第九話 災厄と最悪
はぁはぁ。と荒い息遣いが聞こえてくる。その音が不快で耳を塞ごうとモゾモゾ動くが何故か動けず、ゆっくりと瞼を開ける。
よく見慣れた天井に部屋の内装、己のベットにカーテンだが目の前にいるのは知らない…とまでは行かないがあまりよく知らない男だった。
よく店に来ていた小太りの男だ。最後に会ったときより若干痩せた気がしないでもないが、それでも小太りだ。
「起きたかい?」
男にそう問いかけられ、何か言おうと口をモゴモゴとさせるが出てくるのは篭った音だけであった。
「それ、僕が作ったガムテープ。強化魔法を組み合わせてあってね、ちょっとやそっとじゃ取れないの。
あ、でも安心してね。僕が魔法を解除するとちゃんと外れるから。」
両手は男の手により頭上で動けないよう固定されており、動かすことができないが男も片方の手しか動かせない。
「ごめんね、君を今日中に連れていきたいところなんだけど、今日はもう無理そうなんだ。だからさ、変わりに…」
男はそう言うと、男は懐から人形を取り出してベッドの脇に置く。
その人形には名札がついており、そこには『ルゥト』と書かれていた。
「んー!」
背筋に悪寒が走り、嫌だと思いきり大きな声を出すとパン!と乾いた音が部屋に響く。ヒリヒリと、頬が痛む。
「ねぇ、なんでそんなに嫌がるの?」
なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。
気でも狂ったのか、そんな事ばかり呟きはじめ、ルゥトはその隙に男を引き剥がし逃げようと押してみるが、男はびくともしなかった。
「んんー!んー!」
再度、乾いた音が部屋中に響き渡る。先程より大きな音で、ルゥトの瞳からはポロポロと涙が溢れ始めてしまう。
「大きな声を出すな。」
男がそう言うと、ルゥトの視界から一気に色が消え始める。
『声を上げるな。許しも助けも乞うな。お前なぞ、誰も助けには来ん。』
頭の中で中年程度の男が指差し、下卑た笑いを向けながら放つ。
遠い昔の記憶が掘り起こされる。店主によって、やっとで埋められた辛くて、苦くて、死にたくなるような、記憶が。
その言葉を最後に、記憶は一時ショートしてしまった。
同時刻、公園では逢瀬が行われていた。楽しそうにベンチの上で話し合う2人を羨ましそうに通行人はチラチラと見る。
仲睦まじい恋仲に見えるが恋仲ではなく、そういった友達でしかないと男は認識していた。
愛だの恋だの囁いたこともなければアパトが辞めるといえばなんの後腐れもなく縁を切るつもりでいた。
「……で、こんなことがあったから〜………。」
男は内心ため息を吐いていた。世間話か重要な話かどうかを確認してから来ればよかったと。
延々と続く悪口に、「はぁ」と大きなため息を吐きながら徐に立ち上がると、アパトは焦ったように男の手を掴む。
「あ、あの…店主さん…?」
「何か重要な話があると思ってきたんですけど、違うようですね。すみませんけど俺、ルゥトと話さないといけないことがあるんで帰ります。」
男はそう言うと、アパトを置いて帰ろうとするがなおも食い下がるアパト。
「でも!私達、そういう関係じゃない。私達もっと互いのことを知るべきよ。」
「…そういう関係って?」
「恋人関係よ。」
アパトはふふん。と鼻を鳴らしながらそう言うと、男は目を丸くしてキョトンとしていた。
「アパトさん、あなた俺の年齢知ってます?」
「15とか6でしょ?」
「出身地は?」
「…髪と瞳の色からして無神族ではなさそうとしか。」
「俺の名前は?」
「…それは……。」
男は鼻で笑うと、アパトの手を振りほどく。
「年齢、出身地、名前も知らない男を貴方は恋人というのですね。」
「………。」
アパトは顔を真っ赤にさせながらも食って掛かる。
「でも、貴方も楽しんでいたじゃない!」
「楽しんでいたことは認めますが、今の俺にとって大切なのはルゥトです。」
男はからっと笑いながらそう返すと笑顔の一切を消し、忠告する。
「俺に恋人ができるならルゥトのことを優先させてくれない人、人の悪口ばかり言う人はごめんですね。」
男がそう言うと、アパトは言葉に詰まってしまう。男は最後に
「もし気不味ければ明日から来なくて結構です。それでは、さようなら。」
そう言い放つと踵を返し家に向かって歩き始める。アパトは男の背中をただジッと睨み続けていた。
家に帰るとルゥトはおらず、どうしたものかと頭を悩ませた。
いつもなら仕事を終わらせ、椅子に座りながら帰りを待っているのがほとんどだが、臍を曲げているのかグラスも途中で拭くのをやめており、一部水垢となってしまっていた。
だがそれと同時に長いこと話し込んでしまったなと反省する。
二階に上がり、扉をノックするが返事はない。人の気配はするので恐らく居るには居るが芋虫になっているのだろう。
「帰るのが遅くなってすまない。お詫びに食べたいもの作ってやるから機嫌直してくれないか?」
いつもなら跳ねて喜ぶ内容だが、今日はそうでもないらしくシンとした静寂だけが帰ってくる。それほどまでに嫌だったのだろうかと思いながら扉から離れようとしたとき、ゴンッ!という何かを投げつけるような音が聞こえた。
耳を澄ましながら扉に耳を付けるとゴッと、男には聞き慣れた人を殴るような鈍い音が聞こえて次いで布団の擦れる音が聞こえる。
嫌な予感がした。
ゆっくりドアノブに手をかけ、勝手に開けてごめんと心の中で謝りながら音を立てずに扉を開けると目も当てられない惨状が飛び込むと同時に、視界が一気に真っ赤に染まった。




