第十九話 砂漠にて
朝、目が覚めて真っ先に入ってきたのは赤。次いで窓の方を見てみると更に目が痛くなるほどの赤。赤々赤々赤。
脳が刺激されてもはや興奮状態かもしれない等と、意味のわからないことを考えながら起き上がる。
顔を洗って歯を磨き、フロントにおいてある新聞を買い、紅茶は売り切れていたので代わりにコーヒーを買って飲むと、ほんの少し頭の中がスッキリする。
新聞にはやはり昨日空神族が来訪していたことが書かれており、無礼だという意見が飛び交っているようだった。
(そりゃそうだ)
そう思いながら次のページを捲る。その他は特に目ぼしいものはなく、男は頭の中で今日の予定を組み立てる。
昨日急に城に招かれたことで随分と予定が狂ってしまったため、午前中には買い出しを終わらせてそのまま里を去りたいという考えと、空神族がどういった動きをするかわからないので、もう少し様子見しようか揺れる。
ルゥトがどれくらいの期間で時神族の跡地に着く予定だったのかもわからない為、悠長にしていてもいいのかどうかもわからない。
ぼんやりと寝ているルゥトを眺めていると、規則正しく動いていたはずの胸が急に止まり、苦しそうに悶始める。
寝苦しいのか? と思いながら布団を剥がすと汗がびっしょりで、急いでタオルを取り出し全身を拭うと薄っすらと目を開き始めた。
「おはよう。どこか悪くないか?」
そう問いかけてみるが返事はなく、ただ虚空を眺めるばかりである。
目の前で手をひらひらとさせても無反応で、汗がびっしょりの割には触っても熱いわけでも、冷たいわけでもない。
「ルゥト?」
そう声をかけてみるとやっとで目に光が戻り始める。そのまま視線が男の顔に向かうと、今まで苦しそうだった顔が一転してどこか妖艶な雰囲気を漂わせながらニコリと笑うと右腕を掴まれ、なにか小さな声でポツリと呟いた。
男はそれを聞こえなかったふりをして左手でルゥトの頭を撫でると「おはよう」と声をかける。
「おはよう」
そう言葉が返ってくる頃にはいつも通りのルゥトに戻っており、小さな花が咲いたような良い笑顔が返ってくる。
それに安堵しながら汗を流すために風呂に入れ、その間に朝食を用意し市へと繰り出す準備をする。
あのお方のことだ、早朝にはここを立ち次の場所へと向かっているはずだ。
再度、市へと出て各必要なものを揃えていく。しばらく熱砂が続くため、塩分と水分をしっかり取れるもの。必要最低限の食料。夜は冷えるため、火となるもの。日除け用の魔術が織り込まれた布。
取り敢えずそれらを買い、昼食を腹八分目にすませて火神族を出る。
やはり大きな門はあるものの、相変わらず警備は笊で身分証を渡すこともなくするりと抜けられた。
その先には広大な砂漠が待っており、ジリジリと肌は焼け、乾燥した空気がピリピリと喉を痛みつける。
火神族の里内は冷気が出る魔石を多用していたため暑さはあまり気にならなかったが、やはり里を出たらひどく暑い。
これほど唾液が素晴らしいと思うことは人生においておそらく今後来ないだろう。
カンカン照りの太陽から逃げるために深々と布を被り、頭皮を守る。
ルゥトは髪が長いので余計に暑いだろうなと少し心配になり、顔を見てみるとやはり真っ赤になっており、冷気が出る魔石を首に当てる。
ある程度の暑さには慣れているが、流石にこれほどの暑さはキツイものがある。
一日中歩くのには慣れているので、夜もルゥトを抱いてオアシスにある交易所に行き、ラクダを借りてさっさと砂漠を抜けてゆっくりしようと心の奥底で誓った。
日が沈み始め、地平線が太陽によって境目が通常よりハッキリとわかる。真っ赤に染まったそれは火神族で泊まったホテルを彷彿とさせ、数時間しか経っていないはずなのに少し恋しくなる。
少し離れたところに大岩が見えたため、その付近で火を炊き、朝買った保存魔法がかけられている串で魚を刺して焼き、米を炊き。ひどく簡易かつ質素だが、スープを作って手渡すと嬉しそうに食いつく。
昼間は酷く暑かったが夜は砂漠らしくやはり寒く、息が白くなっていた。
男は夜のことを軽くルゥトに相談という名の決定事項を告げると、ルゥトは頷いてスープを飲み干し、ホッ一息つく。
焼き魚に軽く塩を振り、米と一緒に食べるとお腹がじんわりと温まる。そのまま眠気も同時に襲ってくるが、すぐに寝ると体に良くないので今日の砂漠の感想、アタゴと何をしていたのか、次はどこに行きたいか。
そんな他愛ない話をしながらルゥトは夢の中に落ちていった。
深夜。
月明かりを頼りにひたすら歩き続ける。
星も綺麗に輝いており、詳しければ星座を教えてやることができたのになと、一人でふふっと笑ってしまう。
定期的にある看板を目印にオアシスを目指しつつ、また暑くなる前に一息つきたい、と考えながらルゥトを背負い直す。
遠くに随分と大きな魔物が見え、こちらに来ないか心配になるが、どうやら違うようで安堵していると、その魔物とはまた違う魔物が交戦を始めてしまった。
砂が吹き荒れ顔を手で覆うが、時々小石が体中に当たってペシペシと痛む。その砂嵐はしばらく続き、男は飛ばされないようにするのに必死だった。
(しまった…!)
驚いて目を逸らしてしまったせいで、どの方向に向かえばいいのか一気にわからなくなる。いや、わかるのだが不安なのだ。
足跡を見るとわかるかもしれないと思いつき、見渡すがすでに砂に埋もれてわからなくなっていた。
小さく舌打ちをしながら忌々しげに先程の魔物を見やるとすでに地中に埋まってしまっておりどこにいるのかわからなかった。
「こっちよ」
そう言いながら先程まで向いていた方の少し右側を指される。いつ起きていたのかと疑問に思いながらも「ありがとう」と返すが、いつもなら何かしらリアクションがある筈なのに今回は来ない。
「……トワか?」
そう問いかけてみると首のあたりに笑ったかのような吐息がかかる。おそらく正解だろう。
「オアシスを目指しているんでしょう? なら今くらいの時間ならあそこにある少し紫がかった星を追いかけるといいわ」
頭上高く、紫に輝く星がある。他の星々に負けず劣らずの輝きを放っており、先日ペティスが食べていたぶどうのようだった。
「トワは星に詳しいのか?」
なんとなくでそう問いかけてみるが「どうかしら」とそっけない返事がくる。
「私が生きていた頃と星の位置も違うし、無くなっているものもあれば産まれているものもある。」
その言葉に男は少しばかり申し訳なさそうに
「…トワは何年前にその……。」
「二千年くらい前かしら。」
「二千?!!」
思わず大声を上げてしまう。ダイヤの顔を覗き見てみると、ふふんと誇らしそうにしておりいつもの癖で笑ってしまう。
「随分と笑顔が増えたわね」
「そうか?」
「えぇ」
トワは男の頭に顎を乗せ、腕を首に回す。首都に行ったばかりの頃、彼に笑顔はほぼなかった。
それよりも不安や心配、そして警戒のほうが強かったように思う。まぁ当たり前なのだが。
だが一ヶ月が経ち、半年が過ぎ、一年を超えると貼り付けたような業務的な笑顔ではなく、もっと自然な笑顔が出てきたように思う。
思考を完全に共有しているわけではないので、ルゥトがそれを知っているのかはわからないが、トワの目には少なくともそう映っていた。
「……ねぇ■■」
「………なんだ?」
真名を呼ばれ、少しキョドってしまうが今更かと思い優しくそう返す。トワは楽しそうにクスクスと笑うと
「この子のお兄ちゃんになってくれてありがとう」
「なんだ改まって」
背後ではなく隣りに居たら頭を撫で、正面にいたら抱き上げていただろう。だが今はそうせずにヨイショと再び背負い直すと、頭に乗せていた顎は降りただひたすらにギュッとしがみつく。
「今言っておいたほうがいいかなって」
「なんだそれ。
……俺はトワのお兄ちゃんでもありたいと思ってるんだけどそれは嫌か?」
「嫌じゃないけど、漏れ無く弟の水子神がついてくるよ」
さすがにいいよとは言えずに黙ってしまうとクスクスと笑う声が聞こえる。揶揄われたな。
「俺はそれより生きていた頃のトワの話を聞きたいんだけど、嫌か?」
さぁっと、冷っこい風が流れて少し汗ばんだ頬に砂をつけていく。背後でトワは少し考える素振りを見せるが
「……普通の暮らしよ」
とだけ返ってくる。神代の普通の暮らしが想像つかない。服を着ているのか、住居は穴倉なのか、食べ物はどうしていたのか……そんなことを諸々考えてしまう。
「服は着ていたし、大体の神様は御殿に暮らして、人々はレンガで家を作っていたわ。火も使えるからちょっと焼いたようなものを食べていたわね」
心を読まれていたかと苦笑してしまう。本来なら気を引き締めるところだろうが、生憎妹分のようなものだ、気を引き締めるも何もない。
「怒らないのね」
「怒るほどのことじゃないさ」
間髪入れずにそう返され、驚きと嬉しさがじわりと胸に滲む。ルゥトが羨ましい反面、この幸せもいつか終わってしまうのだろうかという切なさもある。
「……神々は御殿で暮らしていたけど、私達は普通の住居で普通の暮らしをしていたわ。
人里から離れたところで暮らしていたけれど、たまに野菜をもらったり、水質の良い場所を教えてもらったり、子供が遊んでくれたり。
本当に普通の暮らしをしていたの」
昔を懐かしむ。神と悪魔の子である自身を受け入れ、最後まで匿い、愛してくれた人々。
「偶然でしかないけれど、私達を最後まで助けてくれたのは火神族の人々よ。昔から火神族の人やその主は偏見を持たず、敵意を向けず、朗らかな人たちだった。
だからそこに漬け込んだの。でも、今もこうして昔と変わらない人々で良かったわ」
少し私も歩きたい。と言うので男はわかったとトワを降ろすと「なんだか変な感じ」とすごく微妙な顔をする。
サクサクと言う音が心地良いと男は思っていたが、トワにはギュッギュと感じるようだ。
「月が私たちの時代では頼りだったの。今と同じね。そして星が道標。
その星の位置によって方角がわかるっていう科学的なものじゃなくて、私達、災禍の子だけが見える行かなければならない場所。
今の私達にとっての時神族がそれで、それが終わればまた違う星が道標となる」
星を指差したままついっと今度は男を指差す。男は俺? とばかりに自身を指差すと「そう」と返す。
「私達が行かなければならないところは紫。死ににいく場所は闇。帰るべき場所は白。そう決まっているの。
だからあの子は暗闇は苦手で白い雪が好き」
「…死ぬ場所が決まっているのか?」
「えぇ。千里眼で先が見えなければ“闇”となる。今まで変えられた子は一人もいなかったわ」
一人も…。あまりにも寂しそうに瞳を伏せるものだから頭をワシワシと撫でると、不服そうな声が飛んでくる。だが拒んでいるのは口だけのようで、以前のようなピリリとした様子も嫌そうに手を振り払うこともなかった。
「妹はそれをわかった状態であの日里中を駆け回った。貴方から逃げていたのではなく、すべてをわかった上で受け入れていたの。
ただ殺す相手があの人か他の人かだっただけで、結果はそこに辿り着くはずだった。
でも一つどうしても変えたいことがあったの」
ニコリと笑みを浮かべながら「わかる?」 と問いかけられる。ゆるりと首を横に振り、困ったように笑みを返すと手をきゅっと握られる。
反射的に手を握り返すとルゥトと同じくクフクフと笑い、双子のようだなと考える。いや、この場合は三つ子なのかもしれないと、昔出会った少女を思い出す。
「貴方とルゥトよ。当時、私は妹の中にいた。でも最後に妹は私を切り捨てて、ルゥトの所に向かわせ、未来を変えた。
里に残り、後から来た水神族に見つかり、甚振られ続けながら死ぬ未来を回避させるために貴方を利用したの」
「………」
男は黙りこくる。トワは利用したと言っているが、それは果たして本当だろうか。
「ルゥトはその事を知らないわ。それに今は精神も眠っているからあなたが話さない限り、知ることはない」
トワはじっと空を眺める。その先には先程言っていた紫の星があり、トワとルゥトの征くべき道を示している。
「…今後の未来に何か視えるのか?」
そう問いかけてみると首を横に振られる。視える。のではなく視えない。のだ。だとすれば先程の話からすると“闇”が見えるのかもしれない。
「…ルゥトが死ぬってことか?」
「わからない。“闇”が見えるということは死ぬと同義だけど、少し違うの」
目に魔力が籠もるのがわかる。いつもより煌々と目が輝き、神秘さを帯びておりとてもきれいだ。
「…御殿。貴方のお……元主人。そして空神族の人々に、私と貴方。
視点が二つあるの。視点が二つあるということは、そこで未来が割れる、別れる。要はそこを境に完全なる平行世界ができるということ。
……正直、私もこれは初めてで今後どうなるのかわからない」
男は真剣な表情で問いかける。
「そこで俺達は何をしている?」
「言えないわ。ただ、片方を回避するために私達は今動いている。最悪の事態を避けるために。
それに、未来視は“過程”を話すことは制約でできないの。」
目の輝きがすっと消え、いつも通りの瞳に戻る。少し寂しいと思ったが、いつまでも使わせるわけにはいかないかと思いながらトワの頭を撫でると少し嬉しそうにはにかむ。
「ちなみに、制約を破ったらどうなるんだ?」
「向こう数年、喉に小骨が刺さったような感覚が続くわ」
男は「地味に嫌だな……」と呟くと、トワは思わず笑ってしまう。
「忘れないで。私達二人…妹も含めて三人はあなたの味方よ。どの選択を取り、どの未来を辿っても祝福するわ。
でも神からの祝福は呪いと紙一重。逆も然り。誰かへの呪いは誰かにとっての祝福となる」
そう言うとシパシパと目を瞬きさせる。
「…ありがとう」
おんぶを再開させるためにしゃがみむと、その背に寄りかかる。そして立ち上がると足跡は再び一つに戻る。
「月は灯火。星は導き。人は輝き。人ではない私達は……」
最後の最後、寂しそうに呟きながら眠りに落ちる。眠りは必要ないと以前言っていたが、眠気はあるのがまた興味深い。
「…他人にとって呪いでも、俺にとっては祝福だ
よ」
何もない広大な砂漠。冷たい風が頬を撫でながら、その言葉をどこか遠くへと連れて行ってしまった。




