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第182話 春の嵐

 エレベーター管理会社のスタッフが復旧の遅延を詫びる中、2人はようやくエレベーターを脱出した。

 祐希の手のひらには柔らかな胸の感触が、亜由美には初めての口づけの感覚が生々しく残っていた。


 甘い余韻が漂う中、祐希はスマホを取り出し、乗換アプリを開いた。


「やっぱり駄目か……

 ゆりかもめも、りんかい線も終電の時刻を過ぎてる……」


「えっ……どうしましょう……」


「仕方ない、タクシーで帰ろう」


 祐希はすぐに配車アプリを開いたが、画面には『周辺に空車はありません』の文字が表示された。


「おかしいな……1台も空車がない」


「どうしましょう……」


 亜由美が不安そうに祐希を見た。

 祐希は少し考えてから、顔を上げた。


「こうなったら、近くのホテルへ避難するしかないな」


 2人はホテルへ向かうため、建物の出口へと向かった。

 しかし、自動ドアを抜けて外に出た瞬間、祐希は思わず息を呑んだ。

 強風が吹き荒れ、横殴りの雨が叩きつけている。

 タクシーが全く捕まらない原因はこれだったのか。

 春の嵐だ。


「これは……ひどいですね」


 亜由美が雨粒を手で防ぎながら、外を見渡した。


「この嵐じゃ、歩き回るのも危険だな……

 ホテルへ急ごう」


 雨の中、2人は小走りで近くのホテルへ向かった。

 横殴りの雨が容赦なく叩きつけ、亜由美のスカートが風に煽られて乱れる。


 2人はそのまま、四つ星ホテルのエントランスへ駆け込んだ。

 自動ドアをくぐった瞬間、暖かな空気と柔らかな照明が2人を包んだ。


 亜由美の亜麻色の髪は雨に濡れて白い首筋にまとわりつき、細身のニットが体に張り付いて、普段の清楚なイメージとは違う艶めかしい印象になっていた。


 フロントで空室を確認すると、悪天候による帰宅困難者が殺到し、残っているのはダブルルーム1部屋だけだった。

 祐希は迷わずチェックイン手続きを行い、気まずさを誤魔化すように言った。


「ベッドの端と端で寝れば大丈夫だね!」


「……はい。なんか、すごい一日になっちゃいましたけど……祐希さんが一緒だから心強いです」


 亜由美は雨に濡れた顔をほころばせ、祐希を見上げた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ドアを開けると、上品な内装の広々とした空間が2人を迎えた。

 窓の外では春の嵐が吠え、雨粒が激しく窓ガラスを叩いている。

 部屋の中央に置かれたキングサイズのベッドを見て、2人の間に張り詰めた沈黙が流れた。


 祐希はクローゼットにあったバスタオルを亜由美に渡し、自分も濡れた身体を拭いた。


「このままじゃ、風邪引いちゃいそうだな。

 お風呂で身体を温めないと……」


 祐希はバスルームに行ってバスタブにお湯を張り始めた。


「亜由美さん、今、お湯張ってるから先に温まって……」


「私は後でいいです。

 祐希さんの方がずぶ濡れじゃないですか……お先にどうぞ」


 看護師らしい気遣いの言葉に、祐希は素直に甘えることにした。

 実際、エレベーターでの出来事から続く自身の昂りを鎮める時間が欲しかったのだ。


「……ありがとう。申し訳ないけど、先に入らせてもらうね」


 祐希はそそくさとバスルームへ向かった。

 バスルームのドアが閉まり、シャワーの水音が聞こえてきた。


 部屋にひとり残された亜由美は、ベッドの端に腰を下ろした。

 唇に触れると、まだ祐希の唇の感触が残っている気がした。

 亜由美にとっては、あれがファーストキスだった。

 胸を触られた時の、あの甘く痺れるような感覚。


(私……本当はずっと、祐希さんとキスがしたかったんだわ……)


 祐希が入院中の夜間巡回で目にした光景が、脳裏に鮮やかに蘇る。

 あの硬く反り返った彼自身。

 禁欲の限界で痛々しく脈打つ姿を、「患者の困り事」として鎮めてあげた。


 しかしあの夜以来、ひとりになった寮の部屋で、布団の中で何度もその光景を思い浮かべていた。

 指を這わせ、息を殺して自分を慰める行為は、最初は罪悪感だけだった。

 でも回を重ねるごとに体は敏感になり、軽く秘部に触れただけで腰が跳ね、甘い声が漏れるほどになっていた。


(私は……看護師なのに……祐希さんの身体に触れたくて、仕方なかった……)


 エレベーターでのキスが、抑え込んでいた彼女の理性を完全に吹き飛ばしていた。

 水音の向こう側に、彼がいる。

 亜由美はゆっくりと立ち上がると、濡れたニットに手をかけ、静かに脱ぎ始めた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 一方、祐希は熱いシャワーを浴びながら、頭を抱えていた。


(危なかった……あのままエレベーターが動かなかったら、一体どうなっていただろう)


 さくらという恋人がいながら、密室の甘い雰囲気に飲まれ、亜由美とキスしてしまった。

 無意識とはいえ、胸にまで触れて。

 だが罪悪感とは裏腹に、下半身の強烈な昂りは一向に収まる気配がなかった。


 お湯が半分ほど溜まった大きなバスタブに浸かり、深いため息を吐いたその時だった。

 不意にバスルームのドアが開く音がした。


「……え?」


 祐希が見上げると、そこにはバスタオルを身体に巻いた亜由美が立っていた。

 湯気の中でも、バスタオルに包まれた豊かな胸の膨らみがはっきりと分かる。

 その頬は、赤く染まっている。


「あ、亜由美さん……!?」


「やっぱり……私もお風呂を使わせて下さい」


 そう言うと、亜由美は身体に巻いていたバスタオルをふわりと外した。

 予想外の行動に呆気にとられた祐希が慌てて目を逸らすと、彼女はシャワーで身体を洗い始めた。


「祐希さん、私も一緒に入ってもいいですか?」


 祐希が無言で頷くと、亜由美はシャワーを止め、顔を赤く染めながら、彼の後ろに右足を入れた。


「申し訳ありませんが、もう少し前にずれてもらえますか?」


 どうやら祐希に身体を見られるのが恥ずかしいから、彼の背後からバスタブに浸かろうという作戦のようだ。

 驚きで言葉を失ったままの祐希が30センチほど前に移動すると、彼女は静かに腰を下ろした。

 亜由美の脚は、祐希の腰の横から伸ばされ、抱え込むような体勢になった。

 彼女の柔らかい胸の感触が、祐希の背中に触れた。


「あ~、気持ちいい!

 やっぱり、お風呂が一番温まりますね」


「亜由美さん、これはさすがにまずいよ」


「ごめんなさい……さくらさんに、怒られちゃいますね。

 でも、これって不可抗力じゃないですか」


 湯の中で、亜由美の細い腕が祐希のお腹にそっと回された。

 ぴったりと張り付いた彼女の身体越しに、早鐘のような鼓動が伝わってくる。


「確かに帰れなくなったのは、不可抗力かも知れないけど、一緒に風呂に入るのは違うだろう……」


「でも祐希さん、私に言ってくれたじゃないですか……

 今日一日、彼氏になってくれるって……」


「確かにそう言ったけど……」


「だから、彼氏としての最後まで責任を果たして下さいね」


 祐希は、その言葉の意味をどう取れればいいのか悩んだ。

※創作活動の励みになりますので、作品が気に入ったら「ブックマーク」と「☆」をよろしくお願いします。

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