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第12話 ただいまです!

 郡都の門をくぐった。


「ただいまです!」


 テレーゼは、もう一度言った。

 今度の「ただいま」は、門番に聞こえた。


「おかえり」

「はい!」


 顔見知りの門番だった。それだけで、なんだか嬉しい。

 道も知っている。角を曲がれば何があるかも、知っている。

 パン屋。仕立屋。雑貨屋。いつも荷車を道にはみ出させている店。


「あ」

「ん?」


 その店先にいた男が、こちらを見た。


「テレーゼじゃないか」

「はい!」

「帰ってきたのか」

「帰ってきました!」

「商売は?」

「しましたよう!」

「儲かったかい?」

「……もちろんです!」


 笑われた。顔で、見抜かれている。

 言い返そうとした、そのとき。


「あーっ!」


 甲高い声がした。

 嫌な予感がした。


「テレーゼだ!」

「テレーゼ!」

「帰ってきた!」


 小さな影が2つ、通りの向こうから走ってくる。《ひなぎく亭》の子どもたちだった。


「お帰り!」

「ただいまです!」

「お土産!」

「早い!」


 再会から、二言目だった。


「何か買ってきた?」

「甘いもの!」

「すごいの!」

「待ってください! まずは私の無事を喜ぶところでは?」

「お帰り!」

「お帰り!」

「お土産!」

「間に挟めばいいってもんじゃありません!」


 二人が、鞄へ手を伸ばす。


「触っちゃ駄目です!」

「なんで?」

「商品です!」

「売れ残り?」


 テレーゼの動きが、止まった。

 子どもたちが、顔を見合わせる。


「売れ残りだ」

「売れ残りだ!」

「違います!」

「じゃあ売れた?」

「…………全部は」

「売れ残り!」

「言い方ぁ!」


 旅先では、残った商品を見るたびに、少しだけ足が重くなった。

 売れなかった。失敗した。そう思っていた。

 でも、こうして子ども二人に囲まれていると。


「これ何?」

「櫛です」

「いらなぁい」

「そうでしょうね!」

「これは?」

「布です」

「いらなぁい」

「これは?」

「石鹸です」

「いらなぁい」

「あなたたち、何なら欲しいんですか!」

「甘いもの!」

「すごいの!」

「持ってません!」

「えー!」

「旅商人なのに!」

「旅商人はお菓子屋さんではありません!」


 テレーゼは、鞄を抱えて逃げ出した。二人が、追いかけてくる。


「何かちょうだい!」

「ありません!」

「絶対ある!」

「ありません!」

「見せて!」

「嫌です!」


 《ひなぎく亭》に着くまで、ずっと追われた。


          ◇


「ただいまです!」


 扉を開けると、懐かしい匂いがした。

 竈の火の匂い。煮込みの匂い。焼いたパンの、香ばしさ。


「おや」


 マルタが、振り返った。


「帰ってきたね」

「はい!」

「お帰り」

「ただいまです!」


 口に出してみて、ようやく、ちゃんと帰ってきた気がした。


「怪我は?」

「ありません!」

「財布は?」

「あります!」

「荷物は?」

「あります!」

「売れた?」

「売れました!」

「全部?」


 テレーゼは、すっと目を逸らした。

 マルタが笑った。


「まあ、そんなもんだよ」

「でも、売れました!」

「はいはい」

「黒字の日もありました!」

「赤字の日もあったんだね」

「どうして分かるんですか!」

「どうして分からないと思うんだい」


 厨房の奥から、オットーが顔を出した。


「帰ったか」

「はい! ただいまです!」

「そうか」


 それだけで、引っこんでしまった。

 テレーゼは、思わずマルタを見た。


「それだけです?」

「何を期待してたんだい」

「もう少し、こう……」


 厨房から、また声がした。


「手ぇ洗え」

「はい!」


 いつもどおりだった。

 ものすごく、いつもどおりだった。

 それが、なんだか嬉しかった。


          ◇


 鞄を置いて、帽子を脱ぐ。

 帽子の中に収めていた髪が、背中へばさりと落ちた。

 手を洗って、椅子に座る。

 座った途端、膝から下が、自分のものではなくなった。


「疲れた……」

「今さら?」


 マルタが笑う。


「帰ってきたら、急に」

「そんなもんさ」

「旅の途中では、平気だったんですけど」

「平気じゃなかったろ」

「足は痛かったです」

「ほら」

「荷物も重かったです」

「ほら」

「一個も売れない日もありました」

「ほら」

「ネギで赤字になりました」

「何やってんだい」

「でも石鹸では黒字になりました!」

「忙しいねえ」

「香水も売れました!」

「おや」

「ちゃんとした値段で!」

「そりゃよかった」

「それから、鋏を――」

「待ちな」

「はい?」

「先に食べな」


 目の前に、皿が置かれた。

 テレーゼは、その皿をまじまじと見た。


「これ……」

「余り物だ」


 オットーが、ぼそりと言った。

 テレーゼの好きな煮込みだった。肉と根菜を、柔らかくなるまで煮こんだもの。


「私、これ好きです」

「知ってる」

「私が帰ってきたからです?」

「余り物だ」


 マルタが、横から口を挟んだ。


「オットーね。朝から仕込んでたよ」

「おい」

「まあ!」

「余計なこと言うな」

「私、帰ってくるって、今日まで言ってませんでしたよ?」

「だから余り物だ」

「じゃあ、どうして朝から?」

「食わないなら下げるぞ」

「食べます!」


 匙を取って、ひと口すくう。

 ゆっくりと、飲みこむ。


「おいしい」

「そうか」

「おいしい」

「よかった」

「おいしいです!」

「分かった」


 もうひと口。温かい。

 旅先でも、食事はした。マリーの宿の料理も、美味しかった。豆のスープも、肉のシチューも、魚も。

 でも、これは――。

 自分がこれを好きだと知っている人が作った味だった。


「オットー」

「なんだ」

「ありがとうございます」

「余り物だって、言ってるだろ」

「はい!」


 そういうことにしておこう。


          ◇


「それで?」


 食べ終わるころには、マルタが向かいに座っていた。


「何があったんだい」

「聞きます?」

「聞かないほうがいいのかい?」

「聞いてください!」


 テレーゼは、身を乗り出した。


「まずですね!」


 香水が、一個も売れなかったこと。


「一個も?」

「一個もです!」


 ネギなら売れると思ったこと。


「なんでネギなんだい」

「需要があったので!」

「はあ」


 でも、売れなかった。ようやく子どもが買ってくれたが、安くしすぎて赤字だった。

 石鹸を半分にしたら、これは利益が出た。

 仕立屋が探していた鋏を、金物屋まで走って買いに行った。


「それで?」


 客に、店番を頼んだ。


「なんでだい」

「すぐ戻るつもりだったので!」


 戻ったら、その客が石鹸と櫛を売っていた。


「なんでだい」

「私も聞きました!」


 鋏も売れた。ただし、店の場所を教えればよかったと、買った本人に教えられた。


「なんで気づかなかったんだい」

「鋏を見つけたので!」


 マルタが、額を押さえた。


「待っておくれ。話が多い」

「まだあります!」

「あるんだろうねえ」


 マリーと父親が、喧嘩をした。テレーゼが、間に入った。


「なんでだい」

「お話を聞こうと思って!」


 余計に、揉めた。


「だろうね」

「どうして分かるんですか!」

「なんで揉めないと思ったんだい」


 でも、最後には二人で話をした。マリーは結婚する。新しい人を探して、一緒に引き継ぎをする。


「それなら、よかったね」

「はい!」


 それから、香水が売れた。最初の日には一つも売れなかった、同じ香水が。


「どうやって?」

「聞いたんです」

「何を?」

「その人が、どんなお店を作りたいのか」


 テレーゼは、少し得意になった。


「『わあ』ってなるお店にしたいって」

「わあ?」

「はい。でも、どんな『わあ』なのか分からなかったので」

「うん」

「聞きました」

「うん」

「そしたら、香りが合うかもしれないって思って」

「それで売れた?」

「はい!」


 マルタが笑った。


「そうかい」

「はい!」

「少しは商人らしくなったじゃないか」


 テレーゼの動きが、ぴたりと止まった。


「今、なんて?」

「少しは、って言ったんだよ」

「その後です!」

「商人らしく?」

「もう1回!」

「嫌だよ」

「マルタ!」

「うるさいねえ」


 卓の下で、テレーゼの足がばたばたと床を鳴らした。


「それから、針です!」

「まだあるのかい」

「あります!」


 街道沿いのおばさんに、頼まれた。何に使うか、聞き忘れた。


「なんで聞かないんだい」

「その頃の私は、まだ未熟だったんです」

「その頃って、数日前だろ」

「昔のことです!」


 いくつか買って、帰りに選んでもらった。町まで行かずに済んだからと、テレーゼの言い値より多く払ってくれた。

 そして。


「『また頼むよ、行商人さん』って言われました」

「へえ」

「行商人さん、です!」

「聞こえてるよ」

「私、自分で言ったんじゃないんですよ!」

「分かったって」

「向こうから言ってくれたんです!」

「嬉しかったんだねえ」

「はい!」


 即答だった。


「すっごく!」


 マルタは、しばらくテレーゼを見ていた。


「そうかい」

「はい」

「じゃあ、行ってよかったね」


 テレーゼは、黙った。

 行ってよかった。

 その言葉が、胸の底に、すとんと落ちた。


「…………はい」


 婚約が、なくなった。

 旅商人になると、言った。

 父に、頼みこんだ。

 荷物を詰めて、町を出た。

 何も、分からなかった。

 失敗した。

 恥ずかしかった。

 赤字にもなった。

 余計なこともした。

 全部は、売れなかった。

 でも。


「はい」


 もう一度、言った。


「行ってよかったです」


          ◇


「ところで」


 マルタが言った。


「はい?」

「あの子たちに何かあげたのかい」

「何も」


 店の隅に目をやると、子ども二人が、じっとこちらを見ていた。

 テレーゼも、じっと見返した。

 しばらく、誰も動かなかった。


「まだいたんですか!」

「お土産!」

「ありません!」

「何か!」

「ありません!」

「売れ残りでいい!」

「商品です!」

「じゃあ買う!」

「お金は?」

「ない!」

「駄目です!」

「けち!」

「商人ですから!」


 二人が、ぶうぶう言う。

 テレーゼは、仕方なく鞄を開いた。

 売れ残り。そう呼ばれると、ちょっと腹が立つ。

 でも、中を覗くと、以前とは少し違って見えた。

 売れなかったもの、ではない。まだ、欲しい人に会っていないもの。


「これは?」


 子どもの一人が、小さな木の飾りを指差した。


「それが欲しいんです?」

「うん」

「どうして?」

「鳥だから」

「鳥が好き?」

「うん」


 テレーゼは、手の中の飾りに目を落とした。

 そうか。この子は、鳥が好きなのか。


「じゃあ――」

「ただで!」

「駄目です!」

「けち!」

「だから商人です!」


 結局、皿洗いを1回する約束で渡した。

 もう一人にも別の小物を渡したので、皿洗いは二人分になった。


「これも商売です!」

「そうかねえ」


 マルタが、笑っていた。


          ◇


 外は、まだ明るかった。

 テレーゼは、立ち上がった。


「さて」

「どこ行くんだい」

「ヨハンのところです」

「まだ行ってなかったのかい」

「さっき帰ってきたばかりです!」

「もうずいぶん喋ってたけどね」

「マルタへの報告が長くなりました!」

「ヨハンのところでも長くなるんだろうねえ」

「大丈夫です!」

「何が大丈夫なんだい」


 帽子を取ろうとして、テレーゼは手を止めた。

 少し考えて、そのまま卓に置く。


「すぐ隣ですから」

「そうだね」


 旅の帽子を置いて、テレーゼは外へ出た。

 数歩で、隣の工房に着く。何度も入ったことのある扉だ。

 その前に立つと、まだ開けてもいないのに、聞こえてきた。


 カチ、カチ、カチ。


 時計の音。

 旅先では、一度も聞かなかった音。

 テレーゼは、扉を開けた。


 壁の時計。机の時計。分解された時計。

 いくつもの小さな音が、重なって部屋を満たしている。

 作業台の向こうに、ヨハンがいた。


「ヨハン!」


 ヨハンが、顔を上げる。


「ん」

「ただいまです!」


 ヨハンは眼鏡から拡大鏡を外して、テレーゼを見た。

 頭から、足元まで。怪我がないか、変わりがないか、確かめるように。


「おかえり」

「はい!」


 テレーゼは笑った。


「聞いてください! いっぱいあるんです!」

「だろうな」

「まず、香水が一個も売れなくて!」

「最初から失敗か」

「最後まで聞いてください!」


 いつもの椅子へ向かう。

 作業台の向かい側。危ない工具には手が届かず、仕事の邪魔にもなりにくい場所。

 幼い頃から、そこがテレーゼの指定席だった。

 腰を下ろす。


「それでですね――」

「待って」

「はい?」


 ヨハンが、言った。


「……全部、売れた?」


 テレーゼは、止まった。

 出発の日、この部屋で言った言葉が、よみがえる。


『全部売って帰ってきます!』


「…………全部は」

「そうか」

「でも!」

「うん」

「ちゃんと売れました!」

「うん」

「香水も1本!」

「うん」

「石鹸も!」

「うん」

「ネギは赤字でした!」

「なんでネギ売ってるんだ」

「そこから説明します!」


 ヨハンが、少し笑った。

 テレーゼは、気づかなかった。


「それでですね!」


 話した。全部。

 ヨハンは時計をいじりながら、聞いていた。

 ときどき「ん」と相槌を打ち、たまに「なんで?」と聞いた。

 そのたびに、テレーゼは詳しく説明した。

 話し終わるころには、窓の外が少し暗くなっていた。


「――というわけです!」

「長い」

「これでも、大事なところだけです!」

「そうか」

「はい!」


 ヨハンは、工具を置いた。


「で」

「はい?」

「どうだった」

「どう?」

「旅」


 テレーゼは、口を開いた。

 すぐに答えようとして、止まった。


「…………楽しかったです」


 ヨハンが、こちらを見る。


「すっごく」


 もう一度。


「楽しかったです」

「そう」

「だから」


 顔いっぱいの笑顔で言った。


「また行きたいです」


 ヨハンは、少しだけ黙って。

 それから、言った。


「じゃあ、行っておいで」

「はい!」


 即答した。


「行きます!」

「次のこと、まだ何も決めてないだろ」

「これから決めます!」

「そうか」

「次は、もっと上手くできます!」

「どうだろうな」

「できます!」

「ネギで赤字にしたのに?」

「もうしません!」

「針の使い道も聞かなかった」

「次は聞きます!」

「客に店番させた」

「それは……」

「宿屋の親子喧嘩にも入った」

「それも……」

「またやりそうだな」

「やりません!」

「そうか?」

「…………たぶん!」


 ヨハンが、笑った。

 今度は、テレーゼにも分かった。


「あ!」

「なんだ」

「笑いましたね!」

「笑ってない」

「笑いました!」

「気のせいだ」

「見ました!」

「うるさい」

「ふふ」


 テレーゼも、笑った。

 時計の音が、変わらず部屋を満たしている。

 帰ってきた、と思った。

 全部は、売れなかった。商人としても、たぶん、まだ半人前ですらない。


「…………四分の一人前くらいでしょうか」

「何が」

「商人として、です」

「さあ」

「でも、ゼロではなくなりました!」

「そうかもな」

「でしょう!」


 テレーゼは満足して、それから、まだ鞄に残っている品のことを思った。

 石鹸、櫛、布、小物。

 売れなかったもの、ではなく。まだ、欲しい人に会っていないもの。

 あれを欲しい人は、どこにいるんだろう。

 どんな人だろう。

 何に使うんだろう。

 どんな話をするんだろう。


「ヨハン」

「ん」

「次は、どこへ行きましょう?」

「俺に聞くなよ」

「ですよね!」


 テレーゼの声は弾んでいた。


 カチ、カチ、カチ。


 時計は、いつもと同じ音を立てていた。

 その向こうには、前よりずっとたくさんの道があるような気がした。

読んでくださって、本当にありがとうございます。


テレーゼの旅商人デビューの章、『第一旅』はこれで完結です。

次回からは、新しい旅がスタートします。


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これからも、テレーゼをどうぞよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
『第一旅』完結おめでとうございます\(^o^)/ いやぁ、「ただいま」「おかえり」のやりとりがなんと温かいことか(*´ω`*) テレーゼ、実家より先にひなぎく亭とヨハンの元へ帰るんですね。うーん、…
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