第三十話 少し先の話
夜。いつもならテーブル席で二人で膝を突き合わせ飯を食うが、出入り口を壊してしまったため仕方なく男の部屋のテーブルで食事をする。
昼間のことがあったせいで飯の味はせず、ただカチャカチャと、食器の音が部屋中に鳴り響くだけであった。
ルゥトの部屋の窓も壊されており、この状態での女の一人部屋は危ないと思い、布団を床に敷き男はそこで寝ようかとしたが、それは嫌だとルゥトは男を無理やりベッドに入れ、自身もベッドに潜り込んだ。
「ねぇ、昼間のあの人は…」
そこまで言って言葉に詰まる。あの男をルゥトはよく覚えている。
炎に包まれていたあの日、広場で自分の妹の首を刎ねた男。そして彼の…。
「元主だ」
ルゥトは持っているフォークを強く握りしめる。不安。恐怖。憎悪。ありとあらゆる負の感情が一気に押し寄せ、酸っぱい何かがせり上がってくる。
「……そう、なんだ………」
そう答えることしかできず、あとはただ押し黙ることしかできない。
そんな状態で数十分程が経った。眠気は全くこちらに来る気配はなく、ドクドクと、心臓の音だけがやたらと大きく感じる。
「すまない」
くぐもった声でそう謝られ、ルゥトは黙ったまま頷くことしかできなかった。
翌朝。ルゥトは洗面所で顔を見てみると、案の定、隈のできた目と目が合う。
心の中でうわぁと呟きながら顔を洗うと、眠気は幾分かマシになる。そのまま下の階に行くと、やはり出入り口には何もなく、道行く人々が見えて少し気まずい。
今日から店を閉めると昨夜、男が言っていたため、店の準備はせずに花に水だけやるとルゥトの部屋に帰る。以前、男と共に時神族の里に行った際、こっそり拝借した本を開く。
中に書いてあるのは時と空間に関する魔法。
昨日の一般的には見えない空神族の“影”という存在たちは、普通の人たちには見えないが男とルゥトにはありありと見えていた。
それらは空間を捻じ曲げることで、人の目からは見えないようにしているからだ。ルゥトは時神族の出身で、一見関係ないように思えるが時間と空間は表裏一体。
どちらかが存在しなければ逆にどちらの存在も否定される。そして逆説的にどちらかが存在すれば、どちらも肯定され、受け入れられる。
故に、空神族のそういった魔法の類はルゥトには効かないのだ。
(あの男の人に顔を見られなかったのは、不幸中の幸いなのかも)
現空神族の長。妹を殺めた張本人で、恨みや復讐心といったものはこれといってない。が、いざ本人を目の前にすると、足は震え、歯はカチカチと鳴り止まなかった。
割れた窓をチラリと見てみる。昨日、部屋に戻り少しした後、急に窓が割れたかと思うと黒い男が自分の頭を鷲掴みにし、そのまま窓から飛び降りて床に叩きつけられたのだ。
なんとなくで存在は知っていたが、あれが“影”という空神族の特殊暗殺部隊なのだろう。
そして、兄代わりの彼はそれらをまとめていた存在だった。だからあの黒い男たちはずっと恨みがましく、呪詛のようなものを吐きながらこちらをずっと見ていたのだ。
ふうっ。と息を吐き、本をペラリと捲り必要な部分だけ覚えると男の部屋に戻る。
「んんっ…」
扉の音で起きたのか、男は未だ眠そうに布団に包まると体を縮こませる。今日は仕事ではないので、このまま寝かせておこうと小さくため息を吐きながらベッドの脇に座るが、暇だ。とやはり思ってしまい、結局そのまま全体重を思い切り男にぶつけることで、無理やり起こした。
「ふあぁ〜……」
大きなあくびをポロリとこぼしながら、男はトーストに目玉焼きを乗せる。レタスをちぎり、トマトを切り、ゆで卵を半分に切って皿に乗せる。
(卵被りしたな……)
と思いながらテーブルの上に料理を置くと、二人でもそもそとご飯を食べ始める。
来週からの話をどう切り出そうかと迷っていると、口をパンパンにしながら
「ほにぃはんふぁあのひふぉふぉいったふぁと、いつもふぉってふぅふぅほ?」
お兄さんはあの人と行ったあと、いつ戻ってくるの?
もはや暗号か何かだろうと思いつつも
「多分、一ヶ月後になると思う。族長会議は二週間は休暇としての滞在──まぁ、腹の探り合いや、次期族長の顔合わせの場でもある。
残り二週間をかけて族長同士で会談と会議をして、王都に様々な会議の結果を提出する。」
男はそう言うとトマトを一口放り込む。プチッという音が、何故か脳に響いて気持ち悪い。
「じゃぁ、一ヶ月経っても戻らないこともあるの?」
「基本的にはないな。イレギュラーがあったら話は別だが…。
前に旅した時と違って、空神族を訪れる者には門が開かれるから、一瞬で辿り着くことができるしな」
今回の族長会議の会場は空神族だ。男にとっては随分と居心地が悪い場所……そして時間になるだろうが、それが終わればもしかしたらこの逃亡生活に終止符を打てるかもしれないと、微かな希望を持つ。
「ルゥトはその間イウロバさんのお世話になってもらう。それからもしかしたらギンソウさんにも」
男はため息をつきながら肘をテーブルにつき頬杖を付く。壊れた出入り口を見て更にため息が溢れる。弁償をしてもらわねば。
「ねぇお兄さん」
冷たい風が二人の輪郭をなぞる。髪はさらさらと流れ、特に髪質の細いルゥトの髪はまるでカーテンのように揺れる。
その下にはいつもよりずっと大人びた、真面目なルゥトの顔。
「一つ、約束……というより覚えておいてほしいことがあるの」
普段よりワントーン下がったその声に男もまた真面目な顔でルゥトをじっと見つめる。
「どうした?」
先程までとは打って変わって何故かもじもじと、恥ずかしいとも少し違う様子で困ったように眉を下げながら
「もし、約束の日を過ぎたら私が…その…迎え? に行こうと思うの」
男は少しキョトンと目を見開いた後、いつものように笑いながら
「そうだな、あまりにもずっと会わないで前のようになっても困るからな」
ワシワシとルゥトの頭を撫で、優しい眼差しを向ける。その視線がほんの少し、いつもと違うものに感じてルゥトは若干、居心地の悪さを感じたが、気分は悪くない。
(むしろ、嬉しいというか…)
「じゃ、じゃぁ! それまではお互いに色々と思い出づくりでもしましょ!
んーと、そうね……お兄さんは紅茶が好きで私は甘いものが好きだから紅茶の名門店にでも行って、ケーキをそれぞれ二つ頼みましょ! それをシェアするの!
それから、それから……」
ルゥトはやりたい事を、大きなことから些細なものまで、たくさん挙げていく。脳裏にはそれらの妄想が浮かんでは泡のように弾け、次のものが浮かぶ。
男もまた、やりたい事をいくつか上げる。
まずはルゥトと少し遠くに旅行をしたい。時神族に行ったときのように、何か目的のあるものではなく、ただ美味しいものを食べ、綺麗なものを見て、美しいものに触れる。
それから王都で世話になった人を呼び、ささやかながらに、パーティのようなものを開きたいこと。
「じゃぁ帰ってきたらそれらを全部じゃなくても、できる限りやろうか。ううん、何なら出来そうなものは今からしよう」
善は急げとばかりにガタガタと音を立てながら男は立ち上がると、伸びをしてそのまま自室に向かい服を着替える。
寒くなってきたため、少し厚着をし、ルゥトにも茶色いチェック柄のケープに、先が少しヒラヒラとしたワンピースとモコモコのブーツ。首元も寒そうなので、白のマフラーも装着させる。
先日、似合いそうだと新調したばかりのもので完全に男の趣味である。
だがルゥトもそれが気に入ったようで、嬉しそうにクルクルと回りながら道を歩いていると、先の方からエニシダが笑顔で手を振っているのが見える。
男はそれにムッとしながらも、ここで避けるのは大人らしくないと思い、とりあえず挨拶を交わす。
「いつものルゥトちゃんも可愛いけど、今日は一段と可愛いね!」
頬を桃色に染めながらそう言うエニシダに、少し困ったようにハニカミながら「ありがとう」と答える。
こういったお世辞には少し慣れたと思ったが、やはりまだ困る…というよりは苦手でどう躱したらいいのかわからないのだ。
男に教わるのが一番手っ取り早い気がしなくもないが、この男はルゥト以上にそういったものから逃げるのは下手である。
実際、店でナンパにあった際は「仕事中なので」「そういったものは嫌いなので」「奥ゆかしい人が好きなので」「ルゥトを大切にしてくれる人がいいので」
と、木でも伐採するかのように言葉を投げつけ、サッサと奥に引っ込んでしまうのだ。
客が来なくなったらどうするのだろうと思わなくないが、男の懐は店なぞ開かなくても一生暮らせるほどのものだ。
「今からどこかに行くの?」
「うん。玄関壊れちゃったから業者さんに直してもらうつもり」
昨日のことを知っているのだろう、エニシダは「そっか」というとルゥトの両手をギュッと握り締めながら
「何か困ったことがあったらいつでも言ってね!」
ズイッと近くなる顔に
「う、うん」
とだけ返すとその間に男が割って入る。
「急いでるんだ、また後日にしろ」
蛇のような視線に、エニシダはゴクリと生唾を飲み込む。この男の視線には慣れたと思ったが、今まではあくまでカウンター越しに睨まれただけだ。これほどの至近距離で大柄な男に睨まれるのは正直相当怖い。
「…わかりました。じゃぁね、ルゥトちゃん! また本をいくつか持ってくよ!」
エニシダはそう言うと二人の横を抜けてパタパタと広場の方に走っていってしまった。おそらく何か買い物でも頼まれたのだろう。
ルゥトは少しホッと胸を撫で下ろしながら男の手を握ると、そのまま業者の所に足を向けた。




