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第9話 それ、私に言うことですか?

 昼過ぎの食堂は、卓が一つだけ、きれいに拭き上げられていた。

 椅子が、こちらに2脚。向かい合わせに1脚。


 鐘が一つ鳴ったあと。

 この宿で働きたい、という女が、その卓に座った。

 年のころは40歳くらいだろうか。近くの村から来たという。


 主人は女と向き合って、話を聞いた。

 働ける時間。給金の希望。住み込みか、通いか。料理はできるか。帳面は読めるか。

 一つずつ、確かめていく。

 マリーも、その場に同席している。


 テレーゼは少し離れた卓で、自分の商品を整理していた。

 聞かない。聞いていない。聞こえてはいるけれど。


「朝は早いぞ」

「農家だったから慣れてます」

「客商売は?」

「酒場で働いたことがあります」

「料理は」

「簡単なものなら」


 主人が、頷いた。


「じゃあ――」

「お父さん」


 マリーが、口を挟んだ。


「なんだ」

「私も聞いていい?」


 主人の返事がない。


「何?」


 マリーが、父親の横顔を見る。

 主人は、そっぽを向いたまま、ぶっきらぼうに言った。


「聞けばいいだろ」


 マリーは、女に向き直った。


「長く働けます?」

「そのつもりです」

「お客さんに怒鳴られることがあっても、平気?」

「怒鳴り返したりはしません」


 マリーが、小さく微笑む。


「それなら大丈夫」

「おい」

「冗談よ」


 女が、くすりと笑った。

 主人の眉間の皺も、少しゆるんだ。

 商品を並べ直すテレーゼの手が、自然と弾む。よかった。これなら――


「テレーゼさん」

「はい?」

「あなたも何か聞きます?」

「いいえ!」


 即答だった。


「今日は聞きません!」

「今日は?」

「必要なときだけ聞くことにしたんです!」

「成長したわねえ」

「はい!」


 テレーゼが胸を張ると、主人がふん、と鼻を鳴らした。


「あやしいもんだ」

「なんでですか!」


          ◇


 話が終わると、働きたいという女は、いったん村へ帰っていった。

 明日から数日、試しに手伝ってもらうことになったらしい。


「決まりですか?」


 テレーゼが尋ねると、主人は首を振った。


「まだだ。マリーが一緒に働いてみる」

「私が?」

「お前が教えるんだろ」


 マリーが、ぴたりと動きを止めた。


「なんだ」

「別に」

「言いたいことがあるなら言え」

「昨日まで、言っても聞かなかったでしょう」

「今は聞いてるだろ」


 父と娘の視線が、ぶつかった。

 また、始まりそうだ。テレーゼは1歩、後ろへ下がった。

 今度こそ、巻きこまれてはいけない。


「お父さん」

「なんだ」

「どうして、急いでたの?」


 主人が、黙りこんだ。

 テレーゼも、黙った。

 その答えなら、知っている。

 一昨日の夜、本人の口から聞いた。けれど、言わない。


 主人の目が、ちらりとテレーゼのほうを向いた。


「嬢ちゃん」

「はい?」

「お前から――」

「それ、私に言うことですか?」

「や、俺は、こういうのは」

「ご自分で言ってください」


 主人とテレーゼが、無言で見合った。

 マリーが、二人の顔を見比べる。


「何?」

「いや」


 主人は、ガシガシと頭を掻いた。

 そのまま、黙りこむ。

 長い。

 ものすごく、長い。

 それでも、テレーゼは待った。


「お前が嫁に行ったあと」


 ようやく、主人が口を開いた。


「うん」

「この宿が回らなかったら、お前、気にするだろ」


 マリーは、答えなかった。


「帰ってきて手伝うとか言い出すだろ」

「……言うかも」

「言うんだよ、お前は」

「何よ」

「だから、その前に何とかしたかった」


 マリーは、黙って父親を見ていた。


「向こうへ行ったら、向こうの暮らしがあるんだから。こっちは大丈夫だって、言えるようにしときたかった」


 マリーの唇がかすかに動いたが、声にはならなかった。


「それだけだ」


 厨房の鍋が、ことり、と蓋を鳴らした。

 テレーゼは、ひと言も口を挟まなかった。

 マリーがうつむき、しばらくしてから、小さな声で言った。


「……それ」

「あ?」

「最初に言ってよ」

「言っただろ」

「言ってない!」

「似たようなことは」

「全然言ってない!」

「そうか?」

「そうよ!」


 主人が、困り果てた顔をした。

 マリーは、大きく息を吐き出した。


「私だって」

「うん」

「安心して行きたいから、引き継ぎしたかったの」


 主人は黙って、娘の顔を見ていた。


「新しい人が困らないように。お父さんが困らないように」

「うん」

「だから、一緒に探したかった」

「……そうか」

「そうよ」

「分かった」

「本当に?」

「ああ」

「勝手に決めない?」

「決めない」

「私にも聞く?」

「聞く」

「絶対?」

「しつこい」

「お父さん!」

「聞くって言ってるだろ!」


 また、声が大きくなった。

 けれど、一昨日の夜とは響きが違う。テレーゼにも、それくらいは分かった。


「……ふふ」

「何笑ってるんです?」

「いえ!」


 マリーにじろりと睨まれて、慌てて口を閉じる。

 ふと見ると、主人の口の端が、ほんの少しだけ上がっていた。


          ◇


 その日の夕方。


 市場から戻る途中で、テレーゼは一軒の店の前で足を止めた。

 まだ開店前の店らしい。開け放たれた扉の奥では、何人かが棚や箱、布、小さな飾りを運びこんでいる。

 店先では若い女が腕を組み、難しい顔で中を眺めていた。


「うーん……」


 どうやら、困っているらしい。

 そのまま通り過ぎようとして、3歩進んだところで、足が止まった。

 少し迷ってから、くるりと引き返す。


「あの」

「はい?」

「何かお困りですか?」

「え?」

「あっ」


 テレーゼは、慌てて手を振った。


「言いたくなければ、言わなくて大丈夫です!」

「……何ですか、それ」

「最近、聞きすぎるのもよくないと学びまして」


 女が、くすっと笑った。


「変な人」

「よく言われます」


 女はまた笑って、店のほうを振り返った。


「店を開くんです」

「まあ!」

「もうすぐ」


 テレーゼは、戸口から中を覗きこんだ。


「何のお店です?」

「小物とか、飾りとか。女の人がちょっと楽しくなるものを置きたくて」

「なるほど」

「でも、なんだか足りないのよね」

「足りない?」

「入ってきた人が『わあ』ってなるような店にしたいの」

「わあ」

「そう。『わあ』」


 テレーゼの手が鞄へ伸びかけて、ぐっ、と止まった。


「どんな『わあ』です?」


 女が、テレーゼを見た。


「どんな?」

「はい」


 テレーゼは、にっこり笑った。


「私、旅商人のテレーゼです!」

「あら。商人さんだったの」

「もう少し、聞かせてください」


 そこへ、店の奥で荷を運んでいた男が、女を呼んだ。

 女は振り返って返事をしてから、申し訳なさそうに眉を下げた。


「今は少し手が離せないの」

「では、明日の朝にまた来てもいいですか?」

「ええ」


 女に会釈して、歩き出す。

 鞄の底で、香水の瓶が、こつん、と小さく鳴った。

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― 新着の感想 ―
新しい人の面談も終え、お父さんとマリーのわだかまりは取れた感じですね♪(*^^*) むむむ? なんだか新しい商売の動きがあるぞ!? テレーゼちゃん、だいぶ学習してきたもんね! 頑張れ〜\(^o^)/
マリーとお父さんが和解できてホッとしました(*^^*) お互いがお互いのことを考えていたのに、やっと気持ちが伝わりましたね!テレーゼがちょっぴり引っかき回したおかげですかね?(笑) 何かしらのきっか…
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