水銀の杖
「マッキーあっちのお嬢様の方は任せた」
「任されたのだよ」
クロノがそう声を掛けるとマッキーが肩から飛び降りて路地へと戻っていった。クロノの方はマッキーが肩から飛び出して行ったのを確認すると向かい合っていたメイドに視線を遣る。しかしいつの間にかその姿は消え失せ、屋根の上にメイドの姿はない。周りを見回すがその姿はない。と次の瞬間クロノの頭上に影が過ぎった。金属の撃ち合う甲高い音が響く。
「いきなりか!」
「……問答無用」
頭上から降り掛かって来た短剣による一撃を魔法剣で防ぎながらクロノは声を上げる。メイドはクロノが短剣を押し返す力を利用して再びしなやかな動きで跳び、屋根の上に着地すると今度はその場に留まる事無くクロノへと斬りかかる。いつの間に取り出したのか短剣は二つに増え、その両手に握られている。
鋭い二対の銀閃がクロノを襲う。つむじ風のように吹き散らされる連撃にクロノは防御に専念させられてしまう。間合いを取ろうと剣を大きく薙ぐがメイドはそれをするりと潜り抜け、滑り込むようにクロノに迫った。
「ちぃッ!【障壁】!」
「……【火属性付与】」
懐まで潜りこんだメイドにクロノは障壁をその間に割り込ませる。しかしメイドは勢いをつけて踏み込むとクロノの鳩尾に向かって障壁越しに短剣を突き出した。突き出した短剣が障壁に当たると短剣から炎が吹き出し、爆発を起こした。
「ぐぅっ!」
至近距離で起こった爆発に障壁はミキミキと嫌な音を立てて弾かれ、クロノもそのせいで吹き飛ばされる。吹き飛ばされたクロノはなんとか他の屋根に着地し、剣を突き立てることによって勢いを殺した。
そこに再び勢いよく飛び込んで来たメイドの攻撃が襲い掛かる。クロノは膝をついた状態から即座にその場から飛び退くと剣を構えてメイドへと斬りかかった。だがその攻撃もあえなくメイドの持った短剣によりいなされてしまう。
足場が悪いためクロノは上手く踏み込むことが出来ず、十全に力を出し切ることが出来ないでいた。一方メイドの方はそんなことをものともせず多方向からクロノに斬撃を浴びせ、反撃の隙を与えない。このままではジリ貧だ、そう思ったクロノは大きく飛び退いて魔法を行使して状況を好転させようとする。しかしこれは悪手であった。
「……無駄。……『水銀の杖』、【鍛造】」
メイドが短剣を無造作に振るう。間合いの大きく外側で振るわれたそれは当然空振りになると思われた。しかしその言葉と共にメイドが短剣を振るった方の手とは反対の手の指で短剣の柄を弾くように鳴らすと澄んだ金属音と共に短剣に変化が現れる。
短剣がぐにゃりと水銀のように歪むと見る見る内に再構成されていき、メイドの背丈の倍はあろうかというグレートソードのような大剣へと変わったのだ。メイドはそんな明らかに体に合っていない大剣を重さを感じさせないような速さで振り抜く。不意を突かれたクロノはまともにその大剣の一撃を脇腹に受けてしまった。
「しまっ――!?」
じんじんする脇腹の痛みを感じながらクロノは自分の安易な行動を後悔するがもう遅い。クロノの体は既に宙にあった。路地へと落下していくクロノ。このまま路地に下りてから反撃にでようかと思ったクロノだがメイドはそれを許さなかった。
「……【鍛造】」
クロノの後を追うようにして空中へと飛び出したメイドが大剣を指で弾くと大剣が再び水銀のように溶け出し、今度は長弓を形作る。放たれた矢は風を巻き込みながらクロノへと迫る。さらに悪いことに矢は落下するごとに大きさを増し、矢から槍のように、槍から杭のように、ついには柱程の大きさとなってクロノを圧し潰さんと進む。
「【高位障壁】ッ!!」
空中を移動して避けるには既に遅く、クロノは再度障壁を張って衝撃に備えた。障壁を張ったクロノごと鉄柱が地面へと突き刺さる。路地を走っていた馬車を巻き込みながら轟音と共に土埃が舞い上がった。
「なんだってんだ!畜生!!」
衝撃を受けて横倒しになった馬車の影から御者の男が飛び出して来る。街の住人達も窓からその惨状を覗き、騒ぎ出した。
「……少し、やり過ぎた」
屋根の上から路地を見下ろしたメイドはぽつりと呟く。最初の火属性付与の一撃を防いだ時点で相手が予想以上の力を持っていることが分かった。その為手加減をせずに攻撃をしてしまったのだがどうにもこれは不味いように思われた。路地を行っていた馬車を巻き添えにしている上に住人達も騒ぎ出し、しばらくすれば騒ぎを聞きつけた憲兵がやってくることは想像に難くない。
メイドは手に持っていた長弓を手放し、指を打ち鳴らす。すると不思議なことに弓は水銀のような液体となり、ぐるぐると渦巻いてから球体を形作り宙へと浮かんだ。
そして今度は地面に突き刺さっていた鉄柱へと手を向けると再びパチンと指を鳴らす。その音を切っ掛けにして鉄柱がずるりと蠢いてから溶け、宙に浮かんだ球体の中へと吸い込まれていった。木の幹程もありそうな鉄柱を呑み込んだというのにそれを呑み込んだ鉄球の質量は変わらない。それは何とも不可思議な光景であった。
「……むむ」
下に広がる土煙を見ても何も動きはない。もしかすると先程の攻撃によって対象が戦闘不能になったのではないかという考えがメイドの頭を過る。あれだけの質量を伴った攻撃だ。ともすれば重傷、下手をしたら本当に死亡なんてこともあり得るのではないか。それはメイドにとっても看過できない事態であった。対象にはまだ生きていてもらわなければならない。聞きたいことが山ほどあるのだ。こんなことで死んでもらっては困るのである。路地に下りて対象の安否を確認しようかとメイドが考え始めた時、下の路地で動きがあった。
ごうっと音を大きな風切り音を立てて土煙の中から人の大きさ程もあるだろう大岩が埒外の速度を以って飛び出してきたのだ。予想外の攻撃にメイドの反応が鈍る。しかし宙に浮かんでいた銀球の反応はそうではなかった。銀球は素早く形を変形させると主を守るように半球の防御膜を形成し、正面から迫りくる岩塊を受け止めたのだ。
こうなれば強度の面で圧倒的に不利な岩塊は砕け散るしかなかった。弾け飛んだ飛礫が路地へと降り注ぎ、家屋の壁を打つ。窓から顔を出していた人々は慌てて首を引っ込め、家の中に逃げ込んだ。あちこちでガラスの割れる音が響き、そこかしこから悲鳴が上がる。
「……なんて、でたらめ」
その行動に驚愕しながらメイドはぽつりと呟く。しかしその声は後ろから上がった大きな声に打ち消された。
「お前にだけは言われたくないよっと!!」
メイドが振り返ればそこには剣を大上段から振り被り、一撃を叩きつけんとするクロノの姿があった。いつの間に後ろに回り込んだのかなど考える暇もなくメイドは両手を前に突き出し防御態勢を取る。
「――【鍛造】ッ!!」
メイドの突き出した両手の前に波打つ水銀が集まり人ひとりすっぽりと隠すような大きな盾が形成される。クロノの不意打ちはこのまま盾に防がれ、失敗するかと思われた。
「パクリくさいけどこれでどうだっ!【焦点】!!」
クロノが叫ぶと幾筋もの光の筋がクロノが斬りかかろうとしていた水銀の盾に集まる。幾条もの光を受けた盾の中心は赤く染まり、どろりと融解し始めた。その穴を塞ごうと周りから水銀が集まるが同じように熱せられ、溶けてしまう。
実はクロノは大岩の影に大量の星精を潜ませメイドへと放り投げたのである。それはアルレシャの水中戦での火星精の使用と同じように空中にばら撒かれ、多方向から一点集中の【星光撃】を放ったのだ。
溶けた盾の穴に裂帛の気合いを込めたクロノの一撃が差し込まれる。
メイドは瞬時に盾を小さくし厚みを増してそれを受けたがその状態においては遅きに失した。今度はメイドが勢いよく屋根の上から弾き飛ばされ、跳ねるようにして転がる。
メイドは途中でなんとか体勢を立て直し、屋根の上に着地し、膝をつく。メイドの体が軽いせいか、クロノの一撃が凄かったのか見ればかなりの距離をメイドは飛ばされていた。クロノの方は屋根伝いに跳躍を繰り返し、メイドの方へ迫っている。
下ではかなり大きな騒ぎになっており、憲兵の姿もあちらこちらに見える。引き時であろうか、メイドはそう考える。
「……撤退、推奨」
メイドは荒い息をしながら口に出して呟く。そうと決まればとメイドは再び『水銀の杖』で長弓を形成する。そして今度はクロノを直接狙わず、空へと大きく矢を打ち上げた。打ち上げられた矢は弧の頂点まで達すると倍倍式に増え、矢の雨となる。しかしクロノはこれを千載一遇のチャンスと一気に加速し、メイドへ迫る。
だが結果的にクロノはその追跡を中止せざる得なくなる。降り注ぐ矢の雨を縫うように回避しようとした瞬間、矢が爆発し、針のような金属片を撒き散らしたからだ。これにはクロノも足を止めて障壁を張るしかなかった。障壁を張りながら下の路地を見やると水銀の矢は通行人に当たる寸前にぐにゃりと液状に戻り地面へと落ちていく。どうやらクロノのみを対象としているらしい。
こうしてメイドは捕らえられることなくクロノの前から姿を消したのだった。




