若狭湾で幽霊船にさらわれた話する?【2 of 5】
甲板の穴から、女が梯子を降りていった。その後を追って、ヨシヒコ、カズオ、ケンジの順に船内に入った。船の中は不思議なほど明るく、外側とはうって変わって綺麗に保たれていた。
「へえ。木造船の中はこんな感じになってるんだなあ。」
「ケンジさん、これガス灯ですかね?それにしては……。」
通路の壁の天井近くには、二メートルくらいの間隔で照明が備えられていた。見てくれは古風だが、今時の照明に劣らない明るさだ。床にはカーペットが敷かれており、長靴で歩くのはそぐわない。油の臭いもない。ヨシヒコは、眉間にしわを寄せた。
「お嬢さん。こっちが機関室なのかい?」
「ええ。機関室はさらに下です。この先に梯子がありますので。」
通路のつきあたりで、さらに梯子を降りた。そこは六畳ほどの広さで、薄暗く、壁や天井には金属の管が張り巡らされていた。部屋の真ん中に巨大な地球儀のようなものがそびえ立っている。球体は透明で、その中心に青白く光るものが浮いていた。
「サラ。人を連れてきましたよ。」
女が呼びかけると、奥から声がした。
「お嬢様。ありがとうございます。申し訳ございません。」
暗がりに目を凝らすと、黒い服にエプロンを着けたふくよかな女が床に横たわっていた。重そうに上半身を起こしたサラに、ヨシヒコが歩み寄り身を屈めた。
「あんたが、怪我をしてるのかね?」
「はい。航路を変える作業をしていたのですが、あれに躓いて足を挫きまして。」
床に転がった瓶を指さすサラを見て、「お嬢様」がため息をついた。
「ここに食べ物を持ち込んではダメだと、何度も言っているのに。」
「申し訳ございません。ですが、腹が減っては航海はできないと申します。」
「まったく。あなたが船を漕いでいるわけではありませんよ。」
サラは、目線を逸らして舌を出した。ケンジは梯子に片手を掛けたまま、そのやり取りを聞いていた。カズオは口を開けて、不思議な地球儀を見上げていた。ヨシヒコは二人の肩をバンと叩いて、小声で言った。
「こいつは、えらく面白いことになったな。疑問がありすぎて目が回りそうだ。とにかく、まずは怪我人だ。ケンジ、担げるか?」
「あ?ああ。多分、いけるんじゃないかな。カズオ、梯子を登るあいだ、下から支えてくれ。」
「わかりました。落とさないでくださいよ?」
先ほどの通路の反対側に、居室があった。通路と同様の照明が備えつけられた広い部屋は、まるでお屋敷の広間のような佇まいだった。部屋の三面は、大きな窓だった。歯を食いしばったケンジは、フラフラと椅子の前まで辿り着くと、サラをゆっくり降ろした。
「ひい。とりあえず、ここでいいかい?」
「ありがとうございました。まずは手当をしましょう。杖があれば、寝室までなんとか歩けるかしら?ここでは寝られませんものね。」
薬箱を持ったお嬢様が、サラの足元で屈んだ。カズオが声をかけた。
「包帯、僕が巻きましょうか?これでも救急員の資格を持ってるので。」
「キュウキュウイン?よく分かりませんが、不慣れなのでお願いできれば助かります。では、私はお茶を淹れましょう。皆さんは、どうぞ座ってください。」
ケンジが腰に手を当てて伸ばしながら、テーブルに向かった。カズオはサラの足首に手際よく包帯を巻いている。その様子を覗き込んでいたヨシヒコが、振り向いた。
「お嬢さん、お名前を伺ってもいいかな?俺は、ヨシヒコだ。」
「申し遅れました。私は、エリスと申します。」
「ほう。エリスさん、か。」
「はい。そちらにいるのは……。」
「サラと申します。ご面倒をおかけして申し訳ございません。」
「サラはうちの侍女で、航行士でもあります。とは言いましても、長い付き合いなので、ほとんど家族のようなものですが。」
「俺は、ケンジといいます。よろしく。」
「カズオです。僕たちはこの港の漁師です。正確には、ヨシヒコさんは隠居ですけど。」
「そうでしたか。どおりで頼りがいがあります。本当に助かりました。」
エリスは、トレイに乗せたティーセットを運んできた。
「お嬢……いや、エリスさん。どうしてこの港に?」
「私たちは年に一度、二か月ほどの航海に出るのが恒例となっておりまして。いつも通りの航路を指示していたのですが、どうやら、海の扉を抜けてしまったようです。」
「海の……扉?」
呆けた顔をしているヨシヒコとケンジを見て、エリスは微笑んだ。
「ご存じありませんか?異世界に続く抜け道のようなもので、世界中にいくつもあるといいます。私たちの世界では、ですけれども。こちらにはないのでしょうか?ここは、良いところのようですね。海も山も美しい。」
エリスは窓から外を見た。そこには、見慣れた若狭湾の景色が広がっていた。サラの包帯を巻き終えたカズオが、飛び上がるように立ち上がった。
「それって、異世界から来たってことですか!?それなら、機関室のあの変な機械もありですよね!あれ、一体なんなんですか?」
エリスに代わってサラが答えた。
「あれは船球と呼ばれるもので、船の心臓部でございます。航行も、灯りも、厨房の火も、船球が持つ魔力で賄われるのです。」
ここまで瞬きしかしなかったケンジが、口を開いた。
「よく分からんが、要するにこの港に迷い込んだということかい?海保が来たら厄介なことになる。さっさと戻ったほうがいい。」
「サラ。逆向きの航路は、これから指示するのですよね?」
「いえ。転ぶ前に終えました。再び扉が開けば、船も動き出しましょう。」
「あら!それは良くありませんね。皆さんを乗せたまま、戻ってしまったら……。」
エリスが喋り終わる前に、船体がきしむ音がして床が傾いた。窓の景色が流れ出し、その像は次第に歪んで水平方向に引き延ばされた。その直後。真っ白な光が数秒見えたかと思うと、景色は夜の海に変わっていた。
「あらあら。戻ってしまいました。」
「ええ!俺の船は!?」
ケンジは椅子から立ち上がり、通路に向けて駆けていった。その後を、カズオとヨシヒコが追った。甲板に出たケンジが欄干に手をついて下を覗き込むと、ロープで固定された小型船が目に入った。
「良かった!ちゃんとついてきてた……うわっ!!」
ケンジが次に目にしたのは、水平線の近くに浮かんだ、青白い巨大な三日月と、赤みを帯びた小さな半月だった。後から登ってきたカズオとヨシヒコも、二つの月を呆然と眺めていた。
(つづく)




