カテドール、再び
晩御飯を食べて予定通りに、指定された天界城前の噴水広場にやって来た。「噴水」とは言
うが、水は出ていない。ここだけが出ていない訳ではなく、この「死神界」にある「噴水」の
全てがこの状態なのである。
それは、この死神界には「海」が存在しないため、水自体を得るのが困難なのだ。かつて、
今の天使界と一つであった頃には海が存在していたため、噴水も景気良く水を出していたのだ
が、海が無くなってからは、この噴水には別の役割を与えられる事になった。
それは「水道」と呼ばれる役割である。海の在った時代の名残から、地下水は豊富にあるた
め、それを吸い上げ、噴水の柱に取り付けられた蛇口を捻る事で水を得られる様になっている。
そんな噴水が各地に幾つも存在し、この世界ではそうして水を得て生活している。
月明かりと噴水に取り付けられている幾つかのランプだけが辺りを照らす薄暗い中、まだ来
ていない「カテドール」なる人物を待つ。次第に冬へと近付いている事もあり、こんな時間に
外を出歩いている人など殆ど居ない。待っているのも楽ではない。早く済ませて帰りたい。
「早めに来てくれねえもんかな・・・」
置いた棺に腰を掛け、手を擦り合わせる。今は冬が目の前に迫る秋の下節の中頃、生憎、三
人が座るには十分な大きさがあるので、寒空の下に立ちっ放しという事態だけは免れる事が出
来た。
「そう言えば、その『カテドール』さんと言う方ってどんな方なんですか?」
持っている情報は「偉い人」と言うだけで、性別もその見た目も性格も分からない。気難し
い、機嫌を損ねたら直ぐ帰ってしまうような人でなければいいのだが。
「女性です。猫で死神族の、大人しい感じの方ですな」
「猫で・・・死神・・・・・・いや、まさかな・・・・・・」
ちらりとあの日の夜の光景が脳裏を過ぎる。
(バンリさん・・・もしかすると、もしかするかもしれません・・・)
ガルも思い当たった様で、不安な声色をしている。
「おや?何か心当たりでも?もしかして、お会いになった事があるとか?」
「・・・・・・」
バンリは自分たちを襲った人物がその「カテドール」なる人物の特徴と似ているという事を
話すべきか迷っていた。確かに、同一人物である可能性はあるのだが、その見た目の特徴だけ
でそうではないかと判断するのは早計だろう。相手はお偉いさんだ。それが自分を探すなど、
魂を「斬る」事などするだろうか?でも、とりあえず、襲ってきた相手の特徴の事は話してお
いた方がいい気がする。
「なあ、あたしの魂を斬ったやつの特徴なんだけどさ」
「お嬢様!」
爺が突然立ち上がった。その目線の先に、居た。
「よくぞ御出で下さいました、カテドール様!お忙しい所、御時間を戴きまして、ありがとう
御座います!」
「こんばんは。・・・バンリ、さん」
「!!」
それは、見紛う事無く、あの夜の女だった。バンリの方を見て不敵な笑みを浮かべている。
「バンリさん!」
その視線を遮るようにラキエルが立ち塞がる。
「お?どうなされましたかな?」
「爺やさん、あの人が・・・」
突然、声が聞こえなくなる。口は動いているが、その声は全く聞こえてこない。
(ラキエル、どうした!)
バンリはそう発声したつもりだった。だが、自分の声ですら聞こえない。この中でこんな事
が出来る可能性のある人物はただ一人だった。だが、先程まで居た場所にその人物カテドール
の姿は無かった。
急ぎ、辺りを見渡して直ぐだった。その鎌は既に爺の魂を捉え、その身体から抜き去った。
(じ、じいいいいい!!!)
叫んでも、その声は何の音にもならない。抜き取った魂を腰にぶら提げていたランプの様な
形の容器に閉じ込め、女は標的をこちらに移して鎌を手にゆっくりと歩いて来る。
(信念の剣!)
杖を手にしたラキエルが女と対峙する。そして、手振りで逃げるよう催促する。
逃げたくない!見捨てるような真似なんてしたくない!だが、今のバンリにはどうする事も
出来ない。今のバンリの鎌ではあの女の鎌を受け止める事すら出来ない。しかも、今はガルと
一体になっている状態だ。自分の無茶でガルまで危険に晒す訳にはいかない。
(くそっ!)
バンリは踵を返し、助けを求めるべく走り出す。だが、
ドン!
何も無いはずの所に見えない壁があり、それより先へは進めない。
(またか!)
あの時もそうだった。あの女から逃げようとすると、見えない壁に阻まれる。
(やはりあの女の能力か!)
あの時とは違い、今は音まで消されている。ただ結界のようなものを張るだけでは無いだろ
う。全く得体の知れない能力だ。そういえば爺は言っていた。力の強い死神だと。高名で強い
力を持った死神だと。
音の聞こえない打ち合いを続けるラキエル。激しく打ち込んで行くその姿は焦っている様に
見える。対する女は軽くそれらを往なしていて、全く堪えていない。
(ラキエルのやつ、どうしたんだ?)
明らかに冷静さを欠いている。あんな乱雑に打ち込み続けても、あの女に届くとは思えない。
むしろ、ラキエルの方が息切れを起こしてしまうのは目に見えていた。
(どうしてそんなに焦ってるんだ?確かに状況は状況だが、あの時はそんな事無かったのに・・・)
爺が魂を狩られたのを目の当たりにして焦ってしまったのだろうか?それにしてもおかしい。
お得意の「自分に対する命令」を行っていない様に見える。
ラキエルは歳の割に大人びていて、こういった状況においても冷静に判断して行動できるよ
うなやつのはずだ。それに、予めあの女と対峙する事になるかもしれないと予測もしていた。
そのラキエルがこうも冷静さを欠くのには、何か別の理由があるのではないか。
(くう!)
バンリがそう考えを巡らせている間にも、ラキエルが目に見えて疲れてきていた。攻撃の間
隔が広がり、合間に大きな隙が出来始めている。だが、女はその隙を突こうとせず、ラキエル
に攻撃をさせ続け、自分は悠悠と最小限の動きでそれらを往なしている。ラキエルを完全に疲
れ果てさせ、動けなくしようとしているのは明白だった。ラキエルならそんな事くらい分かる
はずだが・・・・・・
(くそっ!どうしたらいい・・・あたしに何が出来る・・・)
逃げて助けを呼びに行く事も出来ない。戦いに加わった所で、今の自分ではあの女の一振り
すら受け止める事は出来ない。冷静さを欠いて、今にも倒れてしまいそうなラキエルの様子が、
何も出来ない自分が、バンリを精神的に追い込んで行く。
突然、つばぜり合いをしながら、ラキエルが顔をこちらに向けた。目が合った次の一瞬、そ
の視線が下に移った。ラキエルは直ぐに女に向き直ると、力を振り絞って再び激しく打ち込み、
女を押してバンリから遠ざけて行く。
(な、何だ・・・何が言いたいんだ・・・・・・あたしは何をすればいい!)
何かを訴えかけられたのは分かった。だが、バンリにはその真意を受け取る事が出来なかっ
た。焦る気持ちが更にバンリを追い込んで行く。
その時だった。
(棺です!)
声が聞こえた。いや、正確には言葉が脳裏に浮かんだと言うべきだろうか。それは、一体と
なっているガルの思考だった。
(棺・・・・・・はっ・・・そうか!その手があったか!)
バンリは漸くラキエルが何を言いたかったのかを理解する事が出来た。バンリは噴水の太い
柱によって、女の死角となったタイミングを見計らい、棺を背中に担いだ。
バンリの見立て通り、ラキエルは焦っていた。その原因は「音が発生しない」という状況に
あった。
(強く振るえ!相手を吹き飛ばせ!)
いつもならば、身体の奥底から力が湧き上がり、その命令を遂行する。だが、今の状況下で
は幾ら口を動かしても、身体には全く反応が無い。
そう、ラキエルの「命令」の力は「発声」をする事が出来なければ効果を発揮できないので
ある。「対象の心に隙がある」という前提条件以外に、相手に命令をする場合は、「発声」と
「相手に聞こえる」事が必要となる。そのため、自分自身に命令する場合は、実質「発声」す
る事さえ出来れば効力を発揮させる事が出来るのだ。だが、それすら出来ない今の状況は、ラ
キエルにとっては力を封じられたも同然であり、この状況下では非力なただの少女でしかない。
だから、相手を自分に惹き付けるためには、こうして力の続く限り杖を振るうしか方法が無
かったのだ。
相手に届く事は無い事も分かっている。それでも、少しでも時間を稼ぐ事で何か、この状況
を好転させるような何かしらが起こる事を狙っていた。
そうして思い浮かんだ何かしらが「バンリの魂が封じ込まれた棺」だった。
ラキエルの身体に、遂に限界が訪れる。最後に振り絞って叩き付けた一撃も力無く、簡単に
受け止められ、その衝撃でラキエルの手から杖が弾き飛ばされてしまった。
(はあ、はあ、はあ、はあ・・・・・・)
遂に膝を突き、肩で息をしている。眼前で力尽きた少女に、女は無慈悲に鎌を振り上げ、い
よいよ攻撃の意思を示した。ラキエルが顔を上げた瞬間、その鎌が振り下ろされる!
音の失われたこの空間ではイマイチ実感は無かったが、バンリはその背中に衝撃を感じ取っ
た。どうやら、背に担いだ棺で鎌を止める事が出来たようだ。
(ラキエル、すまん。大丈夫か?)
聞こえないと分かっていても、声を掛けずにはいられなかった。バンリの言っている事が分
かるのか、ラキエルは笑顔を見せた。
棺に突き刺さった鎌は、抜こうにも簡単には抜けそうに無い程に深々と刺さり、女は一度鎌
を仕舞うしかなかった。
女が鎌を仕舞う、もとい虚空に消し去ると突然、夜の静寂の音が耳に入り込んできた。
「!?お、音が!」
驚きながらも、漸く音が戻った事に嬉しさを感じたのも束の間、女は飛び退いて距離を取り、
再び鎌を取り出して何やら呟き始める。
『空間制定・逃さずの間』
その瞬間、女から何かが広がって行ったのを感じ取った。
「やっぱり間違いない!あいつの仕業だ!」
女は直ぐにまた何かを呟き始めた。
『規則制定・・・』
「これ以上は!」
好き勝手させる訳にはいかない。バンリは鎌を取り出し、中々に重い棺を背中に担いだまま
女に向かって走り出した。当然、このまま斬り掛かっても返り討ちに遭うのは目に見えている。
だから、投げた。斬りかかるぞ!という構えをしておいて、投げた。
「な!?」
女は予想外の攻撃に言葉が詰まってしまう。慌てて飛んできた鎌を鎌で払い除けた。が、そ
の直ぐ目の前にバンリが迫って来ていた。バンリは勢いそのままに、女の腹部目掛けてタック
ルを噛ました。
「うぐ!!」
棺の重さも相俟って、タックルの威力は女の呟きを止めるには十分だった。それでも女は何
とか踏ん張り、倒れはしなかった。女の力の発動を阻止したものの、その手にはまだ鎌が握ら
れており、眼下で腹部に抱き付いているバンリにそれを振るうだけの余裕があった。
「だめ!このままではバンリさんが・・・!」
ラキエルの目にはそう映っていた。だが、女はあろう事か鎌を地面に手放し、両手でバンリ
を力尽くで引き離しに掛かった。脚を大きく開いてバランスを取りながら堪えるバンリを引き
剥がすのは簡単では無かった。
真意はどうあれ、これは明らかな隙だった。ラキエルは再び杖を手にする。
「命ず『私よ、全力で・・・ぶん殴れーー!!』」
体力に限界を迎えていたラキエルの身体であったが、その命令を受けた途端、疲れ果ててい
るとは到底思えない速さで走り出した。
女の目にもそれは映り、地面に落ちている鎌を、まるで糸でも付いているかの様に鎌がひと
りでに動き、手に取った。そして振り下ろされてくるだろう杖を受け止めるため、構えた。
「はああああ!」
ラキエルの杖は確かに振り下ろされた。だが、それは女が鎌を構えた位置よりも手前、バン
リが背負っている棺の真上だった。正確には、棺の蓋に付いた傷口にそれは振り下ろされた。
「うぐふう!」
突然の衝撃にバンリが呻き声を上げる。広げられた脚はその衝撃で更に広がり、
「あだだだだだ!」
今にも股が裂けてしまいそうな痛みに、今度は叫び声を上げる。女に掴みかかっていたのが、
今は女の身体が支えとなっている。
打ち込まれた一撃は棺の傷口を広げ、拳が入るくらいの穴となった。
「バンリさん!魂を!」
蓋に開いた穴からならば魂を取り出せると、ラキエルは思っての行動だった。本当なら、ラ
キエルが自分で魂をバンリに返してやりたかったが、天使族のラキエルには魂が見えず、触れ
る事も出来なかった。
だが、突然の痛みもあり、バンリは何事かを理解できなかった。そもそも、棺を背負ってい
る今の体勢では、棺の内部に手が届かない。
「くっ!うううううーー!!」
バンリが理解できていない事を悟ったラキエルは、今度はバンリの真後ろから、バンリを押
し込む様に体当たりを噛ました。
「うおお!?」
「これ・・・は!」
股を開きすぎたバンリの支えとなっていた女の脚は、バランスを取るのでいっぱいいっぱい
だった。そこに押し込まれる様に伝わってきた力に耐え切れず、遂に後ろへ倒れこんだ。その
拍子で、手に持っていた鎌は再び手を離れ、カラカラカラカラ、と軽い音を立てて地面を転が
った。
「バンリさん!棺の蓋の穴から手を突っ込んで下さい!早く!」
急いで一緒に倒れたバンリの背から棺を下ろさせながら説明する。
「お、おう!」
何となく理解できたのか、バンリは急いで起き上がり、蓋にできた小さな穴に手を入れ、魂
を手探りで探し始めた。
倒れ込んだ足元でごそごそしているそこから女は抜け出し、三度鎌を手に戻す。
バンリも直ぐに魂を見つけ、遂に自身の残りの魂をその手にした。後は棺から手を引き抜き、
自分の身体に戻すだけだ。だが、そこに女が鎌を振りかぶる。
「少し、大人しくして貰います」
「く!」
間に合わない。ラキエルが命令を口に出来る時間的猶予は無かった。
「とおーーー!」
「なあ!?」
突然、バンリの身体から青白いモノが飛び出し、一瞬で小さな人型に形を変え、その勢いの
まま、女に飛び蹴りを噛ました。それに実体は無く、女の身体に当たる事は無かった。だが、
魂に対しては別だった。
青白い小さな人型の放った飛び蹴りは、本来なら鎌を振りかざしていた腕に当たる所を見事
に擦り抜け、女の胸部、魂にクリーンヒットした。
「ぐう・・・はっ!ぎゅむううううううう!!」
どんな痛みなのか、どれ程の衝撃なのか、見ている分には分からない。バンリが魂を斬られ
た時は、痛みは特に感じなかった。ただ、意識が薄れて行くだけだった。だが、女は立ってい
る事も出来ない程までに苦しんでいる。
「と、ともかくだ!魂よ!あたしの身体に戻れ!」
バンリは手にした魂を自身の胸部に押し当てる。すると、魂はゆっくりと身体の中へと入っ
て行き、遂に、漸く、何とか、一つの完全な魂となった。
「ふうううう~~~・・・・・・」
吐き出したその溜め息には、ここまでの苦労やら何やらが詰まっているのだろう、大きく、
そして永かった。
「漸くだ・・・やっと戻ったぞーーー!!」
バンリは雄叫びと共に高らかに両手を上げた。その表情はとても嬉しそうで、この死神界に
来てから一番の笑顔だった。
「これでやっと『バンリ1/2』からバンリさんになれましたね!」
「バンリさん、池に落ちたんですか?」
「落ちてねーよ!というか、ガルさん、小さくないっすか?」
改めて見ると、今のガルは二頭身くらいしかない。まるでぬいぐるみのようだ。
「凝縮してますから」
笑顔で答える。
「あ~・・・成程・・・。いつもの人型だと希薄だけど、今の状態なら密な訳っすね?」
「どんな意味があるんですか?」
「強いんです!魂が!」
はあ。二人はイマイチ理解出来ず、目を丸くする。
「以前、斬られそうになってから、どうすればあの鎌に対抗出来るかと考えていたんです。そ
れで思いついたのが、魂を密にして硬くする事だったんですよ」
炎の様に揺らめいている通常の状態では、何の力も抵抗力も無い。だが、人型へと変化した
際には、「その姿を保とうとする力」が働き、魂として強くなり、結果として硬さを得る。そ
れを更に「強さ及び硬さ」に特化させたのが今の姿なのだ。姿が小さいため、姿を構成する表
面積が従来よりも圧倒的に小さくて済み、表面をその分強固に補修する事が出来るのだ。
見た目にもそれは表れており、前の姿よりもはっきりと顔のパーツが見て取れる。
「そんな事が出来るのか・・・」
「ガルさん、凄いですね!」
「えへへ~。長年幽霊やってますから~。魂の使い方には自身があるんです!」
ガルが小さな身体のまま得意げに胸を張ってみせる。
「まざが、ごんな・・・形でダメージを負う事になろうとは・・・ふう・・・思いませんでした・・・・・・」
そうこうしてている間に、女は漸く苦痛が治まったのか、鎌を杖代わりにふら付きながら立
ち上がった。
「何故だ?何故あんたはあたしを狙う?あたしなんかに何があるって言うんだ?」
未だに分からない、狙われる理由を問う。だが、女は呼吸を整え、鎌を構えるだけで答える
素振りを見せない。
「ホンと分かんねえ・・・何であんたみたいなお偉いさんが・・・・・・」
バンリは魂のある胸の辺りに手を置く。
「来い・・・『あたしの』・・・鎌!」
前方に突き出した手元に、鎌が出現する。その鎌は、これまでバンリが手にしていた鎌とは
大きさも色も、見た目も違っていた。
魂の様に青白い、まるで草刈り鎌の様な小振りの鎌だった。
「バンリさん、小さくないですか?」
「バンリさん、小さいですね!」
「あたしが小さいみたいに言うな!」
だが本当に小さい。はっきり言うと、頼り無い。
「もうそろそろ・・・始めるとしましょう」
女は小さく呟くと、腰に提げていた、爺の魂の入ったランプの様な形の容器を外し、バンリ
たちの真上へ、空高く放り投げた。
「な、なにぃ!?くそ!掴み取れ!」
バンリが鎌を振るうと、鎌の刃先が鞭のように伸び、空中の容器を絡め取った。ほっとした
のも束の間、三人の視線が空へと移ったその瞬間、女はあの呟きを始める。
『規則制定・無手』
「うお!?」
「きゃっ!」
バンリとラキエルの手から、鎌と杖が弾かれる様に零れ落ちる。手元に引き戻す途中だった
容器も落下してしまったが、容器は破損せずに済んだ様だ。いや、でも魂は地面にぶつかって
も壊れたり傷ついたりしないし、この場合は閉じ込めている容器が壊れる方が良かったのでは
ないか?と、無事に地面に転がる容器を見て思った。が、今はそれ所ではない。
「またおかしな力を!」
バンリは女の方に向き直り、地面に落とした鎌を手に取ろうとするが、
「い!?ってえ!」
バチィ!とまたもや拒絶されるように弾かれてしまう。ラキエルも同様らしく、杖を手に取
る事が出来ない様だ。それは女も同じ様で、鎌は地面に転がっている。
「さあ・・・ここからは正々堂々、己の肉体による肉弾戦と洒落込みましょう」
女は指をポキポキと鳴らすと、四つん這いになる様に左手を地面に突く。まさに猫のような
佇まい。恐らく、あれが女の構えなのだろう。天に向かって立ち、ゆらゆらと揺れている尻尾
が妙に不気味に感じる。
「く!」
仕方なくバンリたちも構えるが、所詮は大人と子供。数では勝っても力では敵わない。せめ
てここに大人が、爺が居てくれたらと、さっきの容器が割れていればと後悔の念が頭に過ぎる。
女は直ぐには仕掛けて来なかった。暫しの睨み合いが続いた。その間にも、バンリたちの脳
内には先行きの不安や何か出来る事は無いかなどの雑念が次第に強く渦巻いていく。そしてそ
れは集中を途切れさせ、隙を生んでしまう。
一瞬だった。バンリの目線が地面に向いた瞬間、女は地面を蹴り、
「バンリさん!」
「!?」
バンリが目線を戻した瞬間には、もう既に目の前にまで迫っていた。
こうなってしまっては、最早構えも意味を成さない。子供であるバンリの目線よりも更に低
い体勢から、女の右の掌がバンリの鳩尾を捉え、後方へ軽々と吹き飛ばした。
「ごあっ!」
声ではない、衝撃によって自然に発生した音が、バンリの身体の奥底から押し出される。
女はその低い体勢のまま、驚く程の俊敏さでラキエルに迫る。
「くう!」
ラキエルは苦し紛れに蹴りを繰り出すが、当然、効果的ではない。一瞬で後方に回り込まれ、
低い体勢からの蹴り上げがラキエルの背中を打ち抜く。
「あがっ!」
ラキエルもまた大きく、バンリとは逆方向に吹き飛ばされてしまった。
「バンリさん!ラキエルさん・・・!」
残されたのは、小さなガル一人。ガルには物理攻撃は効かない。だが、ガルを見つめる女の
鋭い眼光が、ガルの不安を駆り立てる。
ガルが怯んだ一瞬を突き、女は未だ起き上がれずに苦しんでいるバンリ目掛けて地面を蹴り
だした。
「ば、バンリさーん!」
女は高々と飛び上がり、空中で拳を力強く握る。そしてそのまま、横たわるバンリの真上目
掛けて落下して行く。
「穿て魂深!『秘技・魂砕き!』」
女の拳が青白い光を纏う。最早、成す術は無い。その拳は真っ直ぐにバンリの魂を打ち砕く。
そうなってしまうはずだった。
「させるかあ!」
女の拳は、地面に直撃した。
突如として現れたその給仕服を着た女性は、寸前の所でバンリを抱え、女の拳をかわした。
「大丈夫かい?お嬢さん」
その女性は格好付けた声色でバンリに手を差し伸べる。
「だ・・・誰だ・・・あんた・・・?」
ダメージにより、未だにはっきりと声が出せない状態でその女性に問い掛ける。
「おやおや、お忘れかい?」
女性はバンリを優しく壁にもたれ掛けさせると、自身の尻尾をバンリに見せ付ける。その尻
尾の形状からして、狸だろう。女は見返して言う。
「あたしゃあ、リオン。お嬢さんのお母上さ」
目の前の女性=リオン・・・これが新しい情報で、つまり、どういう事かって言うと・・・・・・従来
の式「リオン=母親」の「リオン」の部分に「目の前の女性」を代入してみると・・・最終的には
『目の前の女性=母親』という事になって・・・これが答えだ!って、え?
バンリは漸く事態を理解した。
「おふ・・・くろ・・・?」
給仕者リオンは親指を立てる。
「え・・・えええええええええーーー!!!???」
暗く、静かな夜陰の空に、バンリの叫び声がこだまする。




