若狭湾で幽霊船にさらわれた話する?【4 of 5】
扉が開くのを待ち始めて、三度目の朝が来た。その日は雲が広がり、風が吹いていた。白波が立ち、船はゆらりゆらりと揺れていた。厨房には、ケンジとカズオが立っていた。ケンジが料理を乗せた皿を運んできた。
「お貴族様のお口に合うかは、分かりませんが。」
「そんなことは。お客様を厨房に立たせるだけでも、申し訳ないのに。」
「私が動けなくなったせいで、申し訳ございません。」
「サラさんは怪我人なんだから、気にしないで。海では全員が役割を持つべきです。」
「ほう。カズオも言うようになったな。」
食事を終えると、エリスは機関室に降りていった。ケンジは食器を片付けはじめた。カズオはサラの包帯を交換していた。ヨシヒコは窓の外を見た。これから、ますます荒れていきそうな空模様だった。
「サラさん。嵐が来そうだ。大丈夫かね?」
「はい。この船は最新の型ですので。余程でなければ、心配はございません。」
カズオが変な顔をした。
「最新?どう見てもボロ船でしょ?中は綺麗だけど。」
「そうでした。この船は、外側をわざと古く見せているのでございます。この方が海賊に目をつけられにくいだろうと、旦那様が発案なさいました。」
「じゃあ、外から見える船室や操舵室は?」
「張りぼてでございます。」
「そうすると、この窓は外から見ても中が見えないの?」
「はい。外からは、木の板に見えております。」
「うわー。僕たちの世界より、全然進んでるよ。驚いたなあ。」
サラはカズオを見てニッと笑った。
「カズオ様は、お可愛くていらっしゃいますねえ。」
「へ?いや、それは。どうも。恐縮です……。」
赤くなったカズオの顔を見たヨシヒコは、笑いをかみ殺した。エリスが、難しい顔をして機関室から戻ってきた。
「サラ。ちょっといいかしら。船球の数字がおかしいのよ。私の計算と、一日ほどずれているの。」
エリスは、数式が沢山書き込まれた紙をサラに渡した。
「拝見いたします。ふんふん。ああ。これは。この世界とカズオ様たちの世界では、時間の進み方が違うのでございます。以前にも、同様のことがあったはずですよ?お嬢様。」
「あ!ごめんなさい。思い出したわ。でも、これ前とは逆よね?」
「はい。前は時間の進み方が遅かったのです。今回は、扉の向こうの時間が速く進んでおります。こちらでの一日が、向こうでは四日と半日くらいになるようです。」
厨房での仕事を終えたケンジが、口をはさんだ。
「それって、要するにどういうこと?」
「要するに、私たちの世界で十年過ごす間に、ケンジさんたちの世界では四十五年が経過する、ということです。」
夜になって、海はますます荒れた。船は大きく揺れていた。カズオは、サラが転ばぬよう彼女を支えて寝室まで連れて行った。ヨシヒコとケンジとエリスは、大粒の雨が叩き続ける大部屋の窓を見ていた。船が軋む音が、絶えず部屋に響いていた。
「すまんが、俺の身の上話を、ちょっとだけ聞いてもらえんかな?」
「私がですか?それは、もちろん構いませんが。」
ヨシヒコとエリスは、互いを窺うように顔を見合わせていた。
「……そんなら、俺はあっちに。ごゆっくり。」
立ち上がったケンジを、ヨシヒコが呼び止めた。
「おかしな気を使うな、ケンジ。お前にも聞いてもらいたい。つまらん昔話で終わるかもしれんが、どうせ暇だろう?」
「はあ。まあ。」
ケンジが座り直すと、エリスは背筋を伸ばした。ヨシヒコは少し間をおいて、話し始めた。
「俺はね、今年で七十三になる。十八で漁師になって、それからずっと、若狭の海で暮らしてきた。エリスさんの言う通り、海も山も綺麗でいい所だ。」
エリスは微笑んで頷いた。ケンジは、寂しそうに聞いていた。
「父親も漁師だった。俺に漁師の何たるかを叩き込んだのは親父だ。お袋は優しかった。実の子でもない、捨て子だった俺を、二人は大事に育ててくれたよ。」
「親方、捨て子だったんですか!?そんな話、聞いたことない。」
「そりゃあ、そうだろう。話したことがない。だから、お前にも聞いてもらおうと思ったんだ。」
「そうでしたか。それは、ご苦労をされたのですね。」
「苦労したのは両親のほうだろうな。ある雨の日、港に小さな船が流れ着いた。親父は珍しい船だと思い、中を覗き込んだ。そこに、俺が寝ていたそうだ。」
「船に……ですか?」
「ああ。雨に濡れて冷え切った俺を、親父は家に連れて帰った。風呂に入れて飯を食わして、それで落ち着いたのか。幼い俺は、名前と歳を自分で両親に伝えたらしい。そのとき、五歳だったそうだ。記憶はないんだがね。」
「……。」
「五歳ねえ。その頃の記憶は、あっても曖昧なのが当たり前じゃないんですかね。」
「まあ、そうだろうな。近所に聞いて回っても心当たりはなく、駐在に相談しても親は見つからん。街の施設に預けるよう言われた両親は、悩んだ末に俺を引き取ることにした。そして、それから六十八年経ったって訳だ。」
先ほどまで笑顔だったエリスは、緊張した面持ちになっていた。膝の上に置かれた両手が、強く握りしめられていた。
「お嬢さん。見て欲しいものがある。」
ヨシヒコは、胸元からペンダントを取り出した。
「この丸いところ。鎖の付け根を強く押し込むと、開くんだ。」
球形のペンダントは、二つに分かれた。中には、大きめのビー玉のような球体が入っていた。その球体の中心は、微かに青白い光を放っていた。それを見たエリスは、目を丸くして手を口に当てた。
「これは……船球!?」
「やはり、そうか。二十年くらい前までは、もっと明るく光っていたんだがね。俺が乗せられていた船の舳先に、くっついていたそうだ。親父は売り払うつもりで持って帰ったらしいが、お袋が何かの手掛かりになるかもしれないと、ペンダントに入れて俺に持たせたんだ。」
エリスの手が震えた。ヨシヒコの唇も、震えていた。
「ヨシヒコさん。あなた……。」
「あんたから弟さんの話を聞いたとき、もしかしたらと思った。だが、どう考えても歳が合わん。ただの偶然だろうと。しかし、さっきのサラさんの話を聞いて確信した。この世界の十年は、俺の世界の四十五年なんだろう?」
エリスは何度も頷いた。その目に涙が溜まっていた。
「あの紅茶の香り、妙に懐かしい感じがした。あんたの声も、名前も、どこかで聞いたことがある気がしていた。遠い昔、いつも俺の手を引いてくれた、優しい姉さんがいた。俺の名前は、ヨシヒコじゃない。『ヨーシク』だ。」
「……ヨーシク!」
揺れ続ける船の中で、泣きながら抱き合った二人を、ケンジは静かに見守っていた。
(つづく)




