第三十二話 門にて
六年ほど前だった。夜闇をかき集めて押し込めたような髪と瞳。
サラサラした髪は風に揺れると無防備な項を晒し、そこに口づけを落としたいと思える程に、真っ白な肌がよく映える。
切れ長の目は幼いのにどこか扇情的で、見るものすべてを惑わせるかのような魅力すらあった。
すらっと高い鼻に真白な肌はまるで死人のようであったが、動きはそれとは真逆でいつも何かに焦っているかのようで、一部からは「死に急いでいる死人」などと意味のわからない呼び方をされていた。
だが自分からしたら何も知らない純真無垢な少年にしか見えない。
汚したい。汚したい。汚したい。
そんな思いばかりが募っていく一方であった。
来た当初はもっと小さかったが時が経つに連れて、当時十二歳ほどであった次期族長と背丈もほぼ同じくらいになり、雰囲気的には同じ年頃のようだった。よう、というのは彼のこれまでの経歴等全てが隠されていたから、誰も知らないのだ。
ミステリアスな雰囲気を纏った上に、初出場で大武闘会優勝最年少の彼に憧れないものはいなかった。
ひらりと風に舞う外套と彼のサラサラとした髪に見惚れ、足を止めた回数は十五を超えたあたりから数えるのをやめた。
彼の無慈悲なところが好きだった。間者であるとわかれば速斬り殺した。
彼の笑わないところが好きだった。己を律しているからだ。
彼の常に伸びた姿勢が好きだった。周りを信用しきっていない証拠でもある。
彼の、彼の、彼の。すべてが好きだった。
己の目指すべき人。己の憧れの人。己の信仰すべき人。
跪き両手を握りしめ仰ぎ見るべき人。
そんな人が穏やかな雰囲気を纏い、笑みを浮かべ、腰を折り、泣きそうな顔をしている。
そんなのは彼ではない。彼の皮を被った他の誰かだ。皆が口々にそう言った。
あの人はどこに行った。あの人はなぜ変わった。
あの人を、返せ。
狼を背負った外套が門を潜るのを見届ける。ルゥトは泣きじゃくっていると、強い衝撃が頭に響きそのまま地面に顔面を強打した。
驚きのあまりに涙は引っ込み、代わりに鼻からはドバドバと血が流れ地面を赤く染める。
「チっ!」
大きな舌打ちを馬の蹄の音がかき消し、それが門を潜り抜けると唖然としていたイウロバはルゥトに駆け寄りハンカチを鼻に当てる。
「びっくりしたぁ…」
完全に涙は引っ込んでしまい、脳は少し揺れたためそのまま地面に少しの間横になっているとギンソウが
「ここ最近、あの一族は随分と気性が荒くなったって言うからねぇ。昔と変わったらしいあいつを見て妬んでるんだろうよ」
「はーっ。よくわからんねぇ」
タロは顔を歪ませながらそう言うと、ルゥトに軽く謝りながら店へと戻ってしまった。見送るためだけにわざわざ店を空けてくれたのだ、感謝しかない。
「あの様子だと彼も随分と苦労しそうね」
頬に手を当てながらイウロバは呟くと、ルゥトも小さくうんと頷く。
自分はこれからイウロバの家に一ヶ月間ほど世話になる。依然お邪魔したことがあるので何一つとして心配はない。が、彼の部下? の様子を見る限り、あちらはそうもいかないだろうなと、子供ながらにルゥトは彼の身を案じた。
空神族に帰ると盛大な祭りが開かれていた。
昔から露天は多かったが、その倍ほどは店があり、経済は右肩下がりだと聞いていたが、市民たちの着ている服は随分ときれいな上に、買い食いもしているのが散見される。
が、少し目を凝らしてみると、所々浮浪者のような人物や、端の方に家も金もないのであろう人々も見えた。
臭いものに蓋をしたいが閉まりきらなかったのだろう。
小さくため息を吐きながら、今回の会議で使われる神殿の方を見ると、そこは昔と何一つ変わっておらず、モヤモヤが加速する。
少し先には相変わらず神秘的な銀髪が見え、今回雷神族は早めに来たのかと少し驚きながら馬を降りると、元主の横に立ち軽く挨拶を交わす。
彼らの前族長は前々回の族長会議中に暗殺された。
以来、心のおけるもののみを隣に置き、それ以外は徹底的に排除する方針に変えたそうだ。当時の雷神族長孫娘、現族長の妃になったフリージアが来ていた。
「二度目ましてですね。お久しぶりです。」
胸に手を当て、スカートを少し捲し上げながら軽く頭を下げるフリージア。
随分と強力な神眼を持っており、ほぼ全ての認識阻害などを見抜くことができるとも噂されている。確か、先日亡くなった運び屋のトワと仲良くしていたのをほんの僅かだが、覚えている。
「お久しぶりです。以前は禄に挨拶できずに申し訳ございません」
そう言いながらこちらもお辞儀をすると、何故か彼女は意外そうに目を見張ったかと思うと静かに微笑みながら
「人の目を真っ直ぐ見えるようになったのですね」
蜂蜜のような金色の瞳が太陽のせいでキラキラと輝いて見える。隣にいる現雷神族長は慌てたように
「いっ行きましょう!」
と彼女の腕を引きながら会議室へとさっさと向かってしまった。
自分たちもそれに続いて会議室に入ると中には既に土神族長、風神族長、水神族長がいた。
水神族長はやはりルゥトとそう歳の差のない……恐らく二、三歳ほど年上程度少女で、以前会った事のある子だ。
彼女もまた神眼を有しており、嬉々としてその詳細を語ってくれたのを覚えている。なんでも、魔力の流れを見ることで次の動きがわかるという、未来視に近いことをしているのだとか。
だが前回と打って変わり、その顔からは覇気は感じられず、なんの感情も見えないまるで人形のようであった。
「空神族側付…側近様ぁお久しぶりですぅ!」
風神族の側近、コマリが両手を組み頬に当てて、オーバーリアクションで腰をくねらせる。反応を返すのが面倒で男は「お久しぶりです」とだけ言うと、コマリは「きゃぁ!」 と喜ぶ。
その隣にいる十歳ほどの子供、コマリの息子はチラリと母を見ると、ポカンと口を開けたまま再度キョロキョロとあたりを見渡す。
様子を見るに、四年程前に水神族に向けた攻撃に対する経済的な制裁を未だ受けている……若しくは尾を引いているらしく、昔は豪華に着飾っていた筈が、今は高価なブローチを身につけるので精一杯のようだ。
「それにしても空神族は相変わらず良いとこですなぁ」
朗らかにそう言ったのは土神族長のバロックで、その後には三人の息子が控えていた。
どこかギスギスした様子で、三男のリクは大きな目が描かれたターバンを巻き、その先には円状のアクセサリーがいくつかあしらわれていた。
「お褒めに授かり光栄です。土神族も変わらず豊作のようで羨ましい限りです」
主の椅子を引くと、彼はドカリと椅子に座りながらそう言う。バロックは「民のおかげですなぁ」と嬉しそうに笑う。
「それはそうと、空神族は最近魔力を込めた指輪が流行っているのだとか」
などと、ちょっとした経済的な話に花を咲かせる。
(帰りたい…)
そんなことを思っているとバンッ! と大きな音が鳴り響き、大きく豪快な声で
「いやぁお待たせしましたなぁ!」
ドカドカと入ってきたのは火神族長、ペティスとアタゴだ。
その後ろには何人かの給仕人と、例の運び屋の服を着た少女。雷神族と同じ髪色をしているが、違うのは目の色がルビーの様に赤いことである。
(……昔会った事あるか…?)
そう思いながらチラリと視線を向けると、バチリと目が合うが、即座に視線を逸らされてしまった。
確かにこれは自分が不躾だったなと反省をする。
その辺りに疎いルゥトと最近ずっと過ごしてきたせいで、感覚がずれているなと改めて思っていると、チリチリと右腕のあたりが熱いのを感じる。
楽しそうに談笑する空間の中、キンッ。と、場に似合わぬ物音。
「やっぱりお前にして良かったよ」
流れる空気は鉄に。集まる視線は赤に。だが矛先は背後に。
カランカランと短剣が手から滑り落ち、次いでドサリと、無機質に崩れ落ちる人であった物。
「ははは! 元側付き殿は相変わらずお強い!」
愉快そうに笑うペティスと苦笑いするアタゴ。各々それぞれの反応を見せるが、空神族は口元を不敵に歪め、ペティスはそれをちらりと見やった。




