大好きな世界
「おかえり!」
女の人とその笑顔にラキエルは自然と返す。
「ただいま、お母さん」
そしてそのまま習慣に沿うように手を洗い、居間に座る。
「今日は遅かったじゃない。お外でお昼寝でもしてたの?」
「お昼寝・・・そっか、私寝てたんだ・・・」
「寝てたんだーって、まだ寝ぼけてるみたいじゃない。顔も洗ってきたら?もうすぐ晩御飯で
きるわよ」
何だか頭がぼんやりしている。やはり寝起きだからか。言われた通りに顔を洗いに行くと、
丁度男の人と鉢合わせる。
「おおっと!どうしたラキエル、そんな顔して、ブッサイクだぞ」
男はからかうように笑いながらラキエルの頬を指で突く。
「お父さんひどい!そういうお父さんだって寝起きはアホみたいな顔してるくせに!」
「あ、アホ!?親に向かってアホとは・・・!・・・ラキエルも言うようになったなあ・・・」
男はしみじみと頷くと、ラキエルの頭をわしゃわしゃと撫でて歩いて行った。
母親の手料理を囲み、一家団欒の時を過ごす。何等疑問を持つ余地の無い、ごくごく普通の
日常だ。なのに何故だかその日、ラキエルはその日常が、光景がしっくりこない感じがした。
次の朝。
「あ、もう学校行かなきゃ!」
「うん、行ってらっしゃい!」
「気をつけてな!」
二人に見送られながら外に出る。しかし、
「・・・えっと、学校は・・・・・・」
おかしい。いつも通っているはずの学校への道が分からない。
中々玄関先から出発して行かないラキエルを心配した父が外に出てくる。
「どうしたんだ?何か忘れ物でもしたのか?」
「う~ん・・・・・・」
「・・・それともまさか、道が分かんなくなっちゃったとか言うんじゃないだろうな?」
「そ、それは・・・」
ラキエルは何とか思い出そうとするも、全く出てこなかった。
「はあ~・・・寝ぼけてるのかどうか知らないが、仕方の無いやつだなあ。連れてってやるよ」
父がラキエルの手を取り、先導する。
「お!?それともラキエル!お前、わざと忘れた振りして・・・!この甘えんぼさんめ!」
「・・・!!そ、そんなんじゃない!!」
否定するも、父ははいはいと聞き流すように相槌を打ち、ラキエルの頭を何とも嬉しそうな
だらしのない笑顔で撫でる。
ふと、懐かしい感じがした。何故だろう?いつも一緒に居るのに・・・。
教室に入ると、すでにたくさんの同級生が賑やかにしていた。ざわざわわいわいと楽しそう
にしているその光景にも違和感を覚えた。そんな怪訝な顔をしているラキエルの元に一人、心
配して近寄ってくる。
「どうしたの?身体、具合悪いの?大丈夫?」
「・・・ごめん、ありがとう。・・・ねえ、動物の耳とか尻尾が生えてる人って見たことある?」
この教室には真っ白な翼を生やした天使しか居ない事が気に掛かっていたのだ。
「え?なあにそれ?夢の話?」
その子には思い当たる節が無いようだ。ラキエルは何だか恥ずかしくなり、話を合わせる事
にした。
「う、うん、そう。そんな人たちがいっぱい出てくる夢を見たんだ」
「へえー!何だか可愛くて楽しそうな夢だね!どんな夢だったの?続き聞きたい!!」
その子があんまり大きな声を出すものだから、その声に反応した何人もの人たちが気になっ
てわらわらと集まってきてしまった。
「どした?何かあった?」
「楽しそうな夢を見たんだって!動物の夢!それをこれから聞こうと思って!」
「おれも聞いていいか?」
「わたしも!」
「僕も!」
ラキエルは何時の間にか取り囲まれててしまっていた。仕方なく思い出しながら話し始める。
幾つもの世界が繋がっていて、そこでは色んな種族の人たちが手を取り合って暮らしている。
その世界で私は・・・私は・・・
ふと言葉を思い出した。
「・・・ばんり・・・はわー・・・」
何の言葉なのだろうか?そこまでは思い出せない。
「さあ、みんな座ってー!朝の会始めるよー!」
「はーい!じゃあ、続きはまた今度聞かせてね!」
先生の登場で集まっていた人たちは一斉にばらけて行った。
ラキエルは授業の最中もその『夢』の事が気掛かりでずっとその事ばかり考えていた。つい
さっき思い出した『ばんり』と『はわー』の二つの言葉についてを主に思い出そうとしていた。
しかし、全く思い出すことは出来なかった。
全ての授業が終わり、後は家へ帰るだけとなったその時、
「はあ・・・考え過ぎて疲れちゃったな・・・帰ろっか、バンリちゃん、ハワーちゃん・・・え?」
自分が無意識に口にした言葉に驚いた。
「バンリ・・・ハワー・・・人の名前・・・友達の名前!大切な・・・友達の!!どうして忘れて・・・は!!」
その瞬間、全てを思い出した。全てを・・・・・・。
家に戻ってきた。今朝まで普通にこの中で過ごしていたとは思えないほど懐かしく見え、じ
っと眺めていた。幸せと不幸が入り混じるその我が家を、ずっと眺めていた。
「おかえり、どうかしたの?」
「玄関の前で突っ立って、まさか、まだ寝ぼけてるんじゃないだろうな?」
お母さんとお父さん。私が殺してしまったはずの二人だ。二人は笑顔でこちらを見ている。
その笑顔を見ているのは辛くて思わず俯いた。
「さ、帰ろう?」
お母さんの優しい声が、差し出された手が、心を抉る。
「私は・・・帰れません・・・」
「・・・何を言っているんだ?」
「だってここは・・・この世界は・・・・・・『本当の世界』じゃないから・・・・・・」
ここにはお父さんもお母さんも居てくれる。でもそれは、正しい事ではないのだ。この幸せ
は・・・有り得ないのだ・・・。
「本当の世界?どうしちゃったの、ラキエル?」
「友達が・・・できたの。私のことを知っても傍にいてくれる、大切な友達が・・・たくさん!」
バンリにハワー、メルリアにワンコ、セイムにシュリに・・・ちょっと前までは一人、隠れて生
活していたその日々とは比べ物にならない賑やかな日々。
「どうしてそっちが『本当の世界』だって言い切れる?」
「そうよ。今居るここが、本当の世界でいいじゃない!」
「だめなの!だって私は・・・私は・・・!」
ラキエルに迷う心は無かった。
「私は!みんながいる世界が好きなの!!」
「そこにはママもパパも居ないのよ?・・・それでもなの?」
「それでもお前は、そっちの世界を選ぶのか!」
胸が苦しくてたまらない。だが、自分の想いの全てを乗せて、腹の底から全身を震わせ、何
時の間にか溢れ出てきていた涙を撒き散らし、言い放った。
「それでもー!!!」
父を、母を裏切った。その罪悪感が更に胸を締め付けた。言ってしまった。後悔は無いはず
なのに・・・辛くて、苦しくてたまらなくて、二人の顔を見ることなど到底できなかった。
ぽん。頭の上に優しく置かれた手の感触を覚える。
「よく・・・言ってくれた!」
「え?」
そのまま優しく撫でられた。予想外の反応に思わず顔を上げた。そこにあったのは、変わら
ぬ笑顔だった。
「お父さん?・・・お母さん?」
「ラキエル、あなたが本当の『今』を、幸せに感じていてくれていて本当によかった・・・!」
「ずっと心配してたんだぞ?父さんも母さんも居ない世界で、ただ苦しみながら生きているん
じゃないかってな」
「でもあなたはちゃんと自分の言葉で言えた!今が幸せだって!」
二人の顔からは安心と喜びが見て取れた。口から言葉が漏れ出した。
「お父さん・・・お母さん!私・・・ごめんなさい!・・・ごめんなさい!!」
謝った。ずっとそうしたいと思い続けてきたのだ、謝らずにはいられなかった。そんな自分
を、二人は優しく抱き締めてくれた。
「仲直り、だね!」
「仲直りだな!」
「・・・うん・・・うん!!」
涙を流した。優しくて、柔らかくて、温かい二人の腕の中で、泣きじゃくった。
「もうそろそろ・・・お別れね・・・」
「・・・・・・うん」
見つめ合い、改めて二人の顔を眼に、心に焼き付ける。
「よく聞け、ラキエル!過去にどんな失敗や不幸があったとしても、それに捉われ過ぎるな。
お前がさっき自分で幸せだと言ったように、その不幸や失敗のおかげで得られる幸せもあるん
だ!だからラキエル、恐れず進め!お前のその力は、必ず人を幸せに出来る!力の恐ろしさを
知ったお前だからこそ、出来ることがあるんだ!!」
「お父さん・・・」
「さあ、起きなさい、ラキエル!大切なみんなの居る世界へ!!」
「ママ・・・!・・・信念の・・・剣!」
杖を取り出す。二人は静かに頷いた。
「我、命ず!・・・我、目覚めよ!!」
その瞬間、世界が白み始める。この世界が消えようとしている事は直ぐに理解できた。
「ラキエル!愛してるぞ!!」
「ラキエル!身体に気をつけて!!・・・元気で、幸せにね・・・」
白む世界と共に、二人もまた溶け込むように色を失っていく。
「お父さん!お母さん!大好き!!行ってきます!!」




