第三十八話 宿屋
飯を食べ終え、店を出ると完全に寝落ちしてしまったルゥトを背負い宿へ向かう。
トワはなんの話をしたらいいのかわからず、ただグルグルと脳内をいろんな言葉が駆け巡っていると、男は
「ルゥトを暫く預かってくれてたんだってな」
ぶっきらぼうだがその言葉にただコクコクと頷く。
「ありがとう。この子一人なら今頃、路頭に迷ってた筈だ。」
現在冬で極寒の筈なのに、心の中は春が先に到来したかのような錯覚に陥る。
この人にお礼を言われたことはこれまでに一度もなかったはずだと、今回の自分の行動を顧みて、思わずガッツポーズをする。
「い、いい、いえ! たま、偶々…見かけただけ…なので…!」
思わず噛みまくる自分に嫌気が差しながらもそう言うと、男は
「それでもありがとう」
と尚も感謝の言葉を発する。もはや今死んだとしても悔いはないなと思うが、それは駄目だと己を律する。
それから少し、他愛ない雑談を交わす。さすがに込み入ったことまでは聞けないが、この会議がいつ頃終わりそうなのか、それまでの期間ルゥトをどうするか、大武闘会には参加するのかなどを聞いた。
会議自体はあと三日ほどで終わること。ルゥトはこのまま宿に住ませ、最終日に迎えにくること。大武闘会には参加するとの事だった。
(私もエントリーすればよかった…!)
そう後悔していると、ちょうど宿につく。
爆睡しているルゥトを起こさないように、ベッドに下ろそうとするとさすがに振動で起きてしまったようで、ジュルリと涎の音を鳴らしながら「んあれ?」 と情けない声が漏れる。
「起こしてしまったか…」
男はそう言いながら、真っ赤な顔をしたルゥトの頬に手を当て気持ち程度に体温を測る。
やはりいつもより熱く、タオルと着替えを取り出して着替えている間に氷嚢を作り上げる。
あまりの手際の良さに思わず見惚れてしまっていたが、今この場にいても自分はお邪魔虫でしかないと思いトワは「夕飯だけ買いにいってきますね!」 と部屋をあとにした。
「……お兄さんはこのあとどうするの?」
まだ眠いからだろう、舌っ足らずな声でそう言うルゥトの頭を撫でながら
「神殿に帰るよ。まだいくつか仕事もあるし」
むーっと頬を膨らますルゥトに申し訳無さを感じつつも仕事である以上放棄できないと己を律する。
そんなことを思っているとコンコンっとドアではなく、窓をノックする音が響き渡る。そちらを見てみると、火神族に付いている運び屋の少女が外にいた。
少し警戒しつつも窓を開けると「ん」と手紙を渡され、少女はそのまま神殿へと帰ってしまった。
手紙の内容は「今日一日は自由にしても大丈夫」というものであった。
「……全て織り込み済みか」
どこか呆れた様子で呟く男にルゥトは首を傾げる。
「予定変更だ、今日一日だけは一緒にいられる」
男のその言葉にルゥトは全力で喜ぶが、風邪っぴきにできることなんて限られている。
男は湯を沸かし、温かいココアを作るとルゥトにそれを手渡す。
「温かい……」
カップの温かさにほうっとしていると、男は老人のようだなと内心つぶやく。ルゥトはココアをフーフーと冷ましながら少しずつそれを飲んでいると、紅茶を作った男はベッドの横に椅子を持ってくる。
それからもイウロバの屋敷にいたときの話、たまに遊びに来ていたギンソウの話、エニシダの話は男が不機嫌になるので割愛してメイドや騎士の話。様々な話題に花を咲かせていると、不意に少し真面目な顔で
「ねぇ、ルゥトって名前はお兄さんがつけたじゃない?」
と、少し首を傾げながらそう問いかける。男は紅茶をグイッと飲み干してから
「そうだな」
と答えると
「なんでこの名前にしたの?」
という問いに少し微笑みながら
「お前に上げるようのプレゼントが、たまたま月の隕石だったから」
「なら、ルナって名前でいいんじゃない?」
「月そのものだと手が届かないからな。でも月が欠けた隕石なら、もしかしたらその内落ちて来るかもしれないだろ? だから月の石からとってルゥトだ。」
まぁ随分と穏やかな顔で、大層な口説き文句を言ってくるものだと、ルゥトは心の中で恥をかく。そんな大きな意味合いを持ってるとは思ってもいなかったのだ。
「でもなんで急にそんなことを?」
「トワお姉さんがね、トワは永遠とか永久って意味もあって“永遠に幸せでありますように”って意味があるって言ってたから。」
「そっか」と男がそう言うと、ルゥトはニコニコと笑うのをやめる。
「私はお兄さんの真名を知れる日は来るのかしら」
その言葉に少し胸が痛くなるのを感じる。だが男は意を決したように
「じゃぁ、今回のことが全て終わったら」
そう言いながら小指を差し出す。ルゥトは嬉しそうに瞳を輝かせながら小指を差し出すと
「うん! 絶対だよ!」
と指切り交わした。
その後、この部屋では男が寝れないという話になり、トワの了承を得て、二人は別の部屋で寝ることになった。
溜まっていた一ヶ月のすべてを放出するかのように、ルゥトはひたすらに話していると、疲れてしまったのだろうその内、電池が切れたかのようにぷっつり眠ってしまった。
上半身が布団から出ていたため、寒いだろうと布団を直すと空を見上げる。今夜は月を遮るものはない。
あと二日。それで全て終わる。
男は少しの違和感を抱きながら、久しぶりに夢の中に沈んでいった。




