第8話 カフェ・バレンシア
『カフェ・バレンシア』は、星城大学の最寄り駅『星ヶ丘』駅前のメインストリートに面したオシャレなカフェだ。
祐希はここで週5日バイトしている。
スイーツが評判の店で、客層は女子学生が7割。
残りは近所の主婦やサラリーマンたちで、いつも賑わいを見せている。
ランチも好評でフードメニューが充実している。
マスターの七ツ森慎太郎(47歳)は、ビタースイートなイケオジで主に調理を担当している。
その昔、某4つ星ホテルでシェフをしていたので腕は確かだ。
ママの七ツ森美里(43歳)は、アラフォーには見えないキュートな美魔女でスイーツ作りと接客を担当している。
元はマスターと同じホテルでパティシエとして働いていたそうだ。
一人娘の七ツ森結(16歳)は高校2年の女子高生だ。
ポニーテールが似合うスレンダーな美少女で、夕方からカフェを手伝っている。
この時間帯のスタッフはその他に、数人の学生アルバイトがシフトに入っている。
祐希は主にカウンター内でドリンク作りを担当している。
その日も満席で、店舗前には席待ちの客が列をなしていた。
この時間帯、特に人気なのがスイーツコーナーだ。
冷蔵ショーケースには、目移りしそうなケーキが並べられていた。
宝石のようなフルーツが乗ったタルトや、濃厚な艶を放つチョコレートケーキ。
照明を浴びてキラキラと輝くそれらは、見ているだけで幸せな気分にさせてくれる。
店内で飲食した客のみスイーツコーナーのテイクアウトが可能だ。
祐希の仕事場であるカウンターはコの字型になっており、カウンター席の客との距離が近い。
カウンター席はテーブル席より人気が高く、主に女子が座っている。
その理由は祐希を間近で眺められるからだ。
本人はただ黙々とオーダーをこなしているので、一見すると無愛想に見える。
しかし接客時に見せる爽やかな笑顔が、女子の心を鷲掴みにしているのを本人は知らない。
「お待たせしました」
祐希がカップを渡すと、受け取った女子大生たちは、顔を見合わせて歓喜の表情を浮かべた。
だが、当の本人は忙しさのあまり、そんな熱い視線には全く気づいていない。
今日も祐希はドリンクオーダーの対応に大忙しだった。
カウンター席に座った女子大生3人組は、もう何度目の来店だろうか。
彼女たちは祐希の手元を眺めながら、何度もちらちらと視線を送ってくる。
しかし当人は、相変わらず注文に集中していて気づかない。
「結ちゃん、2番テーブルのキャラメルマキアートと抹茶ラテ上がったよ」
「は~い、5番テーブルのお客様、レモネードとフラペチーノ、追加です」
カフェ・バレンシアはテーブル席12卓48席、カウンター席12席の合計60席ある。
一度に60人のオーダーを捌かなければならないので、スピードが重視される。
クオリティを維持しつつ、ミスなくこなすのが祐希の凄いところだ。
ふわりと立ち上る湯気の中、祐希はミルクピッチャーを傾け、カップに細やかな模様を描いた。
現れたのは、可愛らしい猫のラテアート。
受け取った女子大生が「うわぁっ」と歓声を上げると、隣の席の客までもが身を乗り出した。
独学でラテアートの資格まで取った祐希にとって、これは日常の一コマに過ぎない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
閉店の午後8時を過ぎ、後片付けをしている祐希のもとへマスターがやって来た。
「いや~、ご苦労さん。
今日も祐希のおかげで助かったよ」
「マスター、お疲れ様です。
それにしても、ここ最近、何でこんなに忙しいんでしょうね……」
「何言ってんだよ。
そんなの祐希目当ての女子が多いからに決まってるだろ!」
「またまた~、マスター冗談言わないでくださいよ。
僕なんか見ても、何の得にもならないですよ」
「あ~ぁ、こういう無自覚な奴が一番始末が悪いんだよな~」
その時、美里ママが厨房から出てきて話に加わった。
「まあいいじゃない、祐希くんのおかげで店が繁盛してるんだから……
はいこれ、お部屋に帰ってから食べてね」
美里ママは何かを企むような笑みを浮かべながら、大きめの紙袋を祐希に差し出した。
「えっ、何ですか、この大きな袋」
驚く祐希の反応に、美里ママは「ふふっ」と満足げに目を細めた。
「中に賄いのエビフライカレーと、余り物のショートケーキ、入れておいたから」
「美里ママ、いつもありがとうございます」
「ケーキは10人分あるから、シェアハウスのみんなで食べてね」
美里ママはシェアハウス全員分のケーキを用意してくれた。
「えっ、そんなにたくさん……いいんですか?」
「いいのいいの、それでもし気に入ってもらえたら、お店に来てもらえるでしょ」
なるほど、このケーキは店の広告宣伝商品で、先行投資というわけか……
さすがは商売上手でしっかり者の美里ママだ。
「ねえねえ、祐兄のシェアハウス、みんな女子ってホント?」
一人娘の結は、祐希のことを実の兄のように慕っていた。
「うん、僕の他は全員女子だね」
「もぉ~、だから早く伝えてって言ったのに~、パパのバカ~」
結は頬を膨らませ、腕組みした。
その動作すら、美少女だと絵になるから不思議だ。
祐希はアパートが火事になった時、次の部屋が決まるまでバイトを休むとマスターに連絡した。
それを伝え聞いた結は、それなら七ツ森家の空き部屋に住んでもらえば、と父親に提案した。
マスターがその話を彼に伝え忘れ、そうこうしているうちに祐希のシェアハウス入居が決まり、それに結は怒っているのだ。
カフェの2階は七ツ森家の自宅で、大学も徒歩圏内なので、祐希が生活するには絶好の環境だ。
「祐兄、今からでもうちに引っ越してくればいいのに」
七ツ森家の2階に間借りも確かに魅力的な話ではある。
しかし、今更義姉の好意を断るわけにはいかない。
「結ちゃん、ごめんね、気を使ってくれてありがとう。
でも、オーナーが義理の姉だし、もう断れないよ」
「結、祐希くんに無理言っちゃいけないよ」
「パパが祐兄に言うの忘れたから悪いんだよ」
「だから、それはゴメンって何度も謝ってるだろ!」
「だ~め、パパ誠意が足りないわ」
「せ、誠意って何だよ」
「パパぁ、大人なんだから分かるでしょ、誠意」
結は人差し指と親指で丸の形を作った。
「えっ、か、金か?
お前、えげつないなぁ」
さすがはしっかり者の美里ママの娘だ。
マスターは財布を取り出すと、中から1万円札を1枚取り出し娘に渡した。
「パパ、私まだ納得してないんだけど、今回はこれで手打ちにしてあげるわ」
結は淡い恋心を抱く兄のような祐希と一緒に暮らせたら、どんなに楽しかっただろうと心底悔しがっていた。
「はい、結様の寛大なお心に感謝します」
普段はダンディなマスターも一人娘にかかっては形なしだ。
結は自分の財布に紙幣をしまいながら、祐希に言った。
「祐兄、浮気しちゃダメだからね!」
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