第30話 守る手
走っていました。
流れる景色に目もくれず、ラスティンが抱えるマコトに声をかけます。
「マコト! マコト!」
「大、丈……」
「マコト、今、病院に着きますからね。もう少しの辛抱ですのよ!」
「……」
彼の腹部からしたたる血液。
ラスティンの服の裾がじんわりと濡れそぼっていきます。
このままじゃ、マコトが出血多量で死んでしまうわ。
わたくしの目から涙が溢れて、
鼻から鼻水がこぼれて、
顔がぐちゃぐちゃでした。
マコトの顔からは血の気が失せて、青白くなっています。
そのお顔はまるで死人のよう、
昔に亡くなった、おじい様の横顔のようで、
「マコト! 死んじゃダメですわ!」
「……」
「マコト! マコトォ!」
「……」
「ひっく、うっく、ううぅぅっ」
嗚咽がこぼれます。
マコトがいなくなれば、
わたくしはどうすればいいのですか?
「まことぉぉぉぉっ」
「着いたぞ!」
ラスティンが告げました。目の前には二階建ての白い建物。幸いなことに明かりは点いていました。玄関から入って行きます。
木の床の前で、ラスティンが叫びました。
「急患だ! 医者を呼んでくれ!」
「まことぉ、死んじゃやだよぉぉ、ううぅぅぅ」
いつでも冷静なわたくしは、今はいませんでした。
まるで子供のように泣きじゃくってばかりです。
やがて医者が看護師を連れてやってきました。マコトを医療用のタンカーに乗せて運んで行きます。すぐに手術が行われるようでした。わたくしはスリッパに履き替えて上がり、手術室の前の長椅子に腰掛けます。両手で目をこすっていました。次から次へとこぼれ出る涙。
「まことぉ、死んじゃやだよぉ」
涙と鼻水が顎をつたって、服の襟がぐしょぐしょです。朝にした化粧は完全に剥げていました。マコトの笑顔と、死んでしまう可能性が、交代交代に脳裏をよぎります。
「わたくしが怪我すれば良かったよぉぉ」
目の前にラスティンが立っていることなど気づきもしませんでした。
わたくしの肩に彼がそっと手を置きます。
「ノクティア君」
「やだよぉ」
「これから私は、町の結界を直しに行かなければいけない。マコト君のことは、任せたよ」
「死んじゃやだよぉぉ」
「では」
足音が響き、遠ざかっていきます。
何も分かりません。
「まことぉ、生きてよぉ」
それから、どれぐらいの時間が経過したのでしょうか? 五分間かもしれませんでした。五時間かもしれませんでした。やがて、手術室の扉が内側から開きます。
「ふあっ」
わたくしは立ち上がりました。移動式のベッドの上で、浅い呼吸をしている勇者様。医者がやってきて、わたくしの前に立ちました。
暗い顔をしている初老の男性医師。
その怖い表情を見て、わたくしはまた顔がくしゃくしゃになりました。けれど、涙声で聞きます。
「まことは、助かるんでしゅよね?」
「それなんですが、傷は塞ぎました。内臓への損傷はありません。ただ、出血が多い。奥様、旦那さまと血液型は同じですか?」
「わたくしは、Aでごじゃいます」
「では同じです。これから輸血を行います。病室へ来てください」
ぱあっと視界が開けました。
わたくしは懇願するようにお願いします。
「わたくしの血は、全部吸い取って良いのです」
「全部取る訳には参りませんが、とにかくこちらへ!」
「全部! 全部、まことにあげてくださいっ。お願いします!」
医者と二人で転がるように病室に入ります。
その個室では、青白い顔をしてベッドに眠るマコトがいました。
魔法灯の明かりだけが室内を照らしています。
針の感触と共に、わたくしの腕と彼の腕が管でつながれていきます。
管を染める赤い血流が生々しい。
わたくしはぐすぐすと鼻を鳴らして、マコトの腕を掴みます。
「まことぉ、ごめんねぇ」
返事はありません。
「痛い思いさせて、ごめんねぇ」
やはり返事はありません。
「わたくしが、ぐすっ、怪我すれば良かったねぇ?」
部屋にいた看護師が、居ても立ってもいられずに部屋を退出しました。
初老の医者が静かに告げます。
「奥様、このまま四時間ほど、輸血に時間がかかります。その間、具合が悪くなったらおっしゃってください。その間にも、A型の血液の人間を探して参ります」
「だいじょうぶです。わたくしの血をぉ、まことにぜんぶぅ、あげるんで、ぐすっ」
「ご無理なさらず。あと、これはポーションです。奥様の具合が悪くなったら飲んでください」
水筒ほどの瓶を渡されました。
けれど、涙ながらに訴えます。
「このポーションはぁ、まことにぃ、まことにぃ、飲ませてあげてくださいっ」
「今、患者様に必要なものは、ポーションではなく、血液です」
「あ、ひゃい」
「では、私はナースセンターにいますので、何かあったらお声かけください」
「ひゃい」
医師が病室を出て行きます。
わたくしは、顔が疲れていました。
疲れて、もう目が真っ赤なはずなのに、涙が止まりません。ぐすぐすと鼻をすすり、両手で目をこすって、それからマコトの顔を眺めます。
緩い呼吸。
でも、苦しそうでは無さそう。
いま、もっと楽にしてあげますからね。
わたくしの血を、全部あげますからね。
助けてあげますからね。
マコト。
マコト……。
彼の手を両手で握り、それから長いこと、じっとしていました。
何時間が経過したでしょうか。
……。
少し、うとうととしていました。
夢の中。
周囲は一面のお花畑。
膝の上でマコトが寝ています。
そのお顔は心地よさげであり、
わたくしはとても良い気分で、
鼻歌を歌っていました。
るんるんと口ずさんでいます。
ああ。
幸せです。
こんなにも。
こんなにも。
勇者様、
お願いです。
わたくしと、
いつまでも、
いつまでも、
ご一緒に。
……。
……。
「ノク、ティア」
「……ん?」
わたくしはぼんやりと顔を上げました。
まだほの暗い病室内。
いつの間にか、マコトの布団に顔を突っ伏して眠ってしまったようです。
はっとして、彼の顔を眺めました。
……!
お顔に血色が戻っています。
わたくしとマコトの腕をつなぐ管は、いつの間にかはずされていました。
尋ねます。
「マコト、大丈夫?」
「ああ。何とか、平気みたいだ」
わたくしはまた顔がくしゃっとなり、目に涙がにじみました。
「心配したんですのよ」
「悪い、心配かけたな」
「わたくしが悪いんですの」
「何を言っているんだ。君が悪いんじゃない」
「わたくしが全部悪いんですの」
「違う。何を言っているんだ」
「ぐすっ、うぅぅ」
「ノクティア」
彼の右手が、わたくしの手を優しく撫でます。
「君が無事で良かった」
「どうして?」
「ん?」
「どうしていつも、わたくしを労ってばかりで、ご自分の心配をされませんの?」
「そう、かな?」
「そうですの」
「ははっ」
「笑い事ではありませんのよ」
「君が幸せなら、僕はそれでいいのさ」
「幸せじゃありません」
「それは、すまない」
「マコトが傷ついている状況で、どうやって幸せになれと?」
マコトはまた笑います。
だけど、その声は少し疲れているようで、
わたくしはまた悲しくなります。
「ねえ、マコト」
「なんだい?」
「もう、わたくしを庇わないでくださいませ」
「嫌だね」
「ダメです」
「そればかりは断るよ」
「どうして?」
「だって僕は」
「はい」
「僕は」
「はい」
「君のことが」
「うん」
マコトが上気した表情でこちらを見つめました。それから、思い出したように咳をします。血の香りが漂いました。
「……ごめん、ちょっと、疲れた。もう少し、寝るよ」
「……分かりましたわ。はい、おやすみなさいませ」
「……本当に、ごめん」
「ごゆっくりで、良いのですよ? わたくしは、いつまでもお待ちしておりますの」
マコトが目を閉じます。
わたくしは、
……勇者様が生きていればそれで良いのです。
……生きてさえいれば。
わたくしはまた、彼の手を両手で握ります。
その手を額につけて、
そのまま、
ゆっくりと目を閉じました。
静かな夜。
魔法灯だけの明かりだけがほのかに照らす個室。
大切なマコト。
かけがえのないもの。
わたくしの、たった一つの財産。
わたくしを守ってくださる。
「……たった一人の勇者様」
つないだ手を、その夜は離すことなく。




