三姉妹になった日(前編)
『妖怪』自然から生まれ、自然と共に生き、自然を創り出す力を持った自然の具現。「自然」
とは世の理であり、その力の強さは固体によって様々であるが、共に在る人間にとっては脅威
であることには変わりなく、恐怖の意を込めて名付けた俗称である。
妖怪たちの生まれ故郷「エルデ」。人間と妖怪の二種族が存在する世界。その昔、人間は妖
怪を恐れるばかりであり、その頃は人間と妖怪の争いなど殆ど無かった。
妖怪は人間も自然の一部だと認識していたため、自分の住処に入ってきた人間を追い返す事
はあっても襲う事は無かった。
平和に保たれていたその均衡も崩れる時が来てしまう。
人間が「道具」を創り出したのだ。
それまで恐怖の存在として避けて来た妖怪をも問答無用でねじ伏せてしまえる『兵器』と呼
ばれる道具を手にした人間は、それまでの人間と妖怪との歴史をまさに、破壊した。妖怪たち
を攻め立て、その領地を奪っていった。
妖怪たちは突然の事態に混乱を極めていた。そんな中、最古参の妖怪の一人であり、妖怪で
も人間であっても知らない者は居ないと言うほどの存在である西の大妖怪は、どうしたらいい
か分からず逃げ惑うばかりであった妖怪たちに命を与えた。その内容は「他の大妖怪たちに集
まるように伝える事」。
西の大妖怪の治める地に暮らしていた当時のエンジュは、姿は今と変わらないが、見た目通
りの未だ幼い少女だった。元々人間と接する機会など無かったエンジュは、この事態で人間に
対し怯え切ってしまっていた。そんなエンジュも、大妖怪の元へ通達に行く仲間に選ばれてし
まう。
向かうのは「北」。南や東もあるのだが、「北の大妖怪」が居るのは極寒の地。火が扱える
という点が決め手となり、殆どエンジュには選択権が無かった。
エンジュを含む妖怪の一団は北へと突き進む。だが、その道は平坦ではなかった。人間が現
れたのである。
人間は小型の玩具のような物を握っていた。だが、それから放たれた物は、妖怪たちを次々
となぎ倒して行った。たった数人が相手でも無傷で逃げ切る事は不可能だった。人間と遭遇す
る度に仲間は倒れていった。エンジュは北へ向かう上で無くてはならない存在。他の仲間たち
がその盾となり、それを見捨てて逃げなければならなかった。
仲間たちの血、止まらない涙に塗れながら、ただひたすらに北を目指した。
人間の力は強大だった。北の、吹雪で殆ど視界の利かない地に辿り着いた時には、エンジュ
ただ一人になっていた。
その寒さで涙や鼻水は凍り、身体を温める火も、人間に見つかるかもしれないという恐れか
ら使う事が出来なかった。北の大妖怪の居る詳しい場所も分からず、絶望は当にしていた。そ
れでも、皆がここまで連れてきてくれたのだと自分に言い聞かせる事で、何とか足を動かして
いた。
気を抜けば直ぐにでも命さえ吹き消されてしまいそうな風と寒さ。何時現れるとも知れぬ人
間の恐怖。人間より強い身体を持つ妖怪であっても、エンジュは未だ幼い身。その精神は既に
限界だった。
「もう・・・いいや・・・・・・」
エンジュはこの苦痛から逃れたいという願いに身をやつし、その場に倒れた。
色が映る。視界の端に橙。優しさを感じてその方へ頭を向ける。炎。静かに燃えている。分
からない。自分は死んだのか?どうなったのか?ここが俗に言うあの世なのか?
ふと耳に、小さく吹雪らしい音が入ってくる。
「まだ・・・生きて・・・の・・・?」
微かに声を出すと、それに呼応するかのように直ぐ近くで物音がし始める。
「おい」
その声に身体は跳ね上がり、思わず顔を向けた。居たのは「人」。
「ひ・・・と・・・にんげん!?ひ・・・ぃぃぃぃぃ・・・」
恐怖の余り叫び声すら満足に出せない。
「ふ・・・我を恐れるか・・・無理もなかろう・・・。何を隠そう、我こそが!この極寒の闇を支配せし
大・妖・怪!なのだからなあ!!」
吹き荒ぶ吹雪よりも煩く、女は笑う。
変な人。妙な恐怖感はあるが、それは人間に対してのものとは質が違う気がする。それより、
「よう・・・かい?」
「ああ、そうだ」
女はそれを証明するかのように、何も無い所から氷でできた兎を作り出して見せた。
「安心しろ。我はお前の味方だ」
受け取った氷の兎は冷たかった。でも、頬に当てると、心に温もりを感じた。
「それにしても驚いたぞ。火が見えたから近付いたら、その中心にお前が居たのだからな」
「え・・・?」
燃えていた?火を使った覚えは無かったのだが。
「何だ、心当たり無さそうな顔してるな?んじゃあ、本能的に身体が生きようとしたのかもし
れんな。お陰でお前を見つける事が出来たんだ、己の生存本能に感謝するんだな!」
そう言い女は笑う。その顔を見ていると、次第に安心感が広がっていくのを感じる。そして、
「う、うう・・・ううううう~!」
温かい涙が溢れ出してきた。それを見た女の人は優しく抱き締めてくれた。
「一杯・・・頑張ったな」
エンジュもまた、吹雪に負けない程の大きな声で泣いた。
「成程な。確かにこの所の人間共の所業は目に余る。妖怪たちの間で対応を決めておくのはい
いかもしれんな」
「それじゃあ・・・いっしょに・・・!」
しかし、その表情は芳しくなかった。
「あの・・・なにか・・・?」
「四方の大妖怪が全員集まるのは難しい・・・いや、無理と言っていいだろうな」
「ど、どうしてですか?」
『南の大妖怪』性別不明。背丈も形も持つ力も不明。いつから存在するのかすらはっきりし
ない。大妖怪含め、誰一人としてその姿を見た事が有る者のいない妖怪であり、ここまで情報
が無い辺り、存在するかすらも怪しい位である。
『東の大妖怪』西の大妖怪と並ぶ最古参の妖怪であり、血の気が多く、気分を害せば同じ妖
怪であってもただでは済まないと言われる程。此度の事態に相当頭に来ているだろう事は見な
くても分かる。そんな東の大妖怪が西へ向かうために人里を何事も無く横切る(東の大妖怪は
回り道などしない)のは不可能。必ず戦いになるのは火を見るより明らかである。
そこで北の大妖怪は、東の大妖怪が何事も無く東に辿り着けそうなら、自分も西へ移動する
事にし、一先ずは東の大妖怪の動向を見守る事にした。
それから時を短くして、予測は現実のものとなった。有ろう事か、人間の方が東の大妖怪の
縄張りに足を踏み入れたのである。
当然、東の大妖怪は激昂。単身、人間たちの前に立ちはだかり、戦いが始まった。
その戦いは一方的なものとなった。人間の造り出した兵器は大きな物から小さな物まで様々
でありながら、どれも至極強力であった。だが、それ以上の、それらを遥かに凌ぐ力を東の大
妖怪は持っていた。
人間たちの兵器は、東の大妖怪にとっては玩具同然。如何なる兵器を用いようとも傷一つ負
わせる事も敵わなかった。それどころか、人間が兵器を使っている様を見てそれらの使い方を
覚えた東の大妖怪は、向けられる兵器を次々と奪い取り、逆に人間たちへと向けた。
東の大妖怪の地から這う這うの体で逃げて行った人間たちであったが、東の大妖怪の怒りは
未だ治まってはいなかった。東の大妖怪はついに人里に降り立ち、奪い取った兵器を以って無
差別に攻撃した。爆弾が、鉄の塊が、人里に雨のように降り注いだ。
三日三晩に亘り続いた戦いと言う名の殺戮。その惨状はまるで、子供が玩具で遊んだ後のよ
うだった。
遊び終えた東の大妖怪は人間に言葉を残していった。
「次は種ごと根絶させる。肝に銘じよ」
と。
この惨事は後に「東の大殺戮」と呼ばれ、これを機に人間と妖怪とは完全に隔絶された存在
となった。
何にせよ、人間の侵攻は止まった。エンジュの役目も終わったのだ。
「全く、イヲリの奴め・・・最古参で偉いからって一人で滅茶苦茶やりやがって・・・。人間共に一
泡も二泡も吹かせたいと思っているのはお前だけじゃねえってんだ!」
どうやら北の大妖怪は、一人で人間を懲らしめた東の大妖怪を羨ましく思っているようだ。
「あの・・・大ようかいさま?」
「あん?」
「わたし・・・もう行きます・・・」
「何でだ?」
「やくめが・・・おわったので・・・」
「そうか」
素っ気無い返事。もう少し何か言葉を掛けてもらえるかと期待していた。だが、北の大妖怪
は名前すら教えてはくれなかったし、所詮自分はその程度の存在だったのかもしれない。それ
はそうだ。自分なんかよりも遥かに永く生きている訳だし、出会って別れてなんて、数え切れ
ない程してきたのだろう。だから、一々感傷に浸ったりしなくても不思議ではない。
エンジュは寂しさを堪え、一歩、踏み出した。その時、
「で、何時帰って来るんだ?」
そう・・・聞こえた気がした。自分が余りに寂しがっているから、都合のいい声が聞こえただけ
の、ただの空耳かもしれない。エンジュは振り返らず、再び歩き出す。振り返ってしまえば、
もう外へ足を踏み出す勇気が無くなってしまう・・・。
「無視すんな!寂しいだろ!役目が終わったらはい、さよならか?炎使いの癖に冷めてんな!」
それは空耳なんかじゃなかった。頭をくしゃくしゃと撫でられながら掛けられた言葉は、確
かにその人の言葉だった。
「でも・・・だって・・・なまえも・・・」
「名前?ああ!訊かれなかったからな。興味無いのだと思っていた。違うのか?」
エンジュは全力で首を横に振った。
「そうか、それは悪かった。我が名はヒサメ。北の大妖怪のヒサメだ!お前の名は?」
「え・・・えんじゅ・・・」
「エンジュ、か・・・綺麗な名前してるじゃないか。将来は美人さんになるな!って、今は違うの
かとか勘違いするなよ?今は可愛い、だからな?」
エンジュの目から涙が零れ落ちる。褒められて嬉しいからではない。こんな普通の会話が、
出来て嬉しいとという想いと、もっとしていたいという想いが、願いが目から溢れ出てきてい
た。それを優しい顔で見ていたヒサメは問う。
「エンジュ、お前はどうしたい?西へ戻るか?それとも・・・ここで共に暮らすか?」
エンジュは迷わず即答できた。だが、共に暮らすかと言ってくれた事が嬉し過ぎて、上手く
声を出す事が出来なくなってしまっていた。それでも、自分の想いを伝えたい、その一心で声
を絞り出した。
「い・・・いざめ、ざまが・・・いぃ~!」
「よし!ならば思う存分此処に居るがいい!今日からエンジュ、お前は我が妹だ!」
ヒサメが両手を広げる。エンジュは涙で前が見えていなかったが、それでも必死に、全力で
手を伸ばし、ヒサメの胸に飛びついた。




