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第2話 売れます!

「人、多いですねえ……」


 町へ入って、最初に出た言葉がそれだった。


 道の向こうからも横からも、人が来る。荷車が通り、馬車が通る。

 誰かが大声で荷運びの客を呼び込み、別の誰かが宿の客引きをしている。


 駅へ向かう人と、駅から出てくる人。

 仕事着の男たち、旅装の夫婦、大きな籠を抱えた女、見たことのない形の帽子をかぶった商人。


 テレーゼは荷車を引きながら、きょろきょろと辺りを見回した。


 思った以上だった。

 《ひなぎく亭》で聞いた話は、本当だったらしい。

 駅ができてから人が増え、宿が増え、店が増え、仕事も増えた。


 ということは。


「これは、売れますよ……!」


 テレーゼはにやりと笑い、ちょうどこちらの荷車に目を留めた女へ声をかけた。


「こんにちは!」

「え?」

「旅商人です!」


 女が少し足を止める。

 テレーゼはすぐに荷台の商品へ手を伸ばした。


「こちらの石鹸はですね――」


 そこまで言って、手が止まった。


 女が怪訝そうにこちらを見ている。テレーゼは、そっと石鹸を戻した。


「あの」

「はい?」

「何か、お探しです?」


 女は少し意外そうな顔をした。


「探してるっていうか……」


 荷車を覗き込む。


「針はある?」

「あります!」


 テレーゼはすぐに何本か取り出した。


「縫い物です?」

「そう。仕事場で使うんだけど、昨日1本折っちゃって」

「厚い布ですか?」

「ええ。荷袋を直すから」

「でしたら――」


 テレーゼは一度手に取りかけた細い針を戻した。

 となりの針を取って、女に見せる。


「こっちの方がいいと思います。少し太いですけど、その分曲がりにくいので。ただ、細かい縫い目には向きません」

「いいよ。丈夫な方が助かる」

「では、こちらを」


 女は針を受け取り、値段を聞いて財布を出した。

 ひやりとした硬貨が、テレーゼの手のひらに落ちる。


 テレーゼがそれをじっと見つめていると、女が首を傾げた。


「何?」

「あっ、いえ! ありがとうございます!」


 女は針をしまい、人混みへ消えていった。


 テレーゼはその背中を見送り、それから、もう一度手のひらの硬貨を見た。


「……売れました」


 小さく呟く。


 当たり前だ。売ったのだから。


 けれど前の旅では、良い品なら良さを説明すれば売れると思っていた。

 たくさん説明して、いっぱい喋って、相手が何か言おうとしても喋り続けた。


 そして、売れなかった。


 テレーゼは硬貨を財布へしまった。顔が、少しずつ緩んでいく。


「売れました!」


 次の客が、荷車を覗き込んでいる。


「何かお探しです?」


 今度は迷わなかった。


 紐を探している男には、使い道を聞いた。


「紐?」

「そう。細いのじゃなくて、もっと丈夫なの」

「何に使います?」

「荷札をまとめる」

「でしたら、これくらいです?」

「ああ、それ」


 石鹸を探している女には、何を洗うのかを聞いた。


「手洗い用です? 洗濯です?」

「洗濯」

「でしたら、香りの強いものより――」


 手袋が欲しいという男には、どんな仕事をしているのか聞いた。


「お仕事は?」

「線路の荷下ろし」

「なら、こっちです。少し硬いですけど、掌が厚くなってます」

「ほう」


 昼を過ぎた頃、テレーゼは荷車の脇で財布の中身を確かめた。

 もう一度確かめて、思わず財布を握りしめる。


 売れている。ちゃんと売れている。


 しかも、前の旅の最初のように、たまたま安くしたから売れたわけではない。

 欲しいものを聞き、使い道を聞き、その人に合うものを出した。そうして売れた。


「売れます!」


 声が出た。通りすがりの男が振り返る。


「あっ」


 テレーゼは咳払いをした。


「何でもありません!」


 男は首を傾げながら歩いていった。

 テレーゼは口元を押さえる。嬉しい。ものすごく嬉しい。


「やっぱり、人が多いところは違いますねえ」


 もちろん、理由はそれだけではない。

 けれど今のテレーゼは、そこまで考えていなかった。


 人がたくさんいて、欲しいものもたくさんある。自分はその「欲しい」を聞いて、売れるようになっている。


「ふふふ」


 荷車も、朝より少し軽い。


「いい町です!」


 とても単純な評価だった。


 ◇


 午後、テレーゼは市場へ向かった。

 売れた品を補充できる仕入れ先がないか見たかったし、この町で何が売られているのかも気になった。


 市場は賑わっていた。

 魚、肉、パン、野菜、卵、乾物、雑貨、布。

 それから――。


「……果物、多いですね」


 赤いもの、黄色いもの、まだ青みの残るもの。

 籠に積まれ、木箱に詰められ、店先に山になっている。

 甘い匂いが、通りの半分を埋めていた。


 テレーゼは一軒の前で足を止めた。


「……安いですねえ」


 値札を見て思わず口に出た。店番の男が顔を上げる。


「なんだい、嬢ちゃん」

「あっ、すみません」

「宣伝してくれるのかい。もっとでかい声で言ってくれ」

「安いですね!」

「そりゃどうも」


 褒めたつもりではなかったが、男は気にしていないらしい。


 テレーゼはリンゴを指差して尋ねた。


「これ、いくらです?」


 聞いた値段は、やはり安かった。


「やっぱり安い……」

「今年はそんなもんだよ」

「……もしかして、訳アリとかです?」

「そんなもん店に並べないよ」

「すみません!」


 大きく頭を下げて謝った。


 男は一つ取って、布で軽く拭いた。


「食ってみな」

「いいんです?」

「買えよ。傷んだりしてねえから」

「買います!」


 買うしかない。

 テレーゼはリンゴ一つ分を払い、その場でかじった。


 しゃく、と歯が入る。甘くて、少し酸っぱくて、水気が多い。


「美味しいです!」

「だろ」

「じゃあ、なんでこんなに安いんです?」


 男は肩をすくめた。


「今年はどこも採れすぎたんだよ」

「採れすぎた?」

「豊作」

「それなら、いいことでは?」

「いいことなら、俺ももうちょっと機嫌いいよ」


 男は笑った。

 テレーゼは、もうひと口かじる。


「豊作なのに?」

「豊作すぎるんだよ」


 テレーゼの口が止まった。


「豊作すぎる……?」

「そうそう」


 そこへ、客が来た。


「おじさん、これ三つ」

「あいよ」


 男はすぐにそちらへ向き直った。

 話は終わりらしい。


 テレーゼは、店先に山のように積まれたリンゴを見た。

 安い。ちゃんと美味しい。客は買っている。

 それなのに。


「豊作すぎる……?」


 もう一度呟いてみても、意味はよく分からなかった。

 たくさん採れて、たくさんあって、美味しくて、売れている。

 それなら、いいことではないのだろうか。


 考えながら最後のひと口を食べると、リンゴは芯だけになっていた。


「まあ……」


 テレーゼは芯を捨てる場所を探した。


「そういうことも、あるんでしょうか」


 分からないものは分からない。

 それより今日は、宿を探さなければならない。


 テレーゼは再び荷車を引き始めた。

 財布は朝より重く、荷車は朝より軽い。

 初日の商売は悪くなかったし、足取りも自然と軽くなる。


 ただ、市場で聞いた男の声が、耳の奥にまだ引っかかっている。


『豊作すぎるんだよ』


「……変なの」


 テレーゼは首を傾げたまま、夕方の駅町を歩いていった。

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