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第2節

 月は南極のシャクルトン・クレーターにある港にて、探査船「ヴァスコ」は発進を目前にしていた。これから少なくとも半年は世話になる家の心臓部で、長野柳太郎は丹精込めて整備してきた船体に"血"が通っていく様子を満足気に眺めている。彼がこの艦で任せられている役割は機関長。つまりエンジンをはじめとして、スラスターや反重力装置(バラスト)などの管理や整備を統括する立場である。統括とはいうものの、ネオ・フランシス級宇宙艦はAIによる自立制御・監視システムが完備されているため、ひとたび出航してしまえば柳太郎の仕事はモニタールームに篭り、ディスプレイを睨みつけるくらいのものだ。


とはいえ、有事の際は艦内を駆け回ることもあり得るし、必要ならば船外活動も行うため、いつでも完全装備で待機している。一定のビートを刻む安全靴が、その少し上でニッカボッカースの裾を揺らしているが、これは厳密には無重力下での作業の規定には反している。しかしながら、彼のような作業者にとっては「空気漏れがあったとき、すぐに気がつける」として人気だった。一枚下には薄型の気密服を着込んでいるし、作業着の襟に隠れたジョイントからはヘルメットがぶら下がっている。これで一応安全については問題無い。


そしてさらに、ヘルメットを外した後に汗の雫がエアロックに飛ぶのが煩わしいと感じる柳太郎は、自身の茶色い短髪を常にバンダナ代わりのタオルで覆っている。すなわち、この宇宙開拓時代において最先端を走る作業者の姿は、おおむね21世紀の鳶職のそれであった。それが、長野柳太郎という男であった。


 ふいに、腕に装着している携帯端末から呼び出し音が鳴る。画面をタップして「はい、機関室」と応答するなり「こちらブリッジィ!」と景気の良い声が聞こえてくる。


「白河先生、森田先生の搭乗が完了したぜ。もうそろ出るぞ!」


声の主は本艦の艦長、平泉(ひらいずみ)沙耶香(さやか)だ。かつては地球代表連合に籍を置いていたベテランの船乗りで、ヴァスコを始めとする「ネオ・フランシス級」艦艇の艦長を務め上げている。退役後は民間の地球・月基地間輸送に携わっていたのを、峰岸会長が今回のミッションを実現するべく熱烈なスカウトを行ったと聞いていた。


「了解、棟梁(とうりょう)。こっちは問題無い。いつでも行ける」



 峰岸商事に入社する前から沙耶香と交流のある柳太郎は彼女を「棟梁」と呼ぶ。というのも、彼女は身長190センチにして筋骨隆々、現役時代は男性用の宇宙服に身を包み指揮をとっていたのだから。今だってヴァスコのブリッジの艦長用シートに窮屈そうに座る有様だ。


「んじゃ、引き続きよろしく頼むぞ」


そう言って、肘掛けから伸びたアームの先のパネルから通話を切ると、目の前で彼女と同じくらいの大男が吹き出した。


「棟梁って。先輩、代表連合でそんなふうに呼ばれてたんですか?」


操舵席から振り返る顔にはサングラスがキラリと光り、口髭はにゅっと持ち上がっている。その様子に沙耶香は「けっ」と返す。


「アイツくらいだよ。テメーと(おんな)じ変わりモンで、だから連合軍なんか性に合わなかったのさ」


「それは残念ですね。ホントに、皮肉でも嫌味でも無く。開拓企画局は貧乏でしたけど、いいカイシャでしたから、楽しくやれたろうに」


艦長から「テメー」呼ばわりされるポマードでヨコワケのナイスガイは、サングラスの位置をちょちょっと直した。彼は操舵士のジョン・ネイバー。宇宙航行技術者の養成校で沙耶香の後輩だった男で、卒業後は最先端の代表連合軍ではなく、役所的な性格の強い組織へと進路をとった。それでも在学中から操艦の腕前はトップクラスであり、沙耶香も絶対の信頼を置いている。


「ネぇ師匠(マスター)、トーリョーってなに?」


ジョンの隣に座る、副操縦士(コ・パイロット)の女性はレベッカ・シン。人懐っこく向上心に溢れた彼の弟子であり、クルーからはベッキーと呼ばれている。


「うーん、意味は「大工(Master)(-)お頭(Carpenter)」ってトコになるのかな」


ジョンが短く整えられた顎鬚を撫でながら答えると、ベッキーは頬の横で手を組んで、目を輝かせた。


「オ〜、マスター! つまりリュータローと艦長(キャプテン)は、ワタシと師匠みたいなカンジってこと?」


カーペンターズの「Top Of The World」を口ずさむベッキーに対し、艦長の反応は苦笑いであった。親指でこめかみをぐりぐりと押して、少し遠くを見る。


「ベッキー、棟梁ってのは「リーダー」みてぇな意味で、それ以上の何かじゃあ無いよ。でもまぁ、ホントにリュウがアタシのクルーだったら、アイツが"あんな目"に遭うことも無かったのかねぇ」



 柳太郎は最初の顔合わせ以外でクルーと直接の対面をしていなかったし、沙耶香以外の人物とスモールトークを交わすこともほとんど無かった。それは彼の配置がそうさせているので無く、彼の「過去のトラウマ」によるところが大きかった。


 柳太郎はかつて、地球代表連合"陸軍"の工兵だった。連合体制の成立までの歴史は決して穏やかでは無く、価値観の相違、資源の配分、経済の格差を発端とした様々な争いが発生している。これらから施設と人員を防衛するのが、彼の仕事だった。宇宙に憧れて連合軍に志願したにも関わらず、だ。


特に襲撃が多く、人員の消耗が激しい、燃料製造施設へと配属になった柳太郎は懸命に職務を全うし、たくましく生き延びた。味方も敵も、みるみるうちに死んでいく様を見せつけられ、彼は「人類が力を合わせ、宇宙を目指している」ことが信じられなくなり、終いには施設に対する大規模攻撃で自身も手酷い怪我を負った。そんな折に救援に駆けつけてくれたのが、沙耶香の指揮する艦だった。


そのまま日本へ連れ帰られた柳太郎は連合軍を退役し、峰岸商事へ入社したことで再び宇宙への道が開かれる。「下町宇宙開拓団」への出資に伴い、柳太郎は団の「月基地事業所」に編入され、以降、エンジニアとして活躍しているのだった。


「近いうち、君に更なるチャンスを用意したいんだ。そして、それは私の悲願でもあるのさ、柳太郎君」


峰岸会長に告げられた言葉が、ついに今日、現実となる。それだけを希望に日々を生きてきた。だから計器の上を走る目は冷静でも、逸る身体がむずついてしょうがない。貧乏ゆすりが止まらない。


「まだかよ、クソ……」


毒づいた途端に、「全部聞こえてンだよ」とでも言うように艦内通信がオンになる。


「ブリッジより総員へ、間も無く本艦はシャクルトン港を出航。港外に出て間も無く、アメリゴ・レイヤーシフトを行う。シートに着席し、身体を固定しておくように。以上!」


通信が切れるか切れないかくらいのところで、柳太郎は強く両足を踏み抜いた。安全靴の特殊樹脂ソールが床とぶつかり合ってまぁまぁ物騒な音を立てるが、そんなことも構わないほど彼の顔は歓喜に溢れている。


「ざまぁみろ地球(クソッタレ)! やっと出れる、系外に!!」



 「管制塔、コチラMGC-103 ヴァスコ。4番ゲートより出航許可願いマス!」


「こちら管制塔。4番ゲートは進路クリアー。MGC-103 ヴァスコの出航を許可する」


ベッキーの呼びかけに、速やかに管制塔は応えた。宇宙港の設備であるドッキングアームは外され、船体が僅かに揺れる。それに伴う微少な慣性も複数箇所に配置された小型バーニアがAIの制御で打ち消している間に、彼女はコンソールにも出航許可のシグナルが表示されているのを確認すると、手元の物理キーのスイッチを次々に押していく。


「カウキャッチャー・シールド、出力30%でテンカイ。機関全てセイジョウ!」


ベッキーの報告に沙耶香が頷いた。ブリッジの正面に広がるスクリーンの宇宙を見渡しながら、ジョンへ指示を告げる。


「微速前進。5分後、アメリゴドライブ起動。レイヤーシフトを開始する!」


「イエス、マム!」


ジョンがスロットルレバーを持ち上げる。

ヴァスコ号の左右に4基ずつ備えられたバーニアからただちに青いジェットが吹き上がり、全長約220メートルの船体をゆっくりと押し出す。ヴァスコよりも大きな船だって入れる港とはいえ、円筒の壁に囲まれたこの空間での制御が一番神経を使う。


 やがて月から生えた新芽のような建造物の庇護から抜け出すと、ヴァスコ号はビロードの宇宙空間へぽつりと浮かぶような格好になる。ジョンはスロットルを再度上げて、いよいよ船は加速する。非常に微細なデブリがヴァスコ目掛けて飛んできても、防御用のエネルギー・フィールドである「カウキャッチャー・シールド」で焼き尽くされるか、弾かれていく。


基地から十分に離れたらば、ベッキーのコンソールにはまた一つグリーンの項目が増える。目視のち、指差し確認をして、彼女は沙耶香に報告する。「レイヤーシフト、制限宙域を離脱しまシタ、予定通りデス!」


「よし、アメリゴ・ドライブ起動! 本艦はこれよりレイヤーシフト航法を行う。総員衝撃に備えろ!」


ジョンが強化樹脂で出来た透明なフタを開いて、その下にある赤いスイッチを押す。船の全体に低い唸り声のような振動が響き渡り、構造の中枢である「スパイン」と呼ばれるモジュールに、核融合炉と共に搭載された重要装備「アメリゴ・レイヤーシフトドライブ」が間違いなく起動したことを知らせていた。


 船の先端部(衝角と言っても差し支えないかも知れない)へと白い光が収束し、ヴァスコの進路上にエネルギーの奔流を投射する。到達地点には淡く光る白い靄が生まれ、それはすぐに拡大して中に虹色の空間を持つ穴となる。ヴァスコは穴へ吸い込まれていくように速度を増して、ついには本当に入り込んだ。


穴の中は虹色のトンネルのようで、船体は細かく、かつ強かに振動しながら駆け抜けていく。その先に今度はぽっかりと黒い穴が見えてくる。やはりヴァスコは速度を一切緩めずに飛び込んでいく。トンネルを抜けた先には、また宇宙があった。


船体の揺れは止み、速度は先ほどに比べれば穏やかなものになる。アメリゴドライブは沈黙し、ジョンとベッキーはふぅ、とため息をつく。


「ヴァスコ号、"オールト雲"を離脱。船体に異常はありマセン」


オールト雲、あるいはオールトの雲とは太陽系全体を覆っている、微細な隕石や氷の塊が集まって出来た殻のような領域で、ここを抜け出したということは太陽系を抜け出したことに等しい。すなわちアメリゴ・レイヤーシフトとはワープ航法の一種であり、四次元空間を経由して目当ての場所に辿り着くという技術なのだ。


アメリゴ航法は未だ発展の余地を残しており、ヴァスコに搭載されているものは稼働時間もごく短い。この船はこれから、通常航行とレイヤーシフトを繰り返すことで数光年先の目的地へと向かうのだ。


「いよっしゃ、第一関門突破だな」


沙耶香は手をパン、と鳴らして艦長席から立ち上がる。


「カウキャッチャーの出力を45%に設定。進路をケンタウルス座へ向けて巡航速度を維持。いよいよミステリアス-39(サーリィナイン)へ向けて出発だ!」

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