第四十話 決断
男が神殿につくと、どこかざわついた様子だった。
ヒソヒソと声が聞こえてくるが、悪口とも噂話ともまた少し違うようだ。
(まぁどうでもいいか……)
そんなことを思いながら書庫に向かうと、先にいた従者たちはヒソヒソと話していたのをやめ、気まずそうにどこかへと去ってしまった。
十中八九、己のことだな。と、男は内心辟易する。予想でしかないが昨日、ほぼ一日神殿を空けたことに対する恨み節、もしくは元主が不機嫌だったとか、その類だろうと大体の当たりをつける。
今日使うであろうものを手に取っていくと、一人の下女が声をかけてくる。
「側近殿。主殿が至急大広間に来るようにとのことで……」
「準備があるんだが……」
そう言いながら下女の顔を見るとまるで死人のように真っ青で、足元には少しの血痕。
折檻でもされたのか? と思ったが本人の動きや立ち振舞に違和感は見受けられない。
「わかった、行こう」
今手に持っているものだけを持ったまま、大広間に向かう。
向かう間もヒソヒソと声が聞こえ、こちらをチラチラ見るものも何人か見受けられたが、どうでもいいと耳を傾けることはしなかった。
大広間には十段ほどの階段の上に玉座がある。
勅命を受ける際や、騎士としての階級が上がる際などはここで執り行われることが多く、そんなに使われるような場所ではなかった。
が、大切な場所なので毎日の清掃は欠かせない場所でもある。
そんな場所になんの用だと男は思いながら入ると、何故か向けられる憐憫の目。
(解雇とかだと嬉しいが)
などと思いながら玉座で足を組んだ元主を見上げる。その隣には“影”が一人。そして階段の下にはどこか気まずそうなアタゴとペティス。そして目を腫らした運び屋の少女。
「お前、神名を明かしたそうだな」
その言葉に首を傾げると、周囲の憐憫の視線がさらに強くなる。
「だから戻ってこようにも戻ってこれなかった。だがそれももう終わりだ、安心しろ」
にたりと、どこか不敵な笑みを浮かべる元主は指をパチンっと鳴らすと影が何かを男の足元に投げ捨てた。
それが人であると認識するのには時間を要するほどに、酷いものであった。
そしてそれとペティスたちを見、再度目の前に打ち捨てられた物を見下ろす。
途端、催す吐き気。
膝をつき、それに右手で触れるとどこからか悲鳴が上がる。
(うるさい)
様々な思いを巡らせながら昔買った物を見てから、今度は左手で触れる。野次馬たちのザワザワとした声が、一層大きくなるのがわかる。
(黙れ)
昨夜見たばかりの満開だった笑顔は目を見開いたまま動くことはなく、口は半開きのまま端から血が流れる。
風邪を引いたことで血色が相当良かった筈の肌の色は、血の気も感じさせないほどの白色となり果て。
暴行を加えられた跡が各所にくっきり浮かび上がっていた。
体温も感じられないほどに下がりきっており、自分の手で温めてやることはもうできないと悟る。
再度ゆっくりと、玉座の男を見上げると、ニヤニヤとどこか嬉しそうな笑みを浮かべており、何か演説していたが、心底どうでも良い……というよりは、憎さのあまりに声を遮断していた。
もっと注意していれば。あの時一緒に居れば。一旦街を離れていたら。人の頼り方を覚えていたら。そんな懺悔にも似た後悔が、脳裏を過りながらも
ここにいる奴らをどう殺そうか。そんな思考ばかりが、脳内をグルグルと駆け巡る。
引いていた血の気は逆に沸騰しそうなほどに湧き上がり、ドクドクと心臓の音は耳元で鳴り止まず、どこか妙に高揚しているのを感じてもう一度少女の、ルゥトの亡骸を見てみる。
西の森の魔女が言っていたのはこの時のためか。
本能的にそう感じ、手をぎゅっと握りしめる。冷たかったはずの彼女の体温が急速に上がるのを感じ、そっと視線を少女の目に向けると目がパチリと開かれる。
「それが貴方の選択ね?」
その問いに一つうなずきながら
「紛れもない、俺の選択だ」
つるりと言葉が出てくる。驚くことも、喉に一度も詰まることなく、そう答えると地面が割れんばかりの地響きが。
「ここに貴方もいたら元も子もないわ」
トワはそう言うと、男の頬に手を触れる。
「あの子に名前を教えても大丈夫よ。曲がりなりにも神の血も入っているのだから」
その言葉に頷くと、視界は暗転した。
目を開けると、あたり一面の荒野。見渡しても何もなく、果てしないほど寂しさが募る。
ここが自分の終着地点かとただ呆然と遠くを眺めるが後悔はない。
どうせ、自分が死ぬか彼が死ぬかの二択しかなかったのだから。
彼が死ぬ理由は里には帰らないという理由だ。そして自分が死ぬ理由は自分がいると、彼が里に帰らないから。
だから言うことを聞かない彼を殺すか、邪魔な自分を殺すかの二択しかない。
そんな短絡的な男を憎いとは思わないが、可哀想な人だとは思う。妹のことも好きなのではなく、理由はわからないが執着から可愛がっていた。そして彼の事も執着か、はたまた依存か、その両方か。
そんなことを考えているとふと手に温もりが宿る。
驚いてそちらを見てみると彼がいた。
彼は自分と同じように遠くを見ているようだが目元は見えない。だがそれでいい。見えてしまうときっと後悔と寂しさに繋がるから。
「お兄さんといる毎日は楽しかったし幸せだったよ」
そういうと彼の口角がうっすら上がる。
「お兄さんには恥ずかしいから言えないけど、私はきっとどの世界、どこに居てもあなたに恋するの。
あなたは誰を好きになり、誰と一緒になろうと、その事実だけで私は嬉しい」
それに対しては反応を見るのが怖くて、逆に遠くを見るが代わりにギュッと手を強く握りしめてくれた。
「でも欲を言うと名前を教えて欲しかったな」
そう言いながら揶揄うかのように彼を見ると、少し哀しそうな目をしていた。
あぁ、やはり後悔が押し寄せて来る。
すると、あたり一面荒野だったのが一転して今度は雪原に変わる。シンシンと降り積もる雪はどこか温かく心地よい。
するりと、手が離れていく。
そちらを見てみると、既に彼はいなくなっており、これが全てにおいて最後なのだと目を閉じる。
このまま世界の楔になるのだと。
「残念ながらそうも行かないわ」
思わぬ方から声が聞こえ、パチリと目を開ける。自分の頭上をフワフワと浮かぶのは全く同じ顔をした少女。
一瞬妹かとも思ったが、雰囲気的に恐らくトワだ。
「…はじめまして」
思わずそう呟くと、クスクスと笑い声が地面に転がり落ちる。
「えぇ。えぇ。はじめまして、可愛いルゥト」
トワは頭上からルゥトを覗き込むと、そのまま右手を握りこっちこっち。と案内し始める。
雪の上に一人分の足跡を作りながらついていくと、強い風が吹いたかと思うと温かい風が体中を包み込む。
「春になった……? それに、川…?」
トワは肩口にルゥトに振り向くと小さくため息を吐く。
「ここは彼岸。…と言うには少し此岸に寄り過ぎている場所。
ほら。」
指差した場所、川の向こうには随分と懐かしい姿が見えた。だが彼女はこちらを振り向くことなく、ただ向こうをじっと見つめている。
「でも貴方はここは彼岸だと言ったわ。ならあっちは此岸になるんじゃないの?」
そう問いかけてみるとトワの顔が歪む。
「そう。あれをどうにかしないといけない。」
その言葉に首を傾げる。何故、自分より何年も前に亡くなったはずの妹があちらに居るのかと疑問に思うが、一つの可能性に帰結する。
「妹は世界に、誰かに縛り付けられてるの?」
その言葉にトワはただ無表情に目を閉じるだけであった。
空は快晴。太陽は二人を照らし、たまに影を作る。その影は雲が作っているのではなくそこかしこを飛んでいる神獣たちだ。
「じゃぁ、私も行かなくちゃ」
トワはそう言うと、ルゥトを通り越してフワフワと此岸に渡ろうとする。ルゥトは慌ててトワの手を取ると
「何か方法はないの?!」
その言葉にただ無表情に振り返る。
そしてジッと何かを見透かすかのように見つめると
「知識をつけなさい」
「……知識?」
「そう。文字や歴史だけじゃなく、世界の事を」
それだけ言うとルゥトの手を振り払いトワは此岸に渡り、霞のように消えてしまった。
「知識…」
そうポツリと呟く。両手を握りしめ、何度も開いては閉じを繰り返す。
トワは戻れない、諦めろとは言わなかった。なら方法はあるはずだ。
意を決して此岸にただ立ち続ける妹を見る。そして、その先にいるであろう彼を。
やるべき事は決まった。今後どうなるのか、何一つとしてわからないがやるしかない。
ルゥトは遠くに見える町へと歩み始めた。




