぜ、なぜだっ!同胞よ!」
驚愕の表情で咳き込みながらベールに手を伸ばす女性。けれどベールは無表情でその腕を斬り飛ばした。
女性が慟哭を上げる。その悲痛な叫びに応えるようにして宝塔に一際大きな罅が入る。その罅はそのまま地面そのものに広がり、島全体に地割れが走った。
ズクリと地の底から異質な空気が流れ出る。それはまさにこの島に満ちていたものとは反対のもの。まるで瘴気とでもいうような悪辣な何か。
蠢いている。地の底で何かが蠢動している。
そしてそれは尚も広がる地割れの中から湧き出でるかの如く顕現していく。
――魔物。無数の魔物達だ。
水中迷宮で現れるような水棲の魔物達が次々と大地の割れ目から湧きだしてくる。
そして致命的な破砕音と共に宝塔が塵へと還り、その瞬間に地面が隆起し、恐ろしい咆哮を打ち鳴らしながら『原初の魔物』が遥かなる時を越え顕現した。




