第3話:流行りの恋(20歳)
大学のキャンパスは、僕にとって「自由を謳歌する場所」ではなく、「さらに巨大になった暇つぶしの遊び場」に過ぎなかった。
講堂の隅でノートを取り、学食で適当な日替わり定食を食べる。そんな繰り返しの中に、ある日「異物」が混入した。
同じゼミの女子学生、美紀から告白されたのだ。
「鈴木くんって、いつも落ち着いてるよね。……私と、付き合ってみない?」
大学の裏庭。彼女の頬は赤く、視線は泳いでいた。
僕はといえば、驚きよりも先に「どう断れば波風が立たないか」を考えていた。けれど、断る理由を探すのもまた、骨の折れる作業に思えた。
付き合えば、週末の予定に悩む必要がなくなる。世間一般の大学生が経験する「恋愛」というアトラクションを、一度くらいはこなしておいたほうが、この先「普通」を擬態するのに役立つかもしれない。
「……うん。いいよ」
それが、僕たちの始まりだった。
週末になれば、ネットで調べた「人気のデートスポット」へ足を運ぶ。
お洒落なカフェで写真を撮り、話題の映画を観て、夜には少し背伸びをしたレストランで食事をする。
彼女が楽しそうに笑うたび、僕はそれに合わせて口角を上げる。「模範解答」のような相槌を打ち、彼女の手を握る。
けれど、その繋いだ手の体温にすら、僕は何も感じなかった。
映画館の暗闇の中で、僕はスクリーンを眺めながら、ふと時計を確認する。
上映終了まであと三十分。この三十分をやり過ごせば、次はディナーという工程に移る。そうやって、パズルのピースを埋めるように「恋人らしい時間」を消費していく。
「誠くん、今の映画どうだった?」
上映後、美紀が興奮気味に尋ねてくる。
僕は、レビューサイトで読んだような適当な感想を繋ぎ合わせた。
「そうだね。映像が綺麗だったし、ラストの展開は意外だったよ」
「やっぱり! 私もそう思ってたんだ。誠くんとは、やっぱり感性が合うね」
彼女は嬉しそうに僕の腕に絡みついてくる。
感性が合うのではない。僕が、彼女の期待する「正解」をトレースしているだけだ。
彼女と過ごす時間は、決して不快ではなかった。
けれど、幸福でもなかった。
ただ、ただ、時間が埋まっていく。
砂時計の砂が落ちるのを眺めているような、無機質な時間の浪費。
別れ際、駅の改札前で彼女が寂しそうに僕を見上げた。
「ねえ、誠くん。私のこと、本当に好き?」
その質問に、僕は一瞬だけ言葉を失った。
好き、という感情がどういうものか、僕には分からなかった。
心臓が早鐘を打つことも、彼女の不在に身を焦がすこともない。ただ、目の前の彼女を満足させるための「役割」を演じているだけだ。
「……もちろん。大切に思ってるよ」
嘘ではない。壊れ物を扱うように、僕は彼女を丁寧に扱っていた。
彼女はその答えに安心したように笑い、電車に乗っていった。
一人になったホームで、僕は深く息を吐く。
胸の中に残ったのは、達成感ではなく、ひどい疲労感だった。
どれだけ着飾っても、どれだけ誰かと肌を寄せ合っても、僕の芯にある「空洞」は埋まらない。
むしろ、誰かと一緒にいればいるほど、その空洞が冷たい風を立てて鳴り響くような気がした。
恋も、青春も、僕にとってはただの「ラベル」に過ぎない。
中身のないボトルに、綺麗なラベルを貼って並べているだけ。
二十歳の夏。
僕は、恋人の熱い体温よりも、深夜の部屋で一人、天井を眺めている時の冷めた静寂の方に、ずっと親近感を覚えていた。




