第36話 最後の灯り
窓から差し込む清々しい朝日。
胸がぱぁっと晴れやかになります。
直方体のダイニングキッチン。わたくしは大きなガラス窓を開けて外気に触れます。少し前に雑草の抜いたばかりだというのに、庭の地面がまた青々としてきていました。けれどそんなことも、今は愛おしい。
雑草はこうして太陽に手を伸ばしています。
わたくしも元気に生きています。
やっと。
やっと、勇者様と恋人同士になれましたわ。
昨夜は裸で抱き合って眠ってしまいました。マコトの心臓の音が耳に残っています。彼の肌の香りが鼻に蘇りました。とても落ち着く良い匂い。
恥ずかしい。けれど、とても嬉しい。ああ、すごく幸せな気分だわ。
数ヶ月前、わたくしは絶望に暮れていました。けれど、世界はこんなにも灯りに満ちていました。生きていて良かった。お父様、お母様、産んでくれてありがとう。わたくしへの愛情の無かった両親にさえ、今は感謝の念が湧きます。
とりあえずテーブルにコーヒーを用意して。
キッチンで朝食を作りました。卵を茹でて、レタスを切ります。サンドイッチを作りました。ウインナーとジャガイモと玉葱を合わせて炒めます。量は少し多め。猫にもあげるためです。他にもコーンスープも作りました。
ジュージュー、ぐつぐつと音が響きます。わたくしはふんふんと鼻歌を歌い、出来上がった料理からテーブルに並べていきました。
カチャと音がして、扉が開きます。背の高い男が入って来ました。雪のように白い肌、左目の下には泣きぼくろが揺れています。
「ノクティア、お、おはよう!」
どこかぎこちない挨拶でした。
目を合わせると、どちらとも無くクスッと笑います。
嬉し恥ずかし。
わたくしはそんな気持ちを吹き飛ばすように少し声を張りました。
「おはようマコト。コーヒーがありますわ」
「あ、ありがとう。いただくよ」
椅子に歩み寄り、彼が腰掛けました。
テーブルに料理を並べ終えると、わたくしは勇者様の隣に座ります。
マコトが心配そうに声をかけました。
「ノクティア、体、大丈夫?」
血液不足のことを心配しているのでしょう。
わたくしは笑顔で首を振ります。
「すっかり大丈夫ですの」
「そっか、良かった」
「うん、マコト、今夜は」
「君を離さない」
「離さないでくださいまし」
二人ではにかんで笑います。
いつもより勇者様の顔が赤い。
可愛いです。
「さあ、朝食をいただいてくださいませ」
「君を食べようかな?」
「朝からですの? うふふ」
「違うよ、ノクティア」
彼の唇が近づいてきます。
わたくしは嬉しくなって、
口をタコのように突き出しました。
チュッ、と唇同士が重なります。
……すごく甘い。
マコトが唇を離して、笑顔をくれます。
「君は僕のものだ」
「マコト専用の唇でございます」
「それじゃあ、今夜は飽きるぐらいにキスをしようかな」
「何度でもしてくださいませ」
「はははっ」
「うふふふ」
二人の照れた笑いが弾けて、
わたくしはまた幸福感に包まれました。
二人で朝食をいただきます。途中、猫のチケとミルがやってきて、開いている窓ガラスから床に飛び乗りました。
「ニャー」
「ゴロゴロー」
「はいはい、ちょっと待ってね」
わたくしは立ち上がり、ジャーマンポテトがこんもりと盛られた皿を持って二匹のそばの床に置きます。
ガツガツと食べ始める二匹。
キュートな光景です。
こんなに幸せな朝は、初めてかもしれません。
朝食後。仕事場へ行く準備をして、もちろん剣のベルトを装着し、二人で出発です。
家を出る時、マコトがまたキスをしてくれました。
彼は案外キス魔なのかしら?
だけど嬉しい。
わたくしは胸が熱くなりました。
早く夜になって欲しいです。
朝の静かな住宅街。並んで歩いていました。おばさん方が三人いて、井戸端会議をしています。わたくしたちを見つけると、一人が声をかけてきました。
「おはよう、ノクティアちゃん」
「あ、おはようございます」
わたくしは笑顔で返事をしました。いつもよりも深い笑顔だったと思います。だって、昨夜は特別な夜だったのですから。
おばさんは両手にクッキーの箱を持っており、差し出しました。
ちょっとびっくり。
「ノクティアちゃん、噂で聞いたよ。先日の事件、ノクティアちゃんたちが解決したんだってねえ。凄いじゃない!」
魔王軍から町を守った事件のことでしょう。
「あ、いえ、大したことでは」
「大したことだよ! 胸を張っていい。これ、あたしたちから感謝の印だよ。隣の旦那様と一緒に食べてね」
「あ、ありがとうござます」
クッキーをもらっちゃいました。
それから何度か言葉を交わして、おばさんたちと別れます。
わたくしはマコトの顔を見上げました。
「勇者様、町のみなさんが感謝してくれています」
「うん、素直に嬉しいな」
「この町、メルメイユは素敵な所ですね」
「ああ、良い町だね。いつか子供も作ろう。そして、家族で楽しく暮らしたいな」
「あら、勇者様は気が早いですわ」
「二人で頑張ろう」
「頑張るって、何を?」
「え……だから、えっと、その」
「勇者様のエッチ」
マコトが右手で首をかきます。
「男はみんなエロいんだ」
「あら、では、女性はエロくないのでしょうか?」
「ノクティアはエロいのか?」
「さあ、どうでしょう」
「今夜、確かめてやる」
「いくらでも確かめてくださいませ」
「ノクティア」
「はい?」
「もしも、魔王を倒したら」
「はい」
「その時は、僕と、結婚を……」
「あら。魔王を倒す前にしても良いのではないですか?」
「そうかい?」
「わたくしはそう思いますけれど?」
「そうか。じゃあ、そうしようか」
「はい!」
照れる話題を交わしながら、いつの間にか魔導図書灯の玄関に到着しました。
マコトと別れて、更衣室で仕事着に着替えます。半袖灰色のワンピース。
「ノクティアさん、おはよう!」
ナリナが入って来ます。栗色の髪には緩やかなカーブがかかっていました。
「ナリナさん、ごきげんよう」
「あれ! ノクティアさん、今日は笑顔が素敵だね。もしかして、良いことあった?」
「はい、ありました」
「嘘! もしかして、もしかしてもしかして、勇者様と?」
「はい!」
「うっそー!? でもでも、おめでとう、ノクティアさん!」
両手で頬を挟んで彼女が驚いてくれます。
うふふ。
愉快な友人でした。
そう言えば、わたくしは彼女に告げなければいけないことがあります。
「ナリナさん、わたくし、昇進しましたの」
「昇進って?」
「実は、今日からラスティン様の補佐官をすることになったのです」
「え、えー! それじゃあ、もう一緒にお仕事できないの? 私、寂しい」
「大丈夫ですわ。休憩時間は一緒にご飯を食べましょう」
「う、うんうん。じゃあ、昼は休憩室で待ってるね」
「承知いたしました」
室内を出て、通路を歩きます。階段を上って六階へと上がりました。
天井には魔法灯が等間隔に並んでいます。薄茶色の絨毯が敷き詰められた床。わたくしは塔長室の扉の前で、二度ノックします。
「ん? ああ、入ってくれ」
ラスティンの声がいつもより低く、どこか緊張を帯びています。
……気のせいかしら?
わたくしは扉を開きました。
その時、胸の奥がわずかにざわつきます。
――瞬間、化け物の口に食われてしまったかのような違和感がありました。




