第十話 男の素性
体中ひどく痛み、汗と血の臭いでむせ返り、体中ベタベタと服が張り付いて気持ち悪い。とルゥトはどこか俯瞰した様子でそう思う。
小太りの男は未だ激昂しており、フーッフーッと鼻息荒くナイフを握りしめていた。
「誰か助けて」という気持ちと「誰にも見られたくない」という相反した気持ちがせめぎ合っているとき、不意に、コンコンっと、ドアをノックする音が聞こえると同時に男の動きが止まる。
「帰るのが遅くなってすまない。お詫びに食べたいもの作ってやるから機嫌直してくれないか?」
希望と絶望が同時に押し寄せてくる。
ちらりと男を見てみると顔色を悪くし、ジッと扉の方を見ていた。
扉から人が離れる気配がする。
これが最初で最後のチャンスなのかもしれないと羞恥心や嫌悪感をかなぐり捨て、手を振り払い、そのままベッドの横にいつも置いてあるゴミ箱を必死に掴み扉に向かって投げつける。
途中で落ちてしまったものの、外に聞こえているはずだと安心するのも束の間、今度はコメカミの辺りを強い衝撃が襲う。
脳が揺れてしまったのか、少し視界が安定しないながらも扉を見ていると薄く開くのがわかる。
安堵するのと同じくらいに見られたくないという思いから目を瞑るのとほぼ同時にガシャン!と大きな音が鳴り響く。
圧迫感も威圧感もなくなった代わりに、違う何かがあたりに蔓延る。
「………ごめん。」
いつの間にかベッドの上に立っていた男はそう呟くと、窓枠に足をかけてそのまま飛び降りてしまった。
下からは悲鳴と絶叫が聞こえ、ほんの少し離れたところから騎士団や治安部隊が呼ばれているのがわかった。ルゥトはガムテープを無理やり剥ぎ取り、痛みと戦いながら急いで下に向かった。
店主は二階から飛び降りると、咳き込む小太りの男の胸元を思い切り踏みつける。
すると魔空間から刀を取り出し、抜刀すると喉元に突きつける。
「なんでこんなことをした。」
野次馬が次々と集まる中、淡々とそう問いかけると男は「あの子が拒んだから」と答えた。
「あれだけボロボロにしておいて?」
「お前が邪魔なんだよぉ!」
意味のわからない返答にイライラが募り、このまま殺してしまおうかとも思ったが、それだけでは足りないと、刀を下ろして胸元に置いてある足に全体重を乗せ、反対の足で勢い良く男の顔面を蹴り上げる。
辺りから悲鳴が聞こえるが男は気にしない。次いで二発目を食らわそうとしたところで後ろから羽交い締めにされる。
「なにして…お前見かけによらず相当馬鹿力だなぁ!おい! 増援を!!」
ギンソウ一人の手では止められず、次々と騎士団と治安部隊が男を引き留めようと男を後ろに引き寄せるが、十人ほど集まってもそれでもまだ男は小太りの男から離れはせず、大の大人を何人か宙ぶらりんにさせながら、刀を高らかに持ち上げ振るおうとしたその時
「やめて!」
子供の大きな声が辺りに木霊した。
みんな其方を見ると、男がここまで激昂している理由を知る。
ルゥトは赤く腫れ上がった顔面をクシャクシャにさせ、涙を流しながら男に近寄ろうとするが痛みでなかなか歩むことができない。
白いワイシャツには血が張り付いており、野次馬根性で見ていた人々も目を逸らした。
殴られたのであろう目元は赤黒くなっており、いつもの丸い目は三日月のようになってしまっていた。
男は騎士団と治安部隊を振り払うとルゥトに駆け寄り、そのまま抱き上げようとする。
「その子に近づくなぁ!!」
小太りの男のそんな怒声が聞こえてくる。男はチラリと其方を冷ややかな目で見ると魔空間からある外套を取り出し、ルゥトを包むとそのまま抱き上げる。
「俺を逮捕しますか?」
騎士団にそう問いかけると、何も返事は返ってこない。決め倦ねているのだ。
ただ様子からして小太りの男がやらかしたことは火を見るより明らかだったため、騎士団は男の両脇に立ち無理やり立ち上がらせるとそのままこの場をあとにしようとする。
小太りの男はその間も何か喚いているが到底聞いていられるものではなかった。
「この子の目と耳を、塞いでください。」
そうお願いするとギンソウは頭に疑問符を浮かべながらルゥトの目と耳を塞ぐ。すると、絶叫と悲鳴が入り混じったひどい声が街中に響いた。
ギンソウも自分の耳を塞いでしまいたかったが、何とか耐える。
店主は小太りの男の手足の腱を切り落としたのだ。
だがあの距離からどうやって?
ギンソウはそう疑問に思うが、その疑問はすぐに晴れた。
宙を鎖が漂う。出処は男の左手で、その先端は刃物のような形状をしており、それが小太りの男の腱を切り落としたのだ。
その鎖はそのまま小太りの男の首を締め、騎士団の手からするりと抜けさせると宙吊り状態にさせる。
足の指がつくかつかないかのところで固定させると、店主は淡々とまるで自分に言い聞かせるように言い放つ。
「俺がもしお前と同じ牢に入れられたらお前を殺す。
お前が牢から出た後、俺達に関わろうとすれば俺はお前を拷問にかける。
目をくり抜き、舌を切り落とし、手足の指一本一本丁寧に折ってやろう。殺してくださいと、言わせてやる。」
男はそう言うと、そのまま小太りの男を連行しようとしていた騎士団たちに投げつける。そしてそのままギンソウに告げる。
「俺達はこのまま今日は帰らせてもらいます。もし、それを許さないと言うなら全力で抵抗します。
…貴方は優しい人だから、部下を失いたくはないでしょう?」
男はそう言うと振り返り、ニコリと笑う。ルゥトが着せられている黒い外套についている狼のマークを見て一つ頷くと、男は帰ろうとするがそれを一人の女性…イウロバが止める。
「駄目よ、この子を一旦病院に連れていきなさい。」
「…でも今は誰とも会わないほうが……。」
先程までの強気な姿勢は一転して若干どもり始める。
「あなたが混乱しているのはわかるわ。でも、身体的ケアもそうだけど精神的ケアをしないと。
この子のことはもちろん、あなた自身も。」
イウロバはそう言うと、ついてきてと手を引く。ギンソウも男の背中を押すと、「互いの為だ。」と手を振りながら見送った。
人に恵まれたなと思いながらルゥトを先程より強く抱きしめた。思いがけない他人の温もりにほんの少しだけ目が潤んだ。
病院はイウロバのおすすめを紹介された。
女性が医者の病院でメンタルケアにも長けているらしく、ルゥトだけでなく男もそこに通されて色々と事実を知る。
「…ルゥトちゃんはこれまでもよくあったのでは?」
医者は男が席につくなり開口一番そう告げる。男は驚きのあまり目を丸くし、そのまま口元を手で覆い隠した。
「…その辺の事は本人からあまり聞いたことがないので……。」
「そうですか。彼女と会うまであの子は何をしていたのかはご存知で?」
「……山奥の小屋で暮らしていたとしか…。」
医者はふむ。と言うとどうしたものかと考え始める。ルゥトのことも心配だが、目の前の男もまた心配であったのだ。
…本当はこの事も男に告げようか迷っていたのだ。
「恐らくですが、暫くはあの子は塞ぎ込むか男の人を怖がるかもしれません。例外なく。要はあなたの事も怖がる可能性があるということです。」
医者は淡々とそう告げると、チラリと男の様子を見る。男はやはりショックを受けたように目をウロウロと定めることができずに辺りを見渡した。
「……通院に関しては強制はしません、何かあればいつでも来てください。相談事であなた一人で来ていただいても全然構いません。
ただ、あの子もそうですがあなた自身の事も大事になさってください。」
男は「ありがとうございます」とだけ言うと、フラフラと部屋を出ていく。待合室にはイウロバが座っており、ルゥトは彼女の膝を枕代わりにクゥクゥと眠っていた。
顔中痣だらけで涙と鼻水の跡が残っており、男は見ていられずに顔を逸らす。イウロバも何も言うことなくただルゥトの頭を撫で続けた。
「ん…。」
ゆっくり、瞼が重たそうに開く。いつもはぱっちりしているはずの目も、今は見ていて痛々しいほど腫れており薄くしか開かない。
「…あれ、お話終わったの?」
「あぁ。あとは帰るだけだ。」
「わかった。」
ルゥトは椅子に座るとそのまま立ち上がろうとしたのでイウロバが慌てて止める。
「…私が抱っこしてあげるわ。」
イウロバがそう言うと、ルゥトはキョトンとした顔をする。
「なんで?」
「…痛いでしょう?」
「痛いけど…でも、それでも立たないといけなかったから私は平気よ。」
「…今まではそうだったかもしれないけど、これからは痛かったら誰かを頼りなさい。」
「…誰かを……。」
チラリと、ルゥトは男を見遣る。男はやはり目を合わせようとせずにただ地面を見つめていた。
「お兄さん。」
ルゥトがそう言うと、男はゆっくりとルゥトの方を見る。ルゥトは両手を広げて抱っこをせがんでいた。
「痛いから、抱っこ。駄目?」
「……駄目じゃない…。でも…」
俺でいいのか。
その言葉が喉元までせり上がる。痛い思いをしているときに能々と女と会い、助けきれなかった自分なんかで。
「お兄さんがいいの。」
ルゥトはそう言うと、再び「ん。」と広げている腕の幅を更に広げる。
脇の下に手をいれ、いつものように抱き上げるとするりと首の周りに腕が巻き付く。腕は微かに震えており、いつもより抱きつく力が強いように感じた。
そのことに気づいた男は鼻がツンっと痛くなるが、泣いていいのは自分ではないと己を律する。
その様子を見ていたイウロバはハァッとため息をひとつ吐き、彼らの行く末を案じた。




