楔は砕かれた
――楔は砕かれた。
巨大な水棲の魔物、白蛇の様な胴体に幾対もの竜翼を携えた原初の魔物、『黎明の水禍メルビレイ』を見上げながらクロノは呻き声を上げた。
圧倒的なプレッシャー。その咆哮は雷鳴の如く。メルビレイを中心に天空に渦巻く黒雲はまさに絶望を具現したかのように昏い。
あの宝塔が、いやあのベールが刺し貫いていたあの女性こそが封印の楔であったのだ。
あの女性は恐らく精霊族であろう。この地の封印を任され、その身を捧げてきた古の精霊。
それがいま打ち倒された。
清浄であった大気を瘴気が蝕み、魔物が溢れ出す。地の底から不浄が這い上がってくる。
「くそっ!!」
クロノは悪態を吐きながら湧き出た魔物を斬り伏せた。けれども出現する魔物は倒す魔物の比ではない。
クロノ達はすぐに周りを魔物の群れに囲まれ、じりじりと円陣を組んで威嚇することとなった。
「魔法いきます!」
「ハアッ!!」
背中を預けることとなったアルレシャが魔物をこちらへと近付かせまいと魔法を発動し、ルトナが飛び掛かってくるものを打ち落とす。
「あぁっ!邪魔!」
ルトナは魔物を斬った後、慣れないドレスが邪魔だったのか、そのスカートを裂き、スリットを作る。この魔物の大群の中でルトナのスピードが殺されるのは致命的だ。
「アハハハハハ!ほらぁ!分かったでしょう?」
空に浮かび上がった三つの影の内の一つ、ハマリエルが周囲の陰鬱な雰囲気とは裏腹に陽気な声で笑う。
そして人差し指を立ててくるりと回すと、続けてその指を天に座すメルビレイに向けた。
「【呪操の繰り糸】」
ハマリエルの指から黒い糸が飛んだかと思うとそれはメルビレイの額へと繋がっていた。
軋むような咆哮を上げていたメルビレイが途端に大人しくなる。黒い糸はそのまま宙に溶けるように消えた。
「ほらぁ!彼方達もよぉ」
続いて振るった五指が幾本もの黒い糸を魔物達の頭上に振り撒く。それらもメルビレイの時と同様に額に繋がり、消え失せると波打つように呻り声が失せていく。
「まさか!」
「アハハハハハ!当たり!!私は魔物を強制的に従えられるのぉ!便利でしょう?」
アルレシャが驚くのも無理からぬことだった。魔物とはそもそも人を襲うだけの存在である。調教師の職業を持つものでも特殊な魔法具が必須だ。獣使いの上位職である契約獣師や聖獣師ならば契約を行うことで従えることが可能だがそれは魔物ではなく魔獣と呼ばれる意思疎通の出来る獣の派生の存在に対してのみである。だが瘴気から湧き出してきたのは全て魔物だ。
魔物をこんなに簡単に使役するなど聞いたこともない。
「さぁ!素敵な舞台の始まりよぉ!彼方達はあっち。君はこっちねぇ。ほら、死ぬ気で踊ってねぇ?舞台監督はこの『矛盾の黄昏』が使徒、『空の軍勢』ことハマリエルと『奇跡の模倣者』ウィルキエルよぉ!アハハハハハ!」
「その呼び名はあまり好きではないのですが……私も参りましょう」
高らかに歌い上げるように言ったハマリエルの言葉に魔物達が行動を開始する。魔物達はクロノ達の囲いをあっさりと解き、湖へと進み始めたのだ。
魔物達を先導するように能面の男――ウィルキエル――が異形の翼を打ち、アルカヴィルシオを向く。メルビレイはその長大な体躯でとぐろを巻くようにハマリエルの周りに侍り、ハマリエルはそれに腰を掛け、薄く笑いながら観戦の姿勢を取った。
ベールがウィルキエルに追従しようと動き出したところでクロノとアルレシャは【月駆】を使い、二人の間に割り込む。
「行かせるか!」
「おや、それは困りま――」
ウィルキエルの言葉が途中で止まる。否、それ以上続けることが出来なかった。その瞬間にウィルキエルは島を這う魔物達の群れの中に突っ込んでいたからだ。
「なっ!」
ウィルキエルに代わってクロノの視界を占領したのは鋼鉄の騎馬に乗る鋼鉄の騎士。その愛馬には刃の様な鋭い翼が生え、騎士の背には日傘を差したレッド・バクストンの片腕、サリア嬢が抱き着いていた。
「上出来ですわね。戻りなさい『騎士』」
そう言うと『騎士』はサリア嬢の手にあるルービックキューブのような茶色とクリーム色の立方体を組み合わせたアイテムへと戻り、優雅にサリア嬢が自由落下し始める。
なんだ!今のは!上空から影が過ぎったと思ったら突然鋼鉄の騎士が現れた。クロノは驚きながらサリア嬢を見つめる。
「【鍛造】!」
しかしそれも束の間、キーンと銀鈴を鳴らすような高い音が響くとウィルキエルが落ちた辺りに銀の矢が殺到する。サリア嬢に続いて降りてきた角と眼帯がトレードマークのメイドの少女――メルクーア・ヴァルギエスタ――の仕業であった。
「君達はその少女の相手をするといい。我々はあそこで地面に転がっている能面に少し話がある」
さらにそれに続いて現れたよれよれのスーツのレッド・バクストンが過ぎ去りざまにクロノ達に言った。
バクストンの顔はいつになく真剣でウィルキエルが落ちた場所を見つめるその双眸は鷹のように鋭かった。
「オオオオオオオオオオ!!!」
乱入者はまだ続く。猛る怒号と共に眩い閃光がクロノ達の上空で弾ける。荒れ狂う焔雷のアッパーカットに優に家一軒ほどの大きさはあるであろうメルビレイの頭が仰け反った。
遅れて登場したのはS級冒険者、タイラント・マグゼクトである。
「このっ!」
「悪いが貴様の相手は我ではない」
大きく体を揺らしたメルビレイにのっていたハマリエルは悪態と共にその白い腕をタイラントへと伸ばし、攻撃の姿勢を取る。
しかしそれよりも前にタイラントは腕に抱いていた二つの物体を全力で放り投げる。
薄汚れた襤褸の布きれと透き通った水色の何かしらが高速で回転しながらメルビレイに向かって飛んでいく。水色の物体が魔法を唱えていることからあれは人であるらしい。
「あわわわわわっ!!【雪姫の雹槍】!!」
その間抜けな絵面とは裏腹に水色の物体が放った魔法は劇的だった。一瞬にして吹き荒れた極風が雹雪を伴いながら絶対零度の槍の如く魔法がメルビレイへと突き刺さり、渦巻く矛先の螺旋を以って咄嗟にメルビレイの張った結界を貫通し、遥か後方へとその巨躯を吹き飛ばしたのだ。
そしてその二つの物体自体もタイラントの投擲の慣性を殺せず、真っ直ぐに悲鳴を上げながら遠ざかっていく。
「彼方は問題ない。小僧!獅子族の娘を借りるぞ!娘!魔物を殲滅する。手伝え」
その間に着地を終えたタイラントが何故かルトナを掻っ攫い、魔物の灼き始める。そのタイラントの威圧に気圧されたのか慌ててルトナも剣に炎を纏い、魔物を斬り伏せ始めた。
ルトナには空中戦は出来ない。その為現在中空に浮くベールとの戦闘には参加不可能だ。S級冒険者と一緒ならば問題ないだろう。
「な、なな、ねね、ね――」
改めて視線を戻すと何故かアルレシャが驚愕の表情で口をパクパクさせていた。
恐らく先程の魔法の事で驚いているのだろう。確かにあれは規格外の一撃だった。しかしクロノとしてはタイラントがメルビレイを任せた時点でS級冒険者、或いはそれに類する存在だと当たりをつけた。
故にメルビレイはそちらに任せる。薄情な言い方かもしれないが状況がベールを助ける事を許しているのならばクロノ達に迷う事は無い。ベールを任されたと思えばいい。
「アルレシャ!まずはベールだ!」
「あ!は、はい!」
未だ驚愕から抜けきらないアルレシャを促してベールに向かって剣を構える。ベールは相変わらずの虚ろな瞳。しかもその腕には鞭のように撓る黒剣、ブラッディソウル。
何としてもベールの正気を取り戻さなければならない。マッキーに誓った約束の為にも。
「絶対にお前を取り戻してやるッ!!」
クロノは自分に喝を入れるように大きく叫び、アルレシャと共にベールに向かって宙を翔けた。
御読み頂き有難う御座います
今更ながらに少し設定について
この作品では魔物と魔獣を別物として扱っております。
今話にあるように魔物は通常使役できません。調教師系の職業のみ魔法具を使うことで例外的に使役が可能となります。
以下魔物と魔獣等の違いについて
魔物……体内に魔石を持つ。魔獣・獣と同種の姿であるものもいるが同族ではない。
同種の魔獣・獣よりも比較的強力で同種(例外的に異種)の強制的統率能力を持つものがいる。
基本的に使役は不可能。意思疎通が出来ない。オレオマエマルカジリ状態。
魔獣……基本的には獣からの派生種。顕在的、或いは潜在的に魔法の行使を行っている獣の総称。
体内に魔石は持たない。意思疎通可能。契約により使役可能。
獣 ……普通の動物。魔法を使用しないもの。
聖獣……黎明期に神々に一定の役割を与えられ、創造された生物種。




