第二十八話 未来への備え
『は?! なんで?!』
チューリの驚いた大きな声に心の中で男は賛同する。
「トワちん言ってたでしょ。“魂を押し上げる”って。要は自分は冥府に残るってことだよ」
オリーブはそう言いながらトワをギュッと抱きしめる。目には涙を溜め、声が震えているのがわかる。
『確かに言ったけど…わかってたならなんで黙ってたん?』
「トワちんが、それを望んだから」
トワの肩口に顔を埋め、鼻をすする音と時計のチクタクという音が部屋中に響き渡る。トワの顔色もドンドン血の気が引いていくのがよく見え、なんとも言えない気持ちになる。
「私の離反、ブロウである貴方はどうする?」
オリーブはそのままの状態でそう問いかける。ブロウとはよくわからないが、意味合いは処刑人、だったはず。
『……わからんよ…。俺は…』
「追いかけて殺すもよし。ただその場合、治療部隊ブロウの私との戦闘で泥沼の殺し合いになるのは覚悟して。見てみぬふりをして後日全隊士に報告するもよし。それは貴方に任せる。
それから」
肩口から顔を離し、男を見ながら話し始める。
「トワちんはやりたい事をやっただけ。死んだ事を、後悔しないであげて。だからその子を大切にしてあげて」
それだけ言うとオリーブはトワを抱きかかえたまま立ち上がる。その反動でボロボロと涙は頬を伝いながら床を濡らす。
「…その組織から抜けてあんたはどうするつもりなんだ」
何故かそんな問いを投げかけてしまう。そんな事を知ったところで意味なんて、ないのに。
「エルフは元々世界の一部となる身。だからこの世界で事の全てを見守るよ。じゃぁ、さようなら、不器用なお兄さん。
それからその子とあまり離れちゃ駄目だよ、その子にとっての生き甲斐は貴方になってるから」
部屋において行かれた機械を、ちらりと見てみる。チューリは茫然自失とした様子でただ虚空を見つめる。
一気に仲間を二人も失った上、話し方的におそらく二人とも、役職も上のようだ。
「その…」
『……報酬の金は要りません。ですが、最後のあの子との約束だけは守ってあげてください。今後、運び屋と届け屋には所属するようなことはしないでください』
ただただ黙って頷く。恐らくこの状況で下手に声をかけるのは悪手だろうと、男は判断したからだ。特にこの手の話題への共感性に欠けているため、地雷を踏みかねないと沈黙を取る。
この機械をどうしたらいいのだろうか。踏んで壊した方がいいのか。だがそうすると爆発などしないだろうか。そんなことを考えていると
『あぁ、すみません。いつもの癖で切られるのを待ってました。この通信機は売ってもらっても、壊してもらっても好きなようにしてください、爆発とかはしないんで。それでは』
プツンっと通信が切れる音が鳴る。恐らく風神族辺りに売れば儲かる気はするが、なんだか気は進まなかったためこれを握り潰してゴミ箱にポイと捨てる。
「…迷惑をかけたみたいね…」
掠れた声で申し訳なさそうに俯くルゥトに仔細は話さずただ黙って先程のオリーブのようにギュウッっ抱きしめる。するとルゥトもクフクフと昔のように笑いながら
「お兄さん、もう嘘は吐かない?」
その言葉に全てバレていたのだと察する。
「うん。ごめん。最初からちゃんと話していればよかった」
そう言いながら頭を撫でるとルゥトも甘えるようにギュウッっと男に抱きつく。
「ねぇ、さっきのお姉さんは?」
サラサラと細い髪を梳きながら、
「遠い場所に旅立った」
と、本当の事を言うとルゥトは「そっか」と呟く。この温もりを惜しいと思いつつも離れると、以前より少し大人びたルゥトが昼の陽の光に照らされて眩しく感じる。
酒場に行って馬鹿騒ぎをしても、どれだけ遊んでも、満ち足りない理由が今ならよくわかる。
年の差を考えるが、大人になってしまえばそんなことは些事だ。この子が離れたくないというのであればこのままドロドロに甘やかして、もっともっと一緒に居たいと思わせれば良い。
それをできるほどの物を持ち合わせていると、自分では思っている。
だが別の障害が大きい。エニシダの事だけでなく、これから大きくなるにつれてもっとたくさんの男がこの子の良さに気付くだろう。
そして自分の元から連れ去ろうとするだろう。ならばその時、どうやって諦めさせてやろうか。
金で立ちはだかるもよし。家事スキルで唸らせるもよし。文字通り、捻り潰すもよし。
「お兄さん、良くないこと考えてるでしょ」
「…そんなことないよ」
「嘘だぁ、顔がそう言ってるもん!」
そう言いながらプンッと怒る姿も愛らしいと思う。
あぁ本当に、自分で自分のことは、存外どうしょうもないものだ。
上下左右、何もわからない真っ暗な空間。今自分がどこにいるのか、どこに向かっているのか、何故ここにいるのか何一つとしてわからない。
楽しかった記憶から少しずつ、淀のように溶けていくのがわかる。
少しずつ、自分という輪郭が、キエテイク。
感覚として手足はなく、口や鼻、耳もない。何も見えないし聞こえない。フワフワと、ただひたすらに、漂うのみ。
生きる意味を失い、冥府に落ちてしまったのだとなんとなくで察する。
寒く、暑く、心地よく、心地が悪い場所。静かなのにキーンと音が鳴り止まず、その音を止める術を知らない。
このまま意識を融かしてしまえば良いのだろうというのはわかるが、それをすると完全に戻れなくなってしまう。だが、彼が居ないのならばそれでもいいのかもしれない。
形が崩れゆくなか、何処かが少しずつぬくもりを持ち始めるのがわかる。それは少しずつ範囲を広げていき、やがて全身に行き渡ると、次いで急に体と言っていいのかはわからないが、羽のように軽やかになるのがわかる。
誰かが下から押し上げてくれているのがわかる。
「こんな所で立ち止まっちゃ駄目だよ」
諌めるような、怒ったような声でそう言われてしまう。口がないため言い訳も何もできないず、この手の温もりは恐らく彼のものだと気づき、無かったはずの手を空に伸ばす。
「魔法の研鑽を積みなさい。時空を超越するほどの、人を守れるほどの力を」
下を少し見てみる。そこには見たことがあるような、ないような顔が微かに笑みを浮かべながらこちらを見上げていた。
彼女はこのまま冥府に留まるつもりなのだろうか。
「彼を、助けてあげて」
その言葉を最後に彼女は闇に飲まれ、自分は光へと押し戻された。
目が覚めてから数時間が経った。まだ頭は少しボーッとするが、思考はできる。
これからのことを考える。
魔法の研鑽を積めと言われたが、具体的には何をすればいいのだろうか。時空を超越するほどの魔法は最早人智を超えたもので、時神族でも相当な時間と魔力を必要とする。
だが
ルゥトはジッと自身の手を見つめ、次いでキッチンで楽しそうに夕御飯を作る男を見る。男はルゥトの視線に気づくと振り返り、どこか上機嫌に手を振るので、それに手を振り返すと再度料理に向かい合う。
この幸せを、そして何より彼を不幸な目にあわせてなるものかと、手を握りしめる。そうだ、魔法を習得したのはこの仕事の為だけではないのだと、改めて自分に言い聞かせる。
手に残る感触を忘れるな。蔑んだ目を忘れるな。あの無力感を、虚無感を、憤怒と復讐心を忘れるな。
幸せになってもらうのだと決めたのだ。例えその先に自分が居なくとも、彼には、彼だけでも幸せになってもらうのだと。




