第3話 手は二本しかないからね
「動いてください!」
郡都を出て3日目の昼前。
ロバは街道の真ん中で止まった。
「ここ、道の真ん中ですよ!?」
動かない。
「ほら! 後ろ! 後ろ詰まってますから!」
「おーい! 姉ちゃん!」
「すみませえん!」
後ろの荷馬車から怒鳴られて、テレーゼは頭を下げた。
「ほらあ!」
手綱を引いても、灰色のロバは長い耳をぴくりと動かしただけだった。
「なんでです!?」
道が嫌なのか、音が嫌なのか、それとも単に今は歩きたくないのか。テレーゼには分からない。
「お願いします! あとで休みますから!」
動かない。
「ニンジンも買います!」
耳が動いた。
「今、聞こえましたね!?」
「姉ちゃーん!」
「すみませえん!」
仕方なく道の端へ寄せようと手綱を横へ引くと、ロバはてくてくと歩き出した。そのまま、何事もなかったような顔で進んでいく。
「なんで今は動くんです?」
返事はない。
「私、あなたのこと全然分かりません!」
ロバも、たぶん同じことを思っている。
◇
着いた町は、思っていたより大きかった。
石造りの建物が並び、通りを荷車や馬車が行き交っている。
市場には近くの村から運ばれてきた野菜や穀物が並び、その向こうに布屋、靴屋、金物屋。職人の工房も多い。
郡都ほどではないが、これまでテレーゼが訪れた小さな町や村にも劣らず、賑やかだった。
「ここなら、いそうですねえ」
この町には3日ほどいるつもりだった。
宿を決めて、テレーゼは荷車を振り返った。いつもの商品と、布をかけた大きな木箱。
歩きながら、条件を口の中で並べる。
「忙しくて、たくさん縫っていて、仕事を断るくらいで……でも、ちゃんと儲かってる仕立屋さん」
かなり条件が多い。
けれど、値段が値段だ。誰でもいいわけではない。
最初に見つけた仕立屋は小さく、老夫婦が二人で営んでいた。
「ミシン?」
「はい!」
「ああ。聞いたことはあるねえ」
主人は興味を示した。
「お仕事、忙しいです?」
「昔ほどじゃないよ」
テレーゼは、ミシンを勧めなかった。礼を言って店を出る。
次の店は繁盛していて、職人が何人もいた。
「ミシンなら、うちにも一台あるよ」
「もうあるんです!?」
「去年入れた」
遅かった。
その次では「そんな高いもの、うちじゃ無理だね」と言われた。
次では「間に合ってるよ」、その次では「いらないね」と言われた。
「うちは靴屋だ」
「すみません!」
看板を見間違えた。
◇
昼過ぎ、テレーゼは道端でパンをかじっていた。
隣ではロバも餌を食べている。
「なかなかいませんねえ。あなたを買うときより難しいです」
ロバは口を動かしている。
「あなたは、欲しい人がここにいましたからね。ミシンは、欲しい人を探さないといけません」
ロバは食べ続けている。
「聞いてます?」
食べている。
「まあ、いいです」
パンを食べ終えて、テレーゼは立ち上がった。
「行きましょう!」
ロバはまだ食べている。テレーゼは、しばらく待った。
◇
その店を見つけたのは、午後だった。
大通りから一本入った通りにある、間口の広くない店だ。
窓には仕立て上がった服が飾られ、奥からは忙しそうな声が聞こえてくる。
「すみません」
扉を開けると、奥から女が出てきた。
「いらっしゃい」
テレーゼより少し年上だろうか。首に巻尺をかけ、手には針を持ったままだ。
そして、目つきが悪かった。
「何?」
「……もしかして、怒ってます?」
「怒ってないよ」
「でも、……目が」
「こういう目なんだよ」
「すみません!」
テレーゼは頭を下げた。
「で、何?」
「仕立屋さんですよね?」
「見れば分かるだろ」
「はい!」
「じゃあ、なんで聞いたの」
「念のためです!」
女がジト目でこちらを見る。
「やっぱり怒ってません?」
「怒ってない」
「すみません!」
「あんた誰」
「旅商人のテレーゼと申します!」
「お師匠さん」
奥から声がした。
「こっち、見てもらっていいですか?」
「今、行く」
女はテレーゼに「ちょっと待ってて」とだけ言い、奥へ戻っていった。
テレーゼは店の中を見回した。
布、糸、型紙、仕立て途中の服。
台の端には、注文票らしい紙が重なっている。
多い。かなり仕事が入っている。
「あの」
奥から、少女がひょこりと顔を出した。
13、4歳くらいだろうか。腕に布を抱えている。
「旅商人さんなんですか?」
「はい! 旅商人のテレーゼです!」
少女の目が輝いた。
「一人で?」
「はい!」
「町から町へ?」
「そうですよ!」
「すごい……」
「そうですか?」
「すごいですよ!」
「そうですか!」
テレーゼは嬉しくなった。
「旅商人テレーゼです!」
2回言った。
「ネリー」
奥から声が飛んできた。
「手。止めないで」
「あっ、はい!」
少女――ネリーは慌てて引っ込んだ。
テレーゼは少し残念だった。もう少し褒めてもらいたかった。
奥では、客らしい女が仕立て途中の服を着て立っていた。
さっきの仕立屋が、その服を見ている。
「右、少し上げるよ」
「右?」
「肩」
仕立屋が布をつまむ。
「右肩が少し下がってるから」
テレーゼは首を傾げた。どこが下がっているのか、まるで分からない。
「ありがとう、ロッテさん」
「3日後にもう一度来て」
客が帰ると、テレーゼはすぐに声をかけた。
「あの!」
「何」
「さっきのお客さん、どうして分かったんです?」
「何が」
「右肩です!」
「見ればわかるよ」
「見れば!?」
テレーゼは自分の肩を見た。右、左。分からない。
「私も下がってます?」
「ちょっと」
「どっちです!?」
「左」
「本当です!?」
「鞄、いつも同じ側で持ってる?」
テレーゼは肩から斜めにかけた革鞄を見下ろし、しばらく黙った。
「……持ってます」
「それだね」
「そんなの分かるんです?」
「だから、見れば分かる」
「すごいですねえ……」
ロッテは首を傾げた。
「そんなにすごいこと?」
「そんなにです!」
世の中には、変なものが見える人がいる。
ヨハンなら時計を見て、どこがおかしいのか分かる。
この人は人を見て、どこが違うのか分かるらしい。
「で」
「はい?」
「旅商人さん、だっけ? あんた、何しに来たの」
「あっ」
忘れていた。
「ちょっとお聞きしたいことがありまして! お仕事、忙しいです?」
「忙しいよ」
「どのくらい?」
「どのくらいって」
「たとえば、仕事を断るくらい!」
ロッテのジト目が、さらにほんの少し、細くなった。
「……断ってるよ。今週も3件」
3件。
テレーゼの背筋が伸びた。
「どうしてです?」
「どうしてって」
「はい!」
ロッテは右手の針を見て、左手の布を見た。それから、両手を少しだけ上げてみせた。
「手は二本しかないからね」
テレーゼは、その手を見た。
店を見る。
仕立て途中の服と、注文票と、奥で忙しく動くネリー。
もう一度ロッテを見て、それから窓の向こうへ目をやった。
道端に停めた荷車の上に、布をかけた大きな木箱がある。
「何?」
「いえ」
テレーゼは笑った。
「明日、もう一度来てもいいですか?」
「別にいいけど」
「ありがとうございます! では、また明日!」
「……うん」
店を出て荷車まで歩き、木箱に手を置く。
「いました」
マックスが、こちらを見た。
「いましたよ! この子を欲しい人です!」
ぽん、と木箱を叩く。
テレーゼはロッテの店の窓を振り返った。中で、忙しく動く人影が見える。
「たぶん!」
言ってから、口を閉じた。
「……いえ」
まだ、ちゃんと話も聞き終わっていない。
「明日、ちゃんと聞いてきます!」
ロバは草を食べ始めた。
「聞いてます?」
草を食べている。
「まあ、いいです!」
テレーゼは笑った。




