ブラック・スパイラル
手芸部の部員たちの期待は最高潮に達していた。牟田が黒蓮に喧嘩を挑んだことで、場は盛り上がっていた。
「まさか逃げないよな、黒くん?」
「逃げたくても、逃がしてもらえないだろ……」
「グダグダ言ってないで、さっさとやろうぜ、新入り!」と牟田が叫んだ。
「……ああ。お前がそう望むなら」
蓮は学ランを脱ぎ、明智に渡した。腕中に走る無数の傷跡を見て、部員たちは呆然とした。
「行くぞ!」
牟田が攻撃を仕掛けた。胸への一撃、続いてふくらはぎへの蹴り。
(これで倒れるだろう)と彼は思った。
「……あ?」
蓮は立ったまま、微動だにしなかった。かすり傷一つない。
彼は笑みを浮かべ、自分の番だと告げた。
まるで怪物のようなオーラを纏った右ストレートが、全力で叩き込まれた。
ドッ!
牟田は息を呑んだ。蓮の顔に砂を投げつけたが、無駄だった。その視線はただ一点、牟田に固定されていた。
蓮は彼の髪を掴んだ。
「自分が不良だと思ってるのか? 六本木じゃ、もっと強い奴の腰巾着にすらなれなかっただろうな……いや。それ以前の問題だ。不良を名乗るには度胸が足りねえ。背伸びしてるだけだ」
「黙れ!」
牟田は蓮の腹部に蹴りを入れ、振りほどくと、そのまま顔面に一撃を叩き込んだ。
「どうだ? ははは……あ?」
牟田の笑いが、蓮の目を見た瞬間に止まった。光を失い、その代わりにブラック・スパイラルが、すべてを飲み込むように渦巻いていた。
「悪くない……悪くないな」と蓮は、別人のような声で言った。
「なんだ、それ……?」
「喧嘩したい気分にさせてくれたのはお前だ。もう引くなよ」
蓮はしゃがんで蹴りをかわし、足払いで牟田を完全に倒した。
「すごい……なんて技術とパワーだ……」と東条が興奮した様子で呟いた。
牟田は防御の構えを取ろうとしたが、蓮は突っ込み、力ずくでそれを無理やり破った。
「これこそ喧嘩って言うんだよ。はははは」
狂気じみた笑いが、牟田の顔面に落ちる一撃ごとに響いた。
部員たちがざわめき始めた。
「東条部長、止めますか?」
「このままだと顔が変形するまでやりますよ……」
明智は圧倒されながら見ていた。目の前の蓮が放つ暴力とサディズムは、普段知っている穏やかな少年とはまるで別人だった。
牟田はすでに意識を失っていたが、蓮は殴るのをやめなかった。とどめの一撃を放とうとした、その時――
「そこまでだ、黒くん」
東条は宙に浮いた拳を受け止め、その力をすべて抑え込んだ。
「東条先輩……俺の喧嘩に割って入るのか?」
「見たかったものは全部見せてもらった。十分だ」
「だから言っただろ、喧嘩は嫌いだって……この衝動が消えるまで止まれないんだよ」
蓮は左で東条を殴ろうとしたが、東条はもう片方の手で難なく防いだ。
部員の一人が牟田を隠し基地の端へ引きずっていった。
「黒さん、もうやめてください! もう勝ったじゃないですか!」と明智が叫んだ。
「あけっち……残念ながら、黒くんは話を聞くタイプじゃないらしい」と東条が言った。
「やるか、東条先輩?」
「初日に恥をかきたいのか?」
「やれるもんなら……やってみろ……」
東条は首筋への鋭い一撃で、蓮の意識を奪った。
(いつ殴られた……?)と蓮は倒れる前に思った。
東条は部員の一人に指示を出した。
「五十嵐、結衣ちゃんを呼べ。救急箱を持ってこいと」
「はい、東条部長!」
「あけっち、悪いが眼鏡を拾ってくれないか?」
明智が眼鏡を渡すと、二人は一ノ瀬結衣の到着を待った。
◇
一時間後、蓮は訓練場の円の中央に座ったまま目を覚ました。
「眠り姫のお目覚めだ……ははは」
「東条先輩……」
東条は円の反対側の椅子に座っていた。
「まず、おめでとうと言わせてくれ。そして、正式に俺たちの部活へようこそ」
「もうやっただろ?」
「ああ、だがこれは部活の本体への歓迎だ」
「本体……?」
「あけっち、お前もよく聞けよ」
「はい、東条先輩!」
「俺たちの部活は、本当の目的を隠すためのカモフラージュだ」
「どういうことだ……?」
東条は立ち上がった。
「俺たちは仙台の全てを掌握しようとしている。今は青葉区の半分を抑えているが……もっと大きなものを目指している。仙台の心臓部そのものをな」
「つまり……」と明智が言いかけた。
「暴力団か?」と蓮が続けた。
「正確には暴力団とは言えない。犯罪を目的にしているわけでも、暴力を正当化しているわけでもない。この部活に集まる全員がここにいる理由は……」
家族だ。
手芸部の部員全員が、大切な人を守るために、そして仙台を悪から自由な街にするために集まっている。
「でも手段は暴力団と同じだろ? 縄張りを賭けて戦う……」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。立て、黒くん。ついて来い。あけっちもだ」
蓮は首筋をさすりながら立ち上がった。明智は東条のすぐそばを歩き、ついてきた。
東条は基地の壁の前で止まった。巨大な看板が、黒い布に覆われて掛かっている。
「何を見せたいんだ?」
「見ろ……」
東条が布を外した。
PAINT IT BLACK
「これが俺たちの合言葉だ。どう思う?」
(ローリング・ストーンズ? いや、待てよ……コンマが足りない気がする)
(BiSH? でも大文字と小文字を交互にすべきだよな……)と同時に明智は思った。
「どういう意味だ?」と蓮が尋ねた。
「街を黒く染める。それが俺たちの色だ。仙台の全てを掌握しようとしている。だが、見たままの意味じゃない」
「じゃあ……暴力団と戦ってるんですか?」と明智が尋ねた。
「その通りだ、あけっち! 俺たちは小規模な暴力団を解体することに集中している。その過程で力と名声を得ながらな。他の高校とも戦うが……もうほとんどやっていない」
「なんで校長は何も知らないんだ?」と蓮が尋ねた。
その問いが宙に浮いたまま、地下へ一ノ瀬結衣――手芸部の部長――と、見知らぬ少女が下りてきた。
「修吾くん、もう少しで見つかるところだったよ」と少女が言った。
「どうしてだ、葵ちゃん?」
「結衣は嘘がつけないんだ。もう少しで全部台無しになるところだった」
「ごめん……何を言えばいいかわからなくて。でも、葵ちゃんがいてくれてよかった」と結衣が謝った。
東条は蓮の方を向いた。
「さっきの質問に答えなかったのは失礼だったが、理由は彼女だ」――葵を指さした。
「廊下で見かけたことがある。名前は?」
「黒……蓮」
「よろしく、蓮くん。白石葵、新聞部の部長だ!」
「初対面でいきなり名前で呼ぶのは馴れ馴れしくないか?」
「信じて。これから思ってる以上に会うことになるから。だから慣れてね、蓮くん!」
「さっきの続きだが」と東条が切り出した。「葵ちゃんは、他の生徒に俺たちの活動を怪しまれないよう、部活のカモフラージュを保つ責任者だ。そしてかなり有能だ。しばらく、役員も教師もここを覗きに来ていない」
「実は、まさにその件で来たんだ……」と葵が言った。
空気が一気に張り詰めた。
「何があった?」
「教師の一人がこの部活を閉鎖するよう提案した。手芸部を二つも維持するのは学校の予算を超えるって……」
「はあああ!? マジで!?」
蓮は横目で見た。とんでもなく強い奴なのに、東条は一瞬で感情が変わる。
(どんなリーダーだよ……)と蓮は思った。
「次の喧嘩の日程を決めたばかりなのに……」
「でもチャンスはある」と葵が続けた。「閉鎖を避けるには、校長との面会を申し込む必要がある」
「でも……でも! 何を言えばいいか思いつかない。俺が校長だったら、この部活閉鎖すると思う。はははは!」
蓮と明智は、完全に冷めた目で東条を見た。
「面会を取り付けることに集中して。何を言うかは私がきっちり書くから。できる?」
「お前たちがいなかったら、俺はどうなってたんだ、葵ちゃん、結衣ちゃん! ははは!」
東条は二人の手を何度も何度も握った。白石がついに頭を叩いた。
「頭を叩いちゃだめだよ、葵ちゃん」と結衣が言った。
「ああなったら、自業自得でしょ!」
蓮は一ノ瀬を指さした。
「お前、結構大人しいよな。なんで白石さんみたいに話さないんだ?」
「えっと……私は怪我人の手当てに来ただけだから……」
東条は眼鏡を直しながら、一ノ瀬を指さした。
「クロちゃん、手芸部の部長にもっと敬意を持てよ」
「こんにちは、一ノ瀬結衣です……」
「すみません、一ノ瀬さん……」
「そうだった! 結衣ちゃん、悪いが先に牟田くんの手当てを頼む。あっちにいる」
牟田はすでに意識を取り戻していたが、まだ痛みに耐えていた。
「よく聞け、黒くん、あけっち。俺たちのグループについて、お前たちがどう思うか正確に知りたい」
「えっと……仙台を平和な街に保つっていう理想は、いいと思います」と明智が言った。「強くはないですけど、できることは手伝いたいです!」
「そう言ってもらえると嬉しいよ、あけっち。で、黒くんは?」
蓮はしばらく黙っていた。
「お前たちに加わるつもりはない」
明智は驚いて蓮を見た。
「わかった……じゃあ、せめてカモフラージュとして部活に残ってくれないか?」と東条が言った。
「まだ話は終わってないぞ、東条先輩」
東条は驚いて、黙った。
「本当に大事な時だけ呼べ。俺の目標は、穏やかで平和な生活を送ることだ。その点では、似たものを目指している。だが、暴力団の一員として動くのは断る」
「お前の考えは理解した、黒くん。先に自分を紹介して、お前の考え方をちゃんと理解すべきだった。俺たちの一人だと思って連れてきたが、お前はそれ以上だ……」
蓮は笑った。
「じゃあ、もう帰っていいか?」
「もちろん。どうせもう帰宅時間だ」
帰る前に、蓮は牟田のところへ行った。
「おい……やりすぎた、悪かった。これからは仲良くやろうぜ」
手を差し出した。牟田はそれを払いのけた。
「度胸あるじゃねえか、新入り。敵にも同じようにぶちのめしてくれよ」
牟田の自信に満ちた笑みは、恨みがないことをはっきりと示していた。
「じゃあ、また明日な、黒くん!」
「ああ。またな」
蓮は地上へ上がった。明智がついて行こうとしたが、東条が引き止めた。
「あけっち、ちょっと話がある」
「東条先輩……」
◇
蓮は疲れ果てた一日を終え、家にたどり着いた。自分の階へ続く階段を上がりながら、頭の中で起きたことを振り返っていた。
(正義の味方を気取る不良集団か……そんなの漫画の中だけだ。現実は違う……)
「黒くん?」
(東条先輩の声が聞こえた気がした……)
「なんで俺がここに……」
蓮は急停止した。ゆっくりと振り返る。
東条は何事もなかったかのように、にこやかに手を振った。
「黒くん、奇遇だな! 同じマンションだぜ」
「東条先輩!?」




