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第三十一話 束の間の

「それでは明日中に向かわせていただきますね」


 ホクホクとした笑顔で受付の男性がそういうのを背に受け取りながら外に出る。

 最初は「今日明日に作業なんて無理だ!」 と断られていたのだが、見積もりの三倍の金額を提示したら、あっさりと引き受けてくれたのだ。

 完全にボロボロのガタガタで面倒くさかったのだろう。と、勝手に想像しながら次の目的地に向かう。


 先程話していた紅茶専門店は、三日ほど前から臨時休業をしており、どうやら今月いっぱいは営業をしないらしい。

 ルゥトと男は目を見合わせると、クスクスと笑いながら近くの喫茶店に入り、パンケーキにサンドウィッチ、そしてケーキセットを二つ頼む。

 他愛ない話をしていると、思っていたより早く料理が出てきたため、ナイフでパンケーキをそれぞれ取りやすいサイズに切り分けようとすると


「私もやりたい!」


 とズイッと身を乗り出したので


「気をつけろよ」


 と言いながら手渡すと、均等感を完全に無視したパズルのようなものが出来上がる。

 店員は次いでケーキと紅茶を持ってくると、それにチラリと視線を向けると、クスッと笑うと伝票を置いてカウンター内に引っ込んでしまった。


「…そんなにひどいかしら?」

「んー…そうだなぁ……」


 男は食べ物の見た目を気にしないため、正直反応に困る。いや、キレイな方が良いには良いが、見目が悪かろうが食べてしまえば同じだと思っているのだ。


「まぁそんなことより食べよう」

「あ、話逸らしたぁ」


 そのまま一時間ほど二人は店内で駄弁り、店を出るとそのまま夕飯の買い出しに向かう。

 何が食べたいかと問いかけてみると、お腹がいっぱいで思いつかないと渋い顔をしながら言うので笑いながら


「じゃぁポトフとタロウさん家のパンにしよう」


 という提案に嬉しそうに「うん!」 と頷いた。




 翌日は業者の仕事を見届けるためにまる一日を使ったため、特に大きな進展はなかったが、確実に見張りを増やされていることに気づく。


 手を下せないでもなかったが、この子のいる場所では流血沙汰は避けたいと思い、とにかく無視を決め込んだが鬱陶しい事この上ない。


 元主との今後を考える。あのお方……あの人の事だ、何かにつけて残るよう説得するだろう。それをどう断るか。どう逃げるか。そして何よりどう過ごすか。


 不安でいっぱいだ。


 それをこの子に悟られてはならない。きっと、自分以上に不安なはずだから。

 工事を見ながらケーキを食べるルゥトをチラリと見てみる。作り上げられていく様子が楽しいのだろう、こちらの視線に気づく様子はない。




 自分がなぜここにいるのかを思い出す。

 元主と同じ待遇を受けていた筈だったが、五歳の頃母親が亡くなり、双子は凶兆と地下の牢屋のような部屋に押し込められた。

 それが嫌でスラム街に逃げたがそこもまた地獄だった。

 フラフラと、毎日ゴミ箱を漁る。

 腐った料理にカビたパン。それすらもご馳走のように当時は思えた。胃腸は強い方ではあったものの、それでもやはり腹は下したし嘔吐もした。


 毎日毎日。毎日毎日。繰り返される暴力に流れる血。地べたに這いつくばり、全てが憎いと手を握りしめては気を失った。人として扱われたのは七歳を過ぎてからだ。


 神名が降りてきた。


 だがそれは奪われ、絡繰人形のように扱われ、自分の意志はなく、悪事ばかりを働いた。窃盗に強盗、果ては人殺し。それが約半年間ほど続いた。


 そんなある日、いつものように命令をされているとき、コツ。コツ。と、場に合わない良い靴の音。

 姿を表すと雷神族の様な神秘的な髪色、銀髪の持ち主で、目はまるで林檎のように紅く、それが悍ましく思えた。

 銀色のサラサラとした腰ほどまである髪を靡かせながら少女は


「あれ、生かす? 殺す?」


 平坦な声でそう自分に問いかけてきた。

 野次が飛び交うが、それすらも耳に入ることはない。命令が下っていない以上動けず、内心助かるのかと焦りながら、声を出そうとするがそれも敵わない。


「答えがないならいらないということね」


 そう言いながら立ち去ろうとする彼女に、心の中で強く強く行かないでくれと叫び続ける。


 五臓六腑がひどく熱い。指先は痺れて感覚は麻痺している。脳は弄くられたかのようにだるく重い。皮膚は寒く震えが止まらない。


 相反する感覚に、己にもまだ感じるものはあるのだと歓喜し、涙が零れ出ると同時にまだ押し込めきれていなかったのかという絶望。

 ならば、ならばだ。恥や全てを捨てて願ってやろうではないか。

 雁字搦めになる恐怖と高揚感。


「殺してくれ」


 途端、体中に鎖のようなものが現れる。実物ではなく、魔法陣だ。それは自分を絡みとっていたが次々と実態へと変貌し、地面にシャラシャラと音を立てて落ちていく。

 そしてそれとほぼ同時に心の臓がドクンと一つ大きく鼓動を鳴らし、それから暫く早鐘を鳴らし続ける。痛い。いたい。居たい。生きて、居たい。


 体感的には約十分。だが世界的には数秒にも満たないほどのはずだ。

 次の瞬間には野次の声は消え、頬や手には生温かい何かがこびり付き、ツンっと鼻につく鉄のような匂いが辺りに漂い始める。


 そっとそれを見てみると真っ赤な血。

 先程まで自分に命令を下してきていた奴らの首は消え失せ、グシャリと音を立てながら力なくその場に崩れ落ちる。

 ざまぁみろ。等としょうもないことを思ったことをよく覚えている。


「良かったね」


 彼女はそれだけ言うと、コツコツとブーツの音を響かせながら、人混みに消えていってしまった。


 それからは人から縛りを受けなくなった代わりに、魔法が完全に使えなくなってしまった。

 魔法石なら扱えるが、自前の魔力を使うものは完全に駄目になり、随分と面倒な生活を送ることになったがその代償なのか、固有魔法が使えるようになった。


 鎖の固有魔法だ。雁字搦めな自分にまぁお似合いの、なんとも惨めで滑稽な魔法だなどと嘲笑っていたが、それともう一つ。身体強化の魔法を使わずともそれに比類するほどの…いや、それ以上の身体能力を得た。

 そして十歳の頃、何故か兄である元主が己のもとを訪ねてきた。目を真っ赤に腫らし、泣きじゃくりながら何度も「ごめん。ごめん」と、ぎゅうっと抱きしめながら謝るものだから反応に困ったが、そのまま神殿へと連れて行かれた。


 そして兄弟であることは隠し、主従関係として側にいることになった。だがスラム出身となればやはり白い目で見られるし、良い顔をされなかった。それにひと波乱もふた波乱もあった。


「実力があればいいんじゃないか?」


 という兄…主の一言で十二歳の時、大武闘会の参加が決まった。予選を突破し、本戦ではアタゴ殿に苦戦しつつも何とか勝つことができ、優勝することができた。

 悔しそうながらも笑みを浮かべるアタゴ殿を見て、酷く胸が高鳴り、強くなるという喜びをここで知った。

 そして強くなればなるほど名声は高く遠くに轟き、主を持ち上げることができるのだと。ただ、自分には欲しいもの……欲がなかったので王には何も願わなかった。

 困り果てた王は一生贅沢して暮らせるほどの金をもたらしてくれた。


 更に二年後、アタゴ殿との再戦を楽しみに、頑張って鍛えて再度出場したがアタゴ殿は大会には出ず、結果二回連続優勝することができたが、大して何も感じなかった。ただ悪戯に王を困らせてしまっただけであった。


 前回の半分ほどの金と、今働いているこの土地を貰った。だがこの土地を譲り受けたのは王と、未だ見たことのないその妃と己だけの秘密であった。何かあったときに使ってくれ、と。

 そしてそれから時神族との一件があった。本当は主の元に戻る予定であった。

 だが当時、どこか様子がおかしく、人に当たることが増えており、その様子を見続けるのが嫌になってきた頃だった。


 そんな時何も持ってなさそうな、何も知らなさそうな、純真無垢な少女がただ無感情に手を握り締めてきたのだ。

 漠然と、この子を守らねばと思ったのだ。

 そして乱雑に辞めますと書いた紙を部屋の机に置き、逃げるように王都のここへと向かったのだ。


「お兄さん」


 ハッと意識を取り戻す。

 場所は王都の門の前。ギンソウにイウロバにタロ、そしてルゥトが見送りに来ていた。

 今日は会議のために空神族に向かう日だ。

 あれから忙しい日々を過ごしていた。この七日間だけではなく、王都に来てからの約四年間。

 心配はギンソウが取り払い、不安はイウロバが消し去り、懸念はタロが塗り上げてくれた。


 昔はよく着ていた外套が重く、暑苦しい。

 道行く人々がこちらをチラチラと見てはどこか頬を赤く染めるのが視界の端に映り、煩わしい。


「ん」


 ルゥトの視線に合わせるように少し屈むと、ぎゅうっときつく抱きしめられる。

 それは昔抱きしめられた兄のものとは違い、脆く、危うく、崩れさってしまいそうなものだった。手は震え泣くのを堪えているのだろう鼻を啜る音が聞こえる。

 それに答えるかのようにこちらも軽くギュッと抱き締めると、門の向こうから元主が馬を率いてこちらに来るのが見えた。

 名残惜しいなと思いながら離れ、顔が見えないように外套で隠すが、元主はルゥトに一切興味ないようで「行くぞ」とだけ言うと馬を一頭だけ置いてさっさと行ってしまった。


「じゃぁ、行ってくる」


 馬に跨りながらそう言うと、今度はボロボロと涙を流す。

 嫌だ嫌だと駄々をこね始めるのを、胸が張り裂けんばかりの気持ちで最後に手を振り、空神族に直結している門を潜った。

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