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第3話 こんなに採れたら大儲けでは?

 宿は、思ったより簡単に見つかった。

 見つかったのだが。


「一泊、いくらです?」


 主人が値段を答える。


「食事は?」

「朝だけだな」

「荷車は置けます?」

「裏でいいなら」

「屋根はあります?」

「一応」

「鍵は?」

「かからん」


 テレーゼは考えた。


 もう一度、宿の入口を見る。

 豪華ではない。というより、かなり簡素だった。

 駅の近くには、もっと立派な宿もあった。食堂のついているところも、大きな看板を掲げたところもあった。


 しかし。


「……これくらいまで、安くなりません?」

「ならん」

「三泊なら?」

「ならん」

「洗濯は自分でします」

「それはいいが、安くはならん」

「荷車は自分で見張ります」

「自分で、って、どうやって」

「部屋に入れておきます」

「やめてくれ!」


 主人は、根負けした顔でテレーゼを見た。


「四泊以上。それなら」

「……泊まります!」

「毎度」


 宿代は安くなった。テレーゼは満足した。


 前の旅では、宿に泊まるというだけで少し緊張したものだ。

 今は違う。値段を聞き、食事を聞き、荷物を置けるかを聞く。

 条件が合えば泊まり、合わなければ別を探す。

 旅というのは、そういう細かいことの積み重ねらしい。


          ◇


「北?」


 翌朝、テレーゼは朝食の黒パンをかじりながら、宿の主人に聞き返した。


「ああ。町の中だけ回るつもりじゃないんだろ?」

「もちろんです!」

「なら、北の方には農家がある。こっちまで毎日買い物には来れないからな」

「なるほど……」


 テレーゼはパンをもぐもぐしながら考えた。


 昨日は町の中でよく売れた。人が多く、店も多い。

 だから今日も町で売ればいい。そう思っていたのだが。


「町へ来ないお客さんもいる……」

「そりゃいるだろ」


 テレーゼはパンを飲み込んだ。


「行ってみます!」

「そうかい」


 主人はそれ以上は言わなかったし、テレーゼもそれ以上は聞かなかった。

 行けば分かる。


          ◇


 駅町の北通りを抜ける途中。

 開け放した戸口のどこかから、甘くて少し酸っぱい匂いが流れてきた。何かを鍋で煮詰めているらしい。


 テレーゼは一度だけ顔を向けたが、そのまま荷車を引いて通り過ぎた。


 通りを抜けると、景色はすぐに変わった。

 人通りも建物も減り、代わりに畑が増えていく。

 道の両側に低い石垣が続き、その向こうに麦畑や牧草地が広がっていた。遠くには、果樹の並ぶ丘も見える。


 さっきまで駅町の喧騒の中にいたのが嘘のように、静かだ。


 けれど、ときどき――


 ポオオオ――ッ。


 遠くで汽笛が鳴る。

 振り返ると、畑の向こうを黒い煙が横へ流れていった。


 テレーゼは自分の荷車に目を落とした。


「今日は見ないことにしましょう」


 見えている。それでも歩く。


 町の中ほど客は多くない。その代わり、家を見つければテレーゼの方から声をかけた。


「こんにちはー!」


 畑にいる人が顔を上げる。


「旅商人です! 何か要るものありません?」


 最初の家では髪飾りが売れ、次ではスカーフ、その次では蝋燭が売れた。

 町のように次々と客が来るわけではない。けれど、わざわざ町まで買いに行くほどではないものを目の前まで持ってくるだけで、喜ばれる。


「へえ……」


 テレーゼは荷車を引きながら頷いた。


「こっちはこっちで、売れますね」


 町には町の、農村には農村の売れ方がある。

 面白い。


 その日の昼前だった。


「こんにちはー!」


 道沿いの果樹園で作業をしていた若い男が、顔を上げた。


「はい?」

「旅商人です! 何か要るものありません?」


 二十歳をいくらか過ぎたくらいだろうか。袖を肘までまくり、土のついた手袋をはめている。

 男はテレーゼより先に、その後ろの荷車を見た。


「それ、自分で引いてるんですか?」

「はい!」

「へえ」


 男が近づいてくる。


「結構積める?」

「積めます!」


 テレーゼは胸を張った。


「重いですけど!」

「でしょうね」

「でも前よりずっと運べるようになりました!」

「いいですね」

「いいですよ!」


 テレーゼは、この若い男がなんとなく気に入った。


「何か要ります?」

「何があるんですか?」

「いろいろあります!」

「いろいろじゃ分からないな」

「ですよねえ!」


 テレーゼは荷台を見せた。男はしばらく品物を眺めてから、紐を手に取った。


「紐です?」

「もうちょっと丈夫なのはあります?」

「何に使います?」

「苗木を固定するのに。今使ってるやつ、濡れるとすぐ駄目になるんですよ」

「でしたら……」


 テレーゼは何種類か取り出した。


「これは丈夫ですけど、ちょっと硬いです。こっちは少し高いですけど、濡れても傷みにくいです」

「へえ」


 男は両方を指でしごいて比べてみた。


「じゃあ、こっち」

「はい!」


 代金を受け取り、紐を渡す。


「ありがとうございます!」

「ちゃんと聞いてから売るんですね」

「もちろんです!」


 テレーゼは胸を張った。


「旅商人ですから!」


 言える。今なら言える。


 男が笑った。


「それにしても、苗木ですか?」

「え?」

「さっき言ってました」

「ああ」


 男は果樹園の奥を指した。


「ちょっと試してるんです」

「何をです?」

「育て方とか、接《つ》ぎ方とか。いろいろ」

「へえ!」


 テレーゼの目が輝いた。


「新しいやつです?」

「そうです」

「いいですね!」

「いいでしょう!」


 二人の声が弾んだ。


 この男。たぶん、同じ種類の人間だった。


「親父には、またやってるって言われますけど」

「また?」

「いろいろ試してるんですよ。こっちの方が実がよく生《な》るんじゃないかとか、病気に強くならないかとか」

「面白そうです!」

「でしょう?」

「はい!」


 テレーゼは完全に食いついた。


「成果は?」

「ありますよ」

「本当です?」

「今年なんかすごいです」

「何がです?」


 男は、にやりとした。


「リンゴ」

「リンゴ?」

「今年のリンゴはすごいですよ」


 昨日の市場が頭をよぎった。山積みのリンゴと、「豊作すぎる」という言葉。


「たくさん採れたんです?」

「たくさんどころじゃないです」


 男は得意そうに言った。


「見ます?」

「見ます!」


 間髪を入れずに返事をした。


          ◇


「うわあ……!」


 果樹園へ入ったテレーゼは、思わず声を上げた。


 木、木、木。

 緩やかな斜面に沿って、背の高いリンゴの樹が何列も並んでいる。

 その枝のあちこちで、葉の間から赤い実が覗いていた。

 一本だけではない。どの木にも、たくさん。


「すごいです!」

「でしょう!」


 男が笑う。


「今年は本当に出来がいいんですよ」


 テレーゼは近くの木へ寄った。


「こんなになるんですね」

「枝が重すぎるくらいです」

「これも、さっき言ってた新しいやつです?」

「それは昔からある方です。俺が増やしたのは、もうちょっと向こう」

「見たいです!」

「こっちです」


 男について歩く。

 果物と葉と土の匂いが混じった空気を、テレーゼは胸いっぱいに吸い込んだ。

 どこか低いところで、羽虫が唸っている。

 梨の古木がまばらに立ち並ぶ一画では、ガチョウと羊が歩いていた。

 向こうには豚の親子の姿も見える。


「かわいいです!」

「こいつらも、働き手なんですよ」

「へえ? なにをするんです?」

「雑草の根を食べたり、虫を取ったり」

「えらいですねえ!」


 テレーゼの革靴が、しゃくしゃくと土を踏んで進む。


「町の市場でも、リンゴがたくさんありましたよ。山のように」

「ああ。今年はどこも豊作だから」

「やっぱりそうなんですね」

「でも、うちのは、出来もいいですよ」

「へえ!」


 テレーゼがますます感心した、そのときだった。


 足元で、ぐしゃりと音がした。

 テレーゼは止まった。靴の下で、リンゴが潰れている。


「あっ!」


 慌てて足を上げる。


「す、すみません!」

「いいですよ」

「でも!」

「落ちてたやつだから」


 テレーゼは潰れた実を見た。

 よく熟している。虫食いでもないし、ひどく傷んでいたようにも見えない。


 顔を上げて、そこで初めて気づいた。


 この一個だけではない。

 木の根元にも、草の間にも、あちらにもこちらにも、リンゴが落ちていた。

 豚の親子が、落果をはぐはぐと食べている。


「……こんなに?」

「ええ」


 男の声が、さっきより少しだけ低くなった。


 木にはまだたくさん実っている。地面にも、たくさん落ちている。

 甘いと思っていた匂いの中に、別の匂いが混じっていた。熟れすぎた果物と、潰れた果汁の、発酵しかけたような甘酸っぱい匂い。


「これ、全部は採らないんです?」

「採れるだけは採ってますよ」

「でも……」

「おーい」


 別の声がした。


 二人が振り返ると、少し離れたプラムの樹の向こうから、一人の男が歩いてくるところだった。

 50を少し過ぎたくらいだろうか。

 日に焼けた顔に、太い指。作業着は土と果汁で汚れ、片手に籠を提げている。


「ルーカス、仕事はどうした」

「してるよ」

「お嬢さんを連れて歩くのが?」

「商人さんだよ」

「ああ」


 父親らしい。


 若い男――ルーカスが、テレーゼを示した。


「旅商人の――」

「テレーゼです!」


 テレーゼが頭を下げると、父親も軽く頭を下げた。


「どうも」


 それからルーカスを見る。


「紐、買ったよ」

「何に使う」

「苗木に」

「まだやるのか」

「やるよ」

「三列以上使うなよ」

「なんで?」

「全部駄目だったとき、困るだろ」

「最初から失敗すると思ってる」

「成功すると思ってるから、三列も使わせてるんだ」

「じゃあもっと――」

「調子に乗るな」


 ルーカスが口をつぐむ。

 テレーゼは二人を交互に見た。なるほど、こういう親子らしい。


 父親は籠を置いて腰を伸ばし、首の後ろを軽く叩いた。


「それで?」

「え?」

「何を見せていた」


 ルーカスが木を指した。


「今年の出来」

「見りゃ分かるだろ」

「商人さんは初めて見るんだからいいだろ」

「まあな」


 父親も、枝いっぱいの実を見上げた。テレーゼも一緒に見上げる。


「本当にすごいですね」

「ああ」


 父親はそれだけ言った。


 テレーゼには、少し意外だった。何でも否定するだけの人ではないらしい。


「今年は、すごくたくさん採れたんですよね?」

「採れたな」

「しかも、美味しいんですよね?」


 ルーカスが先に答えた。


「美味いですよ」


 父親も、


「今年のは出来がいい」


 と言った。


「ですよね!」


 自分が作ったわけでもないのに、テレーゼは胸を張りたくなった。


「市場でもリンゴが安かったんです!」


 父親がテレーゼを見る。


「見たのか」

「はい! たくさんありました!」

「そうだろうな」

「お客さんも買ってました!」

「まあ、買うだろうな」


 やっぱり。


 テレーゼの中で、話がつながっていく。

 豊作で、たくさん採れて、美味しくて、市場でも売れている。

 こんなにいっぱいある。それなら。


「でも、本当にすごいですねえ」


 テレーゼは、ずらりと並ぶリンゴの樹を見渡した。

 赤い実が、日の光を受けて光っている。


「こんなに採れたら――」


 ルーカスを見る。


「大儲けじゃないですか!」


 父親が言った。


「大赤字だよ」

「え?」


 聞き返したのは、テレーゼだけだった。

 隣で、ルーカスの笑顔が固まっている。

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― 新着の感想 ―
おお!おお!テレーゼが相手の話を聞いてから、必要な品物を売っている!そして売れている!おめでとうテレーゼ!(*´∀`*) そして、大豊作のリンゴたちが不穏ですね……。 現状でも収穫が間に合わず、市…
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