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第9話 俺のリンゴに!?

 翌朝、果樹園の箱の前で、テレーゼは紙を読み上げた。


「二箱です!」

「ああ」

「腐ってるのは入れない!」

「ああ」

「傷は、少しくらいなら大丈夫!」

「ああ」

「柔らかすぎるのは別!」

「ああ」

「お昼までに届ける!」

「ああ」

「それから、ベルタさんが、このリンゴを作ってる人に会いたいそうです!」


 ルーカスが顔を上げた。


「何を聞きたいって?」

「採る時期、熟し方、木による違い、どれくらい採れるか!」

「行く」

「朝の仕事を終わらせてからにしろ」

「分かってるよ」


 テレーゼは紙を見て、箱を見て、父親を見た。


「完璧です!」

「そうか」


 父親はリンゴを一つ取り、箱へ入れた。


「今度は、ちゃんと聞いてきたな」

「全部、聞いてきました!」

「そうか」


 今日は、加工屋へ2度目の納品をする日だった。

 ただし、前とは一つだけ違うことがある。


「じゃあ行きますか!」

「はい」


 ルーカスが一緒だった。


 テレーゼが荷車の取っ手を握ると、ルーカスは二箱のうち一つを自分で抱え上げた。


「載せないんです?」

「持っていきます」

「重いですよ?」

「知ってます」

「私、荷車ありますよ?」

「知ってます」


 テレーゼは首を傾げた。


「じゃあ、どうして?」

「俺のリンゴだから」


 テレーゼの首が、もう一段傾いた。


「行きましょう」

「はい」


 よく分からなかったが、テレーゼは荷車を引きはじめた。


          ◇


「それ、新しい方のリンゴです?」


 道の途中で、テレーゼはルーカスの箱を指した。


「こっち?」

「はい」

「そうです」

「へえ!」


 荷車を引きながら覗き込む。


「何が違うんです?」

「前にも話したでしょう」

「いっぱい聞いたので忘れました!」

「堂々と言いますね……」

「もう一度お願いします!」


 ルーカスはため息をついた。


「こっちは少し早めに採ってます」

「どうして?」

「加工するなら、柔らかくなりすぎない方がいいかと思って」


 テレーゼは足を止めた。


「もう変えたんです?」

「何を?」

「採り方」

「まだ試しただけですよ」


 ルーカスは箱の中に目をやった。


「向こうが何を欲しいのか、分からないから。こっちの列は日当たりがいいから、少し早く熟すんです」

「へえ!」

「同じ日に全部採っても、同じにはならない」

「へええ!」

「……本当に分かってます?」

「違うってことは分かりました!」

「それだけ?」

「十分です!」

「大丈夫かなあ」


 ルーカスが笑い、テレーゼも笑った。二人はまた歩き出した。


          ◇


 北通りへ入ると、例の匂いがした。テレーゼの歩みが、少しだけ遅くなる。


 ルーカスが気づいた。


「どうしました?」

「何でもありません」

「歩くのが、遅くなりましたよ」

「何でもありません!」

「……果物の匂い、嫌なんですか?」

「嫌ではありません!」


 甘い匂いが強くなる。テレーゼの足が、また少し遅くなった。


「嫌なんですね」

「一時的に身体が警戒しているだけです!」

「ほんとはリンゴ、好きじゃなかったんですね……」

「違います!」


 工房に着いた。


「こんにちは!」

「はいよ」


 出てきたベルタの前で、テレーゼは胸を張った。


「持ってきました! 二箱です!」

「時間も合ってるね」

「はい!」

「そっちは?」


 ベルタがルーカスを見る。


「リンゴを作ってる人です!」

「どうも」


 ルーカスが頭を下げた。


「昨日言ってた?」

「はい! ルーカスさんです!」

「若いね」

「親父と一緒にやってます」

「畑の主人は親父さん?」

「そうです」

「じゃあ、あんたは?」

「俺も作ってます」


 ルーカスは抱えてきた箱を置いた。


「このリンゴは、俺が増やした木のです」

「ふうん」


 ベルタの目が、箱へ向いた。


「じゃあ、ちょうどいい」

「何がです?」

「聞きたいことがある」


          ◇


「こっちと、こっち」


 ベルタが2つの実を並べた。


「違う木?」


 ルーカスがちらりと見る。


「はい」

「分かるんです?」


 テレーゼが聞いた。


「分かりますよ」

「見ただけで?」

「俺が作ったんだから」

「すごいですね……」

「そこに驚かれても」


 ルーカスが一つを手に取った。


「こっちは日当たりのいい列です」

「こっちは?」

「少し奥。土も違います」

「味も違う?」

「多少は」

「採ったのは?」

「昨日の昼過ぎです」

「全部?」

「こっちは少し早めです」

「なんで」

「煮るなら、その方がいいかと思って」


 ベルタがルーカスを見た。


「誰に教わったの?」

「誰にも」

「じゃあ、なんで?」

「柔らかくなったやつはいらない、って聞いたから」


 ベルタは黙って一つを切り、口に入れた。もう一つも切って、食べる。


「なるほどね」

「どうです?」

「こっちの方がいい」

「早めの方?」

「ああ」


 ルーカスの目が、少し動いた。


「どのくらい早いのがいいです?」

「作るものによる」

「じゃあ――」


 ルーカスが身を乗り出した。


「何を作るときは、どれくらいがいいんです?」

「待ちな」

「はい」

「一個ずつ」

「……はい」


 ベルタは、ルーカスの顔をまじまじと見た。


「なんです?」

「いや。似てるなあと思って」

「誰と?」


 テレーゼとルーカスは、顔を見合わせた。


          ◇


「そうだ」


 ベルタが言った。


「試しに煮たやつ、食べてみる?」

「昨日のです?」

「ちょっと工夫してみた」

「食べます」


 即答だった。


「俺のリンゴですよね?」

「ああ」

「食べます」


 ベルタが奥へ行くと、ルーカスがテレーゼに向き直った。


「テレーゼさん、食べたんですよね?」

「はい!」

「どうでした?」

「美味しかったです!」

「どんな味?」

「甘くて!」

「はい」

「酸っぱくて!」

「はい」

「リンゴの味がして!」


 ルーカスが無言で待つ。


「美味しかったです!」

「何も伝わってこない……」

「美味しかったことは分かるでしょう!」


 ベルタが小さな皿を持って戻ってきた。昨日テレーゼが食べたものとは、少し色が違う。


「はい」


 ルーカスは受け取って、匂いを嗅いだ。

 甘い湯気に混じって、どこか木の皮のような香りが、テレーゼのところまで届く。

 ルーカスの眉が動いた。


「これ」

「何?」

「何か入ってますよね?」

「入ってるよ」

「何ですか?」

「シナモン」


 ルーカスは皿を見て、ベルタを見た。


「シナモン?」

「ああ」

「俺のリンゴに?」

「ああ」

「なんで余計なもの入れるんですか!」


 テレーゼの肩が跳ねた。


「ちょっと!」

「だって」


 ルーカスは皿を指した。


「香りがいいリンゴなんですよ!」

「知ってる」

「だったら、そのまま――」

「そのまま食べるならね」


 ベルタは平然としていた。


「保存が利かないから、ここへ来てるんだろ。そのまま売るなら、あんたの畑から町へ持っていけばいい。それができないから、ここへ持ってきたんだろ」

「……そうですけど」


 ベルタは皿を指した。


「文句は、食べてから言いな」


 ルーカスは、まだ納得していない顔をしている。

 それでも匙を取って、ひと口食べた。


 そこで、止まった。


「どうです?」


 テレーゼが聞いても、答えない。ふた口目。


「美味しいです?」


 やはり答えない。三口目。


「三口目です」

「……今、確認してるんで!」

「何をです?」

「味を!」

「美味しいんですね?」

「話しかけられると味がわからなくなる」


 ベルタが、にんまりした。


「もっといる?」

「……もうちょっとだけ」


 テレーゼは笑った。


          ◇


 ルーカスは四口目を食べた。

 今度は、すぐに飲み込まずにゆっくり噛んでいる。


「……シナモンの匂いがするのに」

「うん」

「リンゴの香りがたっぷり残ってる」


 ベルタが頷いた。


「香りが残るリンゴだから、入れたんだよ」


 ルーカスが顔を上げた。


「分かってたんですか?」

「食べれば分かる。煮てみればもっとはっきりする」


 ベルタは瓶を一つ、棚へ置いた。


「酸味が残る。香りも強い。甘く煮ても、味がぼやけない。こういうリンゴは、いいね」


 ルーカスは何も言わなかった。

 皿に目を落としたその顔から、さっきまでの不満が消えていた。


 テレーゼはルーカスを見ながら、果樹園で聞いた言葉を思い出していた。


『今年、やっとまとまって採れたんです』

『……親父、喜ぶと思ったんだけどな』


 何か言おうとして、やめる。

 代わりに、ルーカスに聞いた。


「それ、五口目です?」

「数えないでくださいよ!」


          ◇


「それで、話の続きだけど」


 ベルタが仕事へ戻りながら言った。


「次も、今日の状態なら欲しい」


 ルーカスがすぐに顔を上げた。


「こっちですか?」

「早めに採った方」

「どのくらい?」

「この子には言ったけど、うちが作れる分だけ」

「じゃあ、1回で二箱?」

「今のところはね」

「毎日?」

「そんなにいらない」

「じゃあ、2日おき?」

「待ちなって」


 ルーカスが口をつぐむ。

 ベルタは少し笑った。


「何です?」

「いや」


 ルーカスとテレーゼの顔を見比べる。

 そして、リンゴを一つ手に取った。


「こいつと同じくらいの状態で揃えられる?」

「できます」

「毎回だよ?」

「この列なら」


 ルーカスはすぐに答えた。


「日当たりが違うし。採る時期をずらして調整できます」

「量は?」

「二箱くらいなら問題ないです」

「毎回?」

「今の時期なら」

「傷は?」

「採るときに分けます」

「柔らかすぎるのは?」

「別にします」


 ベルタが頷いた。


「じゃあ、それで」

「はい」

「次も二箱。同じだけ」

「はい!」

「明後日の昼までに持ってきて」

「分かりました」


 ルーカスの返事が、明るかった。

 テレーゼの頬も、つられて緩む。


「やりましたね!」

「まだだよ」

「え?」


 ベルタが言った。


「値段と量の話は、畑の主人さんにも確認してきな」


 テレーゼとルーカスの動きが止まった。


「作ってるのはルーカスさんだろうけど」


 ベルタはルーカスを見る。


「売るかどうかを決めるのは、あんた一人じゃないんだろ?」

「……はい」

「こっちも、ずっと買う約束はできない。作ったものが売れなくなれば減らす。リンゴの出来が変われば、また見直す」

「はい」

「話し合って、決まったら教えて」

「分かりました」


 ルーカスが答えた。今度は、さっきより落ち着いた声だった。


          ◇


 工房を出ると、甘い匂いが背中から追いかけてきた。

 テレーゼは普通に歩いていた。ルーカスが気づく。


「帰りは平気なんですね」

「何がです?」

「匂い」


 テレーゼは振り返った。


「本当ですね」

「慣れた?」

「いえ」


 少し考える。


「さっき食べたのが美味しかったからでしょうか」

「それなら、またリンゴ、食べられますね」

「リンゴは……しばらくいいです」

「やっぱり嫌いなんですか?」

「難しいんです!」


 がらがらと荷車を引いて、しばらく歩いた。


 やがて、ルーカスが言った。


「……ちゃんと分かる人には、分かるんですね」

「え?」

「リンゴ」


 ルーカスは前を向いたままだった。


「親父以外に、ああいうふうに言われたことなかったから」


 テレーゼは黙って続きを待った。


「市場じゃ、今年はどれも安いでしょう」

「はい」

「あふれかえるくらい、いっぱいあるから」

「はい」

「だから」


 少し間があった。


「俺のリンゴも、他のリンゴも、人から見ればみんな同じなのかと思ってました」


 テレーゼは考えた。


「でも、違ったんですね」

「みたいですね」

「よかったですね!」

「はい」


 ルーカスが笑った。それから、すぐに付け足した。


「シナモンは、なくても美味いと思いますけどね」

「でも、六回おかわりしましたよね」

「……念入りに、確認しただけです」

「七回も?」

「なんで増えてるんですか」

「あ、待ってください!」


 先に歩き出したルーカスを、テレーゼは荷車を引いて追いかけた。


 荷車には、空になった箱。

 手元には、加工屋から聞いた条件。

 そして、果樹園へ持ち帰る話が、また一つ増えていた。

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― 新着の感想 ―
煮たりんごの美味しさの連鎖が、どんどん広がっていますね! シナモンで煮たりんご!堪んないです(^q^) テレーゼの直球な「美味しかったです!」も可愛いですwww 「甘くて!酸っぱくて!リンゴの味がし…
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