第3節
そもそも、なぜヴァスコ号は太陽系外へ旅立つのか?
それは今の地球に巻き起こる、民間による資源獲得競争へと峰岸商事が参戦するためである。
今より数年前に代表連合が発射した無人の系外探査機はアメリゴ航法を繰り返しながら旅を続け、有用な資源を豊富に持つ可能性のある星を39個発見し、報告した。それぞれの星のデータが民間に広く公開されるや否や、企業たちは一刻も早く開発と入植を行うための競争を始めたのだ。「未知惑星への挑戦」というコピーで投資を集め、ミステリアス-1〜5と名付けられた惑星はすでに大企業の手が入っている状態だが、ミステリアス-6以降の星はあまりにも遠く、各社手をこまねいている。
そこに目をつけたのが峰岸商事だった。最遠最後の未知惑星ミステリアス-39へと少数精鋭で人員を送り、そこまでの安全な航路、星の正確な地理情報を獲得して他企業に販売する。それがヴァスコ号に与えられたミッションだったのだ。一筋縄では行かないこの任務に、ドキュメンタリー作家である白河麒麟を乗せたのには「対企業向け」の宣伝の意図もあったことだろう。
ヴァスコ号のスペックに基づいて計画されたスケジュールは目的地まで3ヶ月、往復半年である。閉鎖空間で長期に渡り拘束される過酷な仕事に際して沙耶香は様々な要求を峰岸会長に通しており、乗員7名、擬似人格医療用AIが1基での快適な航海を実現していた。
クルー同士も間も無く打ち解けていき、とくに航行中はやることの少ない学術調査・アドバイザー要員は艦内をぶらつきまくって好奇心を満たし、手隙のクルーとおしゃべりをして楽しんでいた。
だが、この最初の1ヶ月の時点で、沙耶香以外のクルーにとっての長野柳太郎は謎多き男であった。彼の纏っていた近寄りがたきヴェールは、予想だにしなかった緊急事態によって取り払われていくことになる。
*
もう4度目になるワープが終わり、柳太郎は一週間の終わりと、新たな週の始まりを感じていた。アメリゴドライブのクールダウンが正常に行われているかを確認してしまえば、あとは美味いメシをくって、シャワーを浴びて、就寝するだけ。
「それだけしたってスケジュールはまだ余ってるわよ? たまには白河先生や森田先生みたいに、みんなとおしゃべりしてみたら良いのにぃ」
モニターにバニーガールの格好をしたアシモくんのようなアニメーションがポップし、トーンの高い合成音声で語りかけてくる。一瞥した柳太郎は「チッ」と舌を鳴らした。
「ドクター・ナデージュ、心理カウンセリングはいらねぇって俺言ったんだけどな?」
画面上のナデージュは「呆れた」または「困り果てた」ような表情にモーフィングしていく。なんとも柔軟で可愛らしい仕草であるが、彼女はそれだけが取り柄のマスコットでは決してない。ドクター・ナデージュの正体は乗組員の健康状態を管理し、有事には適切な処置を施すことのできる医療用AIなのだ。普段はヒューマノイド的なボディに収まって医務室に待機しているが、艦の制御AIとも深く連携している彼女はこうしてデジタルな姿で皆の前に姿を現すこともある。
「あなただけの問題じゃないわ。これはクルー全体の関係を円滑にするためのマネジメントだと思って欲しいわね?」
「そりゃあ棟梁の仕事だろう? ドクターの管轄じゃない。俺の能力も適正も、棟梁と会長が保証してんだから大丈夫だろうがよ」
ナデージュの表示された画面を右へスワイプして隣のモニターへ押しやれば「あらぁ!?」とアプリケーションごと彼女は流されてしまう。メインモニターにアメリゴ・ドライブの監視モニターを映して、デスクに頬杖をついて睨むことで「仕事の邪魔をしてくれるな」という態度をとる。
「んもぅ、そうは言ったってあなた、頼れる人間はこの船にあと6人しか居ないのよ? 役割としてだけじゃなく、人間としての信頼関係を……」
いよいよモニタースピーカーをオフにしてやろうか、と思ったそのとき、一瞬だけ船体が大きく揺れた。すぐさま柳太郎は主要計器類のチェックに入る。タッチ画面をさばき物理キーを叩き、全てのステータスが正常であることを確認する。つまり、今の揺れの原因は艦では無い。
確信と共に、サイレンが鳴り警告灯が回る。艦内通信がオープンになり、沙耶香の声が響く。
「ブリッジより総員、ヴァスコは現在、正体不明の重力源と思われるものに捕まっている! これより本艦は脱出のための機動に入る。ただちに身体をシートに固定し、衝撃に備えろ!!」
重力源、という言葉が聞こえるころにはもう、柳太郎は核融合炉の管理画面を展開し、発電と蓄電、出力に関係する各種項目のコントロールを始めていた。ナデージュもいつの間にか姿を消しており、次の行き先はブリッジであった。
*
「チクショウどうなってやがる、本当にレーダーには何もなかったんだな!?」
「ハイっ、今現在も確認できる天体はありまセン!!」
赤色灯の点滅するブリッジで、暗い宇宙を映し出すフロントスクリーンを睨む沙耶香だったが、ベッキーの言う通り確かに星や小惑星の類いは見当たらないし、何より艦は強大な重力に引き込まれている。そんな影響力のある天体なら事前に分かったハズである。
「周辺調査子機展開、重力子探知! ジョン、無人探査機とヴァスコの航路の誤差はどんなもんなんだい!」
「現在±50メートル、右舷側にかなり引っ張られてるっ! コイツは完全に"ヴォイジャー5の知らない天体"だ!!」
39個の未知惑星を発見した探査機「ヴォイジャー5」の辿った進路は、今回のヴァスコの航路決定の基準になっている。つまり、一度探査機が問題なく通り抜けているはずの道だ。沙耶香は額に汗を滲ませつつ、アームレストのスイッチを叩く。
「機関室、これから宇宙速度までぶっ飛ばすぞ、いけるな!?」
「こちら機関室、いつでも行けるぞ棟梁!」
「よしっ。ジョン! 取り舵20、全速前進!!」
「イエス、マム!!」
既に強烈な抵抗のかかっている操縦桿を自慢の筋肉で微細に制御しつつ、スロットルレバーを押し上げる。宇宙空間では船体後部から彗星の尾のように青いジェットが一斉に吹き上がった。
ベッキーのコンソールでは依然周辺調査子機によるこの現象の原因調査が実行されていたが、判然としないままだ。そこへ一件の通知がポップし、ベッキーは沙耶香へ振り返る。
「艦長、ドクターから提案デス! ドクターにワイヤーシーカーの制御を渡して探知範囲を拡張しマスか!?」
「許可する! こちとら猫でもAIでも手を借りたいんだ!!」
「了解、ワイヤーシーカー発射しマス! ドクター、よろしくネ!」
船体後部に装備されている有線探査機が射出され、展開する。艦が引っ張られている方へ向きを調整するが、見据える先にはただ虚空のみで、ドクター・ナデージュが人間だったならば目を丸くしたことだろう。
(この艦は今、"何に捕まっている"というの…!?)
すぐさまタスクを切り替え、今見えている光景と過去の天文現象とに共通点が無いか、照らし合わせる作業を走らせる。その間にも、ジョンは操縦桿の手応えに違和感を覚え始めていた。
「艦長、引っ張り方が変わってきてる! 3時方向に向かって重力源が動いてるぞ!!」
「んだとぉ!?」と沙耶香が声を荒げる。だとすれば、ヴァスコに絡んできた不届きものは今この瞬間も悠々と公転でもしているというのだろうか。まるでこの船を釣り上げんとする意思を持つかのような軌道を。
「上げ舵15、取り舵10!! 機関室、エンジンスロットルはもっと上げらんねぇのかい!!?」
「無茶言うな棟梁! これ以上はオーバーヒートしちまう!! 星の重力に捕まってんなら、反重力装置に回す電力のマージンを持たせねぇと墜落する!!」
「リュウの言うとおりだ艦長っ。もう第三宇宙速度まで吹かしてるが、全く振り切れない! 推進剤もかなり食ってる!!」
「この際かまやしないよ! 振り切っちまえばここからアメリゴ航法だけで月まで戻れるっ。ベッキー、重力源はまだ分かんないのかい!?」
「光・電波測定、放射線、重力子検知、いずれも反応有りまセン! ドクターがデータベースを参照していますが、既知の天文現象にも該当無しデス!」
「ちっきしょう、どうなってやがる!?」
次の瞬間、艦全体が激しく、短く揺れる。全員が何かに掴まりつつやり過ごすが、ジョンは新たな異変に凍りつく。
「艦長、ベッキー、艦が操舵を受け付けなくなった、制御不能だ!」
操縦桿を握りしめて二の腕に筋を浮かべながら汗を流しているジョンの隣で、ベッキーが損傷や異常についてコンソールを叩いて調べ出す。
「制御機器に損傷やエラーはありまセンが、外装に異常な圧力を検知! 何か…"そと"のチカラで、船体が拘束されていマス!」
宇宙空間では、ヴァスコが抵抗むなしくその"何か"に引き摺り込まれていた。ワイヤーシーカーで懸命に現象の正体を探っていたドクターは、目には見えない空間の境を通り抜けた先に、地球の歴史において初めて遭遇する天文現象の第一発見者となる。
それまでただ暗闇が広がっていただけの場所から、「スターウォーズ」のシーン転換のようなトランジションめいた登場を披露したのは、紫色のレーザービームで編み込まれたかのごとき光り輝く幾何学模様のサークル。そして、サークルの中央から伸びる白く、さらに巨大な……。
「腕が…見える…!?」
艦内に響くドクター・ナデージュの声に、沙耶香が「あんだってぇ!?」と聞き返す。ベッキーはすぐに皆に見えるように、フロントスクリーンにシーカーが捉えている映像を表示させた。朧げに光る白い腕が、ヴァスコの船体を鷲掴みにしている。誰もが言葉を失い、しばし目を釘付けにされる。
「…光学センサーのCGI補正をカットしろ」
「今、映しているのがそれデス……」
純粋にレンズが捉え、映像素子が電気信号に変換し、特に足し引きをせずにモニターに映し出している。ということは、これが現実に起こっていることと、認めざるを得ない。
船体がさらに引き込まれて、いよいよフロントスクリーンのソースであるメインカメラも巨腕の存在を捉える。相変わらず操船による脱出を試みるが効果があるような素振りは一切無く、この艦には強力な武装も無い。
抵抗虚しく、禍々しい幾何学模様の中に船首が沈む。霞みがかってぼやけた向こう側に見えるのは、山に川、森、草原。不条理の連続でいよいよ幻覚なのか事実なのかも分からない…が、後者とすればこれは非常にマズい!!
「っ!? スラスター停止、バラスト充填急げ!!!」
操舵席からジョン、機関室からは柳太郎の返事が飛び、ただちに指示された操作が行われる。艦内照明の供給はいよいよ不安定さを増して大きくちらつく。艦の中枢部では核融合炉が性能を極限に引き出しながら電力を産み続け、膨大な電力が重力下ではヴァスコの脚を担う反重力装置へ送り込まれ、容器に封入された物質を活性化させている。
正直、頭を突っ込んだ先が1Gなのか、それ以上なのか。全く分からないがヴァスコに取れる手段はこれしかない。いよいよ船体は全て"向こう側"へと飲み込まれたのであろう。クルー全員が自分の身体の重さと一層シートにしがみつく尻、それからすぐに引き剥がされそうになる浮遊感を覚えて油汗がにじむ。
大きな鳥が低く唸るような独特の駆動音によってバラストが役目を果たしていることは分かるが、地面の近づくスピードは依然早い!!
「キールをアンロックしろ! 総員、対衝撃姿勢!!」
沙耶香の声を最後に、全員が歯を食いしばる。フリーフォールの不快さと恐怖のまま、ある者はスクリーンを睨みつけ、ある者たちは目を固く閉じたことだろう。船底はいよいよ地面へ接触し、土を抉りながら地表を滑る。全長200メートルオーバーの金属塊は壮大なスライディングの末に、重厚な樹木のクッション…森林に衝角を包み込まれるような形で停止した。
早鐘を打つ鼓動と浅い呼吸を精一杯落ち着けつつ、艦長の第一声は「総員、無事か」との呼びかけだった。ジョンとベッキーは対ショック姿勢から何とか起き上がっていき、無線越しには柳太郎をはじめとして、居住区画にいた白河麒麟、森田光樹、佐藤敏夫の7人全員の生存が確認された。一先ずは喜ばしい結果であるが、我々の前には大きな謎と困難が立ちはだかっていた。
ここは何処なのだろう。
我々は、どうやって帰るのだろう。
その答えを掴み取るには、文字通り命懸けの冒険が必要であることを、まだ、誰も知らなかった。




