第1節
鳴り響くサイレン。細かく強く振動する船内。無線越しに飛び交う怒号。いやぁ4DX上映ってのは凄いんだなぁ、なんてジョークを壁に向かって飛ばしていないと、白河気凛はとっくにパニックで暴れ回っていたかもしれない。エンジンを目一杯回しているんだろう、時々室内の照明がチカチカしている。電力の不安定な証拠だ。
これが大シケの海なんだったら、さらに揺れが酷かったんだろう。作家を生業としている気凛は、取材で海洋を進む船には乗ることには慣れていたから、船酔いなんてへっちゃらだった。しかし今、彼は初めて乗る「宇宙船」で、この乗り物の特有の恐怖を思い知った。地球から何光年も離れ、万が一の事があっても救援の望みは薄い。海より桁違いに広い宇宙空間の孤独の恐怖が、自分の足元で口を開けている。
そこに落下しまいと、クルー達が必死に対応に当たる様子は、気凛のいる居住区のスピーカーからも引っ切り無しに聞こえてくる。
「上げ舵15、取り舵10!! 機関室、エンジンスロットルはもっと上げらんねぇのかい!!?」
「無茶言うな棟梁! これ以上はオーバーヒートしちまう!! 星の重力に捕まってんなら、"バラスト"に回す電力のマージンを持たせねぇと墜落する!!」
墜落!?
気凛の脳裏に最悪の光景が過る。
「リュウの言うとおりだ艦長っ。もう第三宇宙速度まで吹かしてるが、全く振り切れない! 推進剤もかなり食ってる!!」
「この際かまやしないよ! 振り切っちまえばここからアメリゴ航法だけで月まで戻れるっ。ベッキー、重力源はまだ分かんないのかい!?」
「光・電波測定、放射線、重力子検知、いずれも反応有りまセン! ドクターがデータベースを参照していますが、既知の天文現象にも該当無しデス!」
嗚呼、この船員の奮闘も、自分が原稿を持って帰らねば、故郷たる地球の人々へ届けられないと言うのに…!
地球…まだ出発して1ヶ月も経たない青く美しい星を想うとき、彼の中で、この大ピンチを迎えている船に乗ることになった経緯が呼び起こされた……。
*
時に、2323年。
第二次「大航海時代」とでも言うべき世の中への機運は、それを実現可能にする技術が長い時をかけて蓄積されていく中で自然に高まり、そして、花開いた。数光年先への高速移動を実現する技術、「アメリゴ・レイヤーシフト航法」の完成により、地球人類たちは太陽系外の生命の存在と、豊富な資源の可能性に期待した。
地球人たちの宇宙への憧れを集約し、一手に担う「地球代表連合」が創設され、その出資第三位の国である日本に生まれたことを、白河気凛は久々に幸運に思った。でなければ、自分の持てるありとあらゆるコネクションを使って、宇宙探検に同行できるチャンスなど掴めなかっただろう。
彼は秘境の動植物をテーマに各地を取材し、執筆をするノンフィクション作家である。主に彼の原稿を預かるのは都内にある「万歳社」という小さな出版社だったが、会社は気凛の生み出した金を、「下町宇宙開拓団」という事業へ出資した。これは国内の中小企業の共同出資によって有人外宇宙探査事業を行うというもので、峰岸商事という会社が音頭を取っているプロジェクトだ。代表の峰岸氏はかねてより宇宙開発に関心の高い人物で、地球代表連合の前身である月開発プロジェクトにも積極的な投資をしてきた人物だ。ということは気凛で無くても知っているくらい有名であったので、彼は普段さんざん"僕の満足いくような仕事が出来ていない!"と罵るばかりの万歳社を初めて褒め称え、峰岸氏に会わせろと捲し立てた。いつも以上に酷い金切り声をあげる気凛に耐えかねて、そこそこの面倒をこなして社長へのアポイントメントを取り付けたが、「作家先生」の相手をするよりかは幾分気が楽だったことだろう。
かくして、峰岸貴志会長との面会へ向かった気凛は開口一番に、下町宇宙開拓団の派遣する「探査船」の乗組員に、自分を加えるよう嘆願した。そして、その願いはあっさりと許可された。
「…へ?」
深々と下げた頭を思わずちょっと上げてしまい、慌てて下げ直した。今この瞬間も峰岸貴志は会長室のピカピカの窓から外を見下ろしていたが、いつ振り返るとも分からない。
でっぷりとした、首から上をカエルアンコウに乗っ取られたかのような紳士は、はっはっはと景気良く笑っている。
「ちょうど、未知惑星探査プロジェクトの最後の1人に誰を乗せようか思案していたところだよ、白河先生。これは本当に偶然なんだが、私はキミの著書を読んだことがあるのさ。しょっちゅう口語は混じるし、飯屋のレビューなんだか、風俗体験談なんだかと思うような文章もある。ガイドとの会話とかライトノベルみたいだし、しかもちょっと内容盛ってるだろう?」
拙作への罵倒の連続で頬の裏に血豆ができるかと思ったが、文字通り目の前には大宇宙が開けているので、気凛はぐっと堪えて「はぁ…ありがとうございます」というほか無かった。
しかしだ、と峰岸は続ける。
「なんたってキミの持ち味は臨場感だと私は考えているんだよ。そしてその臨場感こそが、これから大宇宙時代を迎える庶民には必要だと、思うわけだね。「自分は近い将来、同じ体験をするのだ」と、みんなにそう考えて欲しいんだ。それが子供たちを刺激し、人材を増やし、人類を豊かにする。ついでにウチも更なる投資を受けられる。なんて食いでのある…金のガチョウか、あるいはリンゴか……」
詩人気取りだろうか。単に自分に酔っているのか、それとも指に挟んでいる葉巻は"自分で巻いた"のか…。まぁ少なくとも、気凛に本当の意味で好意的ではいるらしい。さらには「まぁ、座りなよ」と、これまたピカピカに輝く革張りのソファを勧められたので、うやうやしく腰掛けると、対面に峰岸も座る。座面はちっとも沈まなかった。
「早速だが、キミの乗る船について説明しようじゃないか。まぁそんなに大したモンでも無いんだが……」
そう言って差し出したタブレットの画面に書かれた艦名を、そのまま麒麟は読み上げた。
「UNS-103 "Vasco"…ネオ・フランシス級!!?」
語尾につれて気凛の声はトーンを上げ、ついにはひっくり返った。彼の記憶が正しければ、とても民間で所有できるような宇宙船ではない筈だった。なぜなら、ネオ・フランシス級とは地球代表連合の創設初期に運用が始まった「月・地球間物資輸送船」だからだ。
早い話、彼は「軍艦を買った」と言っているようなものだった。
「今、代表連合では新しいアメリゴ・ドライブを積んだ艦への更新が進んでいるだろう? 丁度、一隻退役予定だって聞いたんでね、払い下げて貰った。民間の最新型の半分で買えたよ」
どこから聞いた? どうやって買った? など、疑問は尽きないが、この峰岸という男、想像以上にやり手らしい。
しかしながら、艦はとても良いにしたって、中身が伴わなければ気凛はあっという間に宇宙の塵と化してしまう。箱に予算を割き過ぎているんじゃと心配した臆病者は、峰岸会長におずおずと質問した。
「…して、これを誰が動かすので? 代表連合の艦を扱えるクルーなんてそうそう民間には」
「いるとも」
「はぁ!?」
つい大声を出し過ぎて気凛は自分の口を塞ぎ「失礼しました!」と頭を下げたが、峰岸からしてみれば100点満点のリアクションだったらしい。ニコニコで、得意げにソファにふんぞり返っている。
「これのために選りすぐりの人材を集めた。全て、キミの万歳社をはじめとした、支援者たちの理解と協力の賜物だ。…理解と協力。実に、宇宙時代の言葉だねぇ〜」
天井を見上げ、遥か宇宙へと想いを馳せる峰岸。そして彼は、自慢の「選りすぐった人々」の説明を始めた……。
さて、この辺りで前説としての私の視点を終える。この物語の主役が白河気凛であると勘違いされては困る。
これは、辛苦を共にした尊敬するクルーたちと、異国の地にて「最も勇敢な者」の称号を賜った男、長野柳太郎の物語なのだから。




