第29話 悪夢
血のような真紅のセミロング。
胸元を大きく開いた格好の女、そのサキュバスが唇を舌でべろりとなめ回します。
「貴方たちに最高の夢を見せてあげるわぁ」
場にひどい緊張感が走りました。
あまりの恐怖に、わたくしの呼吸が荒くなります。
死が眼前に迫るかのような圧迫感。
まずいですわ。
災害級モンスターの登場でした。
わたくしはマコトの顔をちらりと見て、つぶやきます。
「勇者様、ここはわたくしが」
「待て、一緒にやろう」
黒髪の彼が杖を構えました。
サキュバスが口の端に嘲るような笑みをたたえます。
「その凜々しいオーラ、知っているわ。貴方、勇者ね」
「だから、どうした?」
「うんとね、自慢話じゃないんだけれど。あたい、これまでに勇者を16人殺したの。貴方で17人目よ。良かったわね。可愛い坊や」
サキュバスは両手の指を折って数えました。
マコトが舌打ちをします。
勇者は、亡くなる度に王国が異世界から召喚していました。
気の毒な話ですが、昔からそういうシステムなのです。
勇者がボンテージの女を毅然と睨みつけました。
「果たして、僕を殺せるかな?」
「殺せるわよぉ。だって弱いんだもの。勇者なんてみんな、あたいのご馳走なのよ」
真紅のセミロングが、唇から鋭利な歯を覗かせます。
マコトは冷静な口調で言い放ちました。
「悪いが、17人目の死体は自分を数えることになる」
「あら、言うじゃない坊や。可愛い顔しちゃって、あたい、貴方の顔が好みだわ」
「火の巫女踊りて捧げたもう、
紅蓮」
マコト杖から射出される炸裂弾。
けれど、
サキュバスの姿はすでに消えています。
「遅い遅い!」
空間を転移して、彼女が勇者の背後に現われました。
その右手の長い爪で、彼の首を切り裂こうとします。
カーンッ。
わたくしが剣を割り込ませました。
やらせません!
サキュバスに足払いをかけ、
「あらぁっ!」
わたくしは跳んで前宙、勢いのままに剣を振り下ろします。
けれど、サキュバスが両手の爪で刃を受け止めていました。
これでも思いきり振りかぶったはずなのですが、
この魔物、
もの凄い力だわ。
災害級の位は伊達では無いようです。
露出の多いボンテージの女はバックステップを踏みました。
「面白い攻撃をするのね。お嬢さん、アクロバットがお好きかしら?」
「わたくしは鞘。放つ攻撃が剣です」
「お嬢さんは一本の剣ってことかい?」
「退きなさい、サキュバス。それともこの人数を相手に、一人で立ち回りますか?」
「一人で十分よ。じゃあ、こういうのはどうかしら?」
真紅の髪色が詠唱をします。
わたくしはそれを阻もうとして走り出しました。
「こっちよ」
いつの間にか、遠くに空間を転移している彼女。
サキュバスが右手のひらを広げて、誘うように小指から順番に折ります。
「赤い実弾けて恋模様、
魅了」
辺りに赤色のオーラが漂いました。
一瞬、頭の中がとろーんとして、
剣を振って首を振ります。
効きません、わたくしには。
「あら、面白い子ね。貴方その能力は、魔王様の血を引いているの?」
「何を言って?」
「ふーん、なるほどね。これは魔王様に報告しなくっちゃ」
「よく分かりませんが、報告でも何でも勝手になさい」
けれど、マコトには効いたようでした。
彼が柔らかい口調で申し出ます。
「おい、お前。サキュバス、話せば分かる、戦いなんてやめよう」
「あら良い子ね、勇者。後であたいの足を舐めさせてあげるわ」
「う、わ、分かった」
「ちょっとマコト!」
びっくりして振り向きます。
ちょっと!
彼の頬がピンク色です。
もしかしたら、ラスティンも?
顔を向けると、彼の口からは血がこぼれていました。
えっ。
どうして?
……。
自分で自分の舌を思いきり噛んだようです。
魔法を防ぐために。
くせっ毛の銀髪が勇者に向けて叫びました。
「マコト君、これは精神干渉魔法だ!」
「精神干渉?」
マコトが眉をひそめます。
だけど、頬は上気していて、
サキュバスを見て、心から嬉しそうな表情。
まるで恋する少女のようですわ。
わたくしはバックステップでマコトに近づき、その尻を蹴り上げました。
「痛っ!」
「マコト! 目を覚ましなさいっ!」
「……痛って。え、あれ? 僕はどうしたんだ?」
「勇者様、サキュバスを倒しますわよ」
「当然だ!」
顔を振って、彼が杖を構え直します。
唱えました。
「火の蛇うねって噛みつき捕らえよ、
炎蛇」
火のほとばしりが変速起動を描いて敵に食らいつく。
「せっかく良い気分にしてあげたのに」
瞬間、ボンテージの女が飛び立ちました。
目標を無くした火の蛇がその場でとぐろを巻いて、鎮火します。
わたくしは剣を構えて空を見上げました。
サキュバスは、小さな翼を広げて飛行しており、
……あれは魔法の力で浮いていますわね。
真紅の髪の女が問いかけます。
「ねえ、勇者。その女より、あたいの方が可愛いでしょう?」
「ふざけるな! ノクティアとお前では比べるまでもない」
「あら、あたいの方が胸もお尻も大きくってよ?」
「性格がブスではどうしようもないな」
「……ひどい事をおっしゃる。では、今度はあたいから行くわ」
「水弾!」
いつの間にか詠唱を終えたラスティンが、水の弾丸と飛ばしました。
サキュバスの背中に突き刺さり、その体がどしん揺れます。血がしたたりました。
「痛ったあぁぁああ! やったなこのおおぉぉおお!」
ナイス、ラスティン様!
それから、わたくしは小声でささやきます。
「勇者様、高位魔法を! 詠唱中はわたくしがお守りします」
「そうか! 分かった。始めるぞ」
「はい!」
マコトが長い詠唱を始めました。足下に広がる赤い火属性の魔法陣。
「やらせるかぁ!」
空間を転移させて、目の前にサキュバスが現われます。
ヒステリックになった女ほど、読みやすい敵はいません。
わたくしはタイミング良く剣を振り上げました。
剣と爪が交差して。
「このっ!」
「させません!」
刃同士がぶつかり合い、火花が散ります。
ラスティンがステッキを向けていました。
「水弾!」
「おっと!」
また上空に転移をするボンテージの女。
その間にもマコトが魔法を完成させます。
最後の一文、
「火の王猛りて、つるぎを掲げよ。
炎王」
空がオレンジに包まれました。
鮮やかな爆風が起こり、その後、天空一面にチラチラと火花が散ります。
まるで、魔導花火のよう。
凄いわ。
――さすがはわたくしの勇者様。
けれど、
そう思った瞬間、
まさか回避されているとは思いませんでした。
空間を転移したサキュバスがわたくしの背後に回っていて、
その右腕で、心臓を一突き。
「あははぁっ! 馬鹿な女ねぇ! 死になさい!」
「ノクティア!」
勇者様が体を滑り込ませました。
その腹が大きくえぐられます。
「うあぁぁあああっ!」
わたくしは驚いて振り返ります。
マコトが悲鳴を上げて、地面に倒れて行きました。
わたくしは震えて、
全身の毛が逆立ちました。
静かに、
けれど、
信じられないほどの力が宿り、
風のように躍動する筋肉、
「ふっ!」
肉体の限界を超えて、剣を振りかぶります。
一瞬のうちに三連撃、
「加速」
ラスティンが呪文詠唱を終えたようで補助魔法をくれました。
わたくしは緑色の光に包まれて、動きが加速します。
「はあっ!」
しなる体。
空気を切り裂く刃。
まるでレイピアのよう。
普通ではあり得ない変則起動を描いて、一呼吸のうちに五連撃を放ちました。
「ちょ、ちょちょちょちょっ!」
サキュバスは受け止めきれずに、頬、肩、太もも、に傷を作ります。
けれどまた空間を転移して、空中に移動しました。
わたくしは体を横に一回転させて、
剣を振り上げ、
投擲!
サキュバスの爪と剣の切っ先がぶつかって、
彼女の爪が割れました。
体を貫くことは叶いません。
剣が落下し、わたくしは走って両手で受け止めます。
真紅の髪の女がつぶやきました。
「今日はこの辺で終わりにしようじゃないか」
「降りてきなさい」
わたくしはあくまで静かに言い放ちます。
「貴方、あたいの顔に傷を作ったね!」
サキュバスが右手で頬の傷を撫でます。
「だからどうしたの?」
「女の顔に傷を作ったね。今度会ったら、ただじゃおかないよ」
捨て台詞を残して、サキュバスのいる空間が揺らぎました。姿が消失します。
気配が完全に消えました。
おそらく、遠くへと転移したのでしょう。
ひとまず、敵は退けました。
わたくしはマコトに駆け寄ります。
「マコト、マコト!」
「う、うぅ、ノク、ティア?」
腹部を見ると傷が深いです。血液が地面にこぼれて小さな血だまりを作っていました。
「マコト、今、病院に連れて行ってあげますからね!」
くせっ毛の銀髪の男も近づいてきました。
勇者様の傷を見て眉をひそめます。
ラスティンはすぐに彼の首と膝裏に両手をくぐらせて、お姫様抱っこをしました。
「病院へ行こう」
「ラスティン様、早く!」
「分かりました」
そして、わたくしたちは病院へと向かいました。けれど、わたくしはすぐに気づいて、自分のカバンとマコトのリュックサックを回収します。それから走って、ラスティンに追いつきました。
マコト。
マコト!
わたくしを庇ったばっかりに傷ついて、
いま、助けてあげるからね。
――死なないで。




