第1話 この子なら、もっと運べます!
ロバを買った。
「これで、楽になります!」
《ひなぎく亭》の前で、テレーゼは胸を張った。
「そうなるといいね」
「なりますよ!」
ヨハンにそう返して、テレーゼはロバの首を撫でようと手を伸ばした。
ロバは一歩、横へずれた。
テレーゼも一歩、横へ動く。
ロバもまた一歩ずれる。
もう一歩。
もう一歩。
「なんで逃げるんです?」
「嫌なんじゃない?」
「そんな!」
「たぶん」
「たぶん!?」
店先で見ていた子どもたちが、声を上げて笑った。
ロバは知らん顔で、長い耳を片方だけ後ろへ倒している。
灰色がかった毛並みに、長い耳。
荷車を引かせるために買った、テレーゼの新しい旅の仲間だ。
「名前を決めましょう!」
「まだ決めてなかったの」
「今、決めます!」
テレーゼはロバの正面へ回った。
「フーゴ」
ロバは動かない。
「テオ」
長い耳が、少しだけ動いた。
ちょうどそのとき、《ひなぎく亭》の入口からマルタが出てきて、餌用のニンジンを桶のそばへ置いた。
「マックス」
ロバが顔を上げた。
「今、返事しました!」
「ニンジンを見ただけじゃない?」
「自分で選びました!」
少なくとも、テレーゼはそう思っている。
ロバはニンジンを見ていた。
「では、あなたの名前は、マックスです!」
こうして、テレーゼのロバはマックスになった。
これまでは、自分で荷車を引いてきた。
革鞄一つで出かけた最初の旅に比べれば、荷車はずっと便利だったし、引き方にもずいぶん慣れた。
慣れはしたが、重いものは重く、坂はやはり坂だった。
荷物を増やせば増やすほど、足は前へ出なくなる。前の旅では、それを嫌というほど思い知った。
だから、今回は違う。
「見てください!」
テレーゼは両手で荷車を示した。
「こんなに載せても!」
石鹸、糸、針、手袋、細々とした小物。
旅先で売るための品物をきちんと積んだ荷車を、マックスは平然と引いていた。
「すごいでしょう!」
「すごいね」
「全然重そうじゃありません!」
「そうだね」
「ということはですね」
「うん」
「まだ載ります!」
「……うん」
ヨハンの返事が、だいぶ遅れた。
「何です?」
「いや」
「何です、その顔」
「楽になるんじゃなかったのかな、と思って」
「なりますよ?」
「荷物、増やそうとしてるよね?」
「だって載るんですよ!?」
テレーゼには、ヨハンが何を問題にしているのか分からなかった。
今まで10しか運べなかったものが、ロバがいれば20運べる。だったら20運べばいい。当たり前ではないだろうか。
「ロバがかわいそうになるくらい載せたら駄目だよ」
「それは分かってます!」
「……ならいいけど」
そのあたりは、買うときにちゃんと聞いた。
どのくらいの荷なら引けるのか。
餌は、水は、休ませる間隔は。蹄や背中に異常が出ていないか、どこを見ればいいのか。
テレーゼがあまりに質問を重ねるので、ロバを売ってくれた男は、最後には少し疲れた顔をしていた。
旅に付き合わせるのだから、無理をさせるつもりはない。
ただし。
無理ではないのなら。
「まだ、余裕がありますね」
「……何を載せる気?」
「それを探しに行くんです!」
テレーゼは笑った。
◇
郡都は、今日も賑やかだった。
大通りを馬車が走り、店先からは客を呼ぶ声がする。
テレーゼはマックスの手綱を引きながら、きょろきょろと左右を見回した。
「今まで運べなかったもの……」
これまでのテレーゼの商品は、基本的に小さい。鞄や荷車に載せて、自分の腕で運べるものばかりだった。
けれど今は、隣にマックスがいて、その後ろに荷車がある。
「大きくて……」
家具屋の店先に、机が並んでいた。テレーゼは机を見て、荷車を見た。
「大きすぎますねえ」
通過した。
「重くて……」
金物屋には大鍋がある。鍋を見て、荷車を見る。
「運べますけど……これを遠くまで運ぶ意味があります?」
これも通過。
酒屋の前には樽が積んであった。樽を見て、荷車を見て、ロバを見る。
「これは中身の方が大事ですね」
そのロバが、道端の草へ首を伸ばした。
「あっ、そっちは駄目です」
手綱を引いても、動かない。
「行きますよ。今はお仕事中です。あとで食べましょう」
やはり動かない。
テレーゼはロバを見た。ロバもテレーゼを見た。
「……ヨハン」
もちろん、いない。
「こういうとき、どうするんでしたっけ」
買うときに聞いた。確かに聞いた。
怒鳴ってはいけない。無理に引っ張り続けるのもよくない。落ち着かせて――
「はいはい。分かりました」
テレーゼは待つことにした。
ロバが草を何口か食べる。
「そろそろ行きません?」
ロバは食べる。テレーゼは、もう少し待った。
「行きましょう?」
ようやく、ロバが歩き出した。
「今の、私のお願いを聞いてくれたんです?」
返事はなかった。
「まあ、いいです!」
歩き出したなら、それでいい。
テレーゼも歩きながら、店を見て、商品を見て、考えた。
大きなものを運べるようになった。だからといって、大きければ何でもいいわけではない。
運んだ先に欲しい人がいなければ、意味がない。
それは前の旅で、果物の箱と一緒に覚えたことだ。
「売れるものじゃなくて……」
誰が欲しがるのか。なぜ欲しがるのか。どこでなら欲しがるのか。
そこまで考えたとき、
ガチャン。
テレーゼは足を止めた。
ガチャン、ガチャン、と規則正しい音が続く。
金属が動く音だ。時計とは違う。もっと大きくて、もっと速い。
音は途切れず、ガチャンガチャンと間を詰めていく。
音のする方を見ると、一軒の店の窓際に、機械が一台置かれていた。
椅子に座った女が足を動かすたびに機械が動き、布が向こうへ送られ、針が上下する。
速い。
テレーゼは見た。そして、通り過ぎた。
3歩行って止まり、戻って、もう一度見た。
「ミシン……」
知っている。見たこともある。新しい仕立て道具だ。
ただ、これまでのテレーゼにとっては、仕立屋が使うもの、工房に置いてあるものでしかなかった。
自分が売るものではない。
大きいし、重いし、持って歩けない。
――今までは。
テレーゼはミシンを見て、後ろを振り返った。
荷車がある。その先でロバが、道端の草を食べている。
もう一度、ミシンを見る。荷車。ロバ。ミシン。荷車。ロバ。
テレーゼの顔が輝いた。
「これです!」
ロバは、何も知らずに、草を食べていた。
読んでくださって、本当にありがとうございます。
相棒のロバ「マックス」が登場しました。
テレーゼの第三の旅が、始まります。
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