第十六話 男の過去/少女の未来
石段の上。
帽子についている認識阻害で顔はちゃんと見えないが、いつもは不貞腐れたかのような顔だった少年が、ほんの少し笑っている。
『あなたの顔に弱いんです』
男前だからと、勘定を安くしてくれたり少し多めに入れられたことは何回かあったが、これほど重大な秘密を打ち明けられたことはない。
『あなたに笑っていてほしいし、幸せになってほしいんです』
帽子をほんの少し下げると顔は一気に見えなくなり、どんな表情をしているのか、一切合切わからなくなる。そしてこちらもどんな表情をしていいのかわからなかった。
つい先日まで関わり無いに等しかった筈の人物が、己の主人には真実を伝えずはぐらかしたのに、己には真実を告げ、静かにうっすらと微笑むのだ。
満月が少年を照らす。己と同じかそれより下に見える十二歳ほどの少年は、踵を返すとそのまま『さようなら』と告げ、翌日以降見かけなくなってしまった。
今思えばあのときのあの顔はーーー。
強い衝撃が男の顔面に走る。「敵襲か?!」 と思い勢い良く飛び起きると、横には自分の手より一回りも二回りも小さい手が見える。
スコーっと言う小気味の良い音を鳴らしながら寝ているルゥトを起こさぬように立ち上がり、消えてしまった火を再度着けると、また寝てしまわないように膝の上にルゥトの頭を乗せ、一心不乱に撫で続けた。
月はまだまだ高いところにあり、もう暫く夜明けは来そうにない。
夢の内容を思い出す。
確かあのときは自分の主人が毒に倒れ、その解析ができずに困っていたときの出来事であったはずだ。
鼻血が止まらず瀉血までし始め、立っていられず胸を抑えながら苦しそうに椅子から崩れ落ち、四つん這いになっていた筈だ。何もできず、歯がゆい思いをしたのを今でも思い出すことができる。
当時はまだ族長でもなんでもなかった彼を助けようと立ち上がる者も少なく、ただ無事を祈るばかりであった。
『どいてください』
そう言うと毒が入っていた茶を少し飲み、体内でおそらく毒の分析をした後、すり鉢や薬草、そして流し込むようの水などを魔空間から次々と取り出し、解毒剤を作り上げた。
たしか火神族が外部から雇った護衛で、なんでも運び屋という組織に所属しているらしい。その組織名を聞いたとき、族長達は随分と眉を吊り上がらせていたが、どのような組織なのかは未だにちゃんとは理解できていない。
『これが最後の薬草です。次に同じ毒にかかったらもう治せないのでお気をつけて』
そう言って解毒剤を無理やり主人に飲ませようとして、取り押さえられていたはずだ。だが打開策も何もない現状、この子供に縋るしかなく、拘束を解き解毒剤を飲ませる事にした。
結果的に主人はみるみるうちに回復をし、それとは対称的に解析の為とはいえ、口に含んだ少年はみるみるうちに体調を崩してしまい、翌日から五日ほど姿を見せなかった。
それから更に数日後、市に向かおうと主人と歩いていると、前から不機嫌そうな顔をした少年が石段を登ってくるのが見えた。
おそらく市から戻ってきたのだろう、片手には手土産のようなものが握られていた。
こちらに気づくと一礼をし、通り過ぎるのを待つが己の主人が少年の前に立ったまま動こうとしないので、彼もまた動けないでいた。
『先日は迷惑をかけたな』
そう声をかけたのは主だ。少年は顔を上げるが表情はやはり読めず、ただなんとなくで驚いているというのだけはわかった。
『穏便に今回の会議を終わらせるのが自分の役目なので』
淡々とそう告げると、再び深々と頭を下げる。自身より目上の者の顔を見ないようにするという随分と古いしきたりだが、少年はそれを重んじる性格のようだ。
『面を上げてくれ。それだと俺が礼をしているというより、説教をしているようにしか見えない』
『……それでは』
そう言いながら面を上げると、能面のような顔が前を向く。なんとなく見られていると思い、少しだけ視線を向けるとやはり見られていたようだ。
『あの毒には神代の毒草が混じっていると言われた。…お前がいなかったら今頃俺はここにはいなかったろうよ。本当に感謝している。』
『当然のことをしたまでです』
『…答えにくかったら答えなくてもいいんだが、何故神代の毒草に精通している?』
主は少し訝しげに少年に問いかけるが、少年はしれっと『勉強しました』とだけ返した。
命を救ってもらった手前、それ以上強く出ることができず『そうか』とだけ言うと神殿の方に戻ってしまう。
『俺からも改めて礼を言わせてくれ。本当にありがとう』
深々と頭を下げながらそう言うと、少年は顔を上げてほしいと言わんばかりに己の肩を叩き、グイグイっと上げる。
『彼に何かあったらあなたは困るでしょう?』
まるで主ではなくこちらの機嫌を伺っているかのような聞き方だ。黒い瞳が子犬のようにじっとこちらを見つめる。
キラキラと自由奔放な瞳ではなく、主人からの指示を待つような、そんな瞳だ。
『……そうだな。あのお方が居なくなったら俺は困る』
『だから助けました。下心があるんです。だから下手に感謝するのはやめてください』
申し訳なくなるから。ポツリと聞こえた気がする。
『なら一つ教えてもらえないか?』
『はい?』
『どうして神代の薬草について知っている?』
どうせまたはぐらかされるだろうという思い半分、好奇心半分で聞いてみる。少年は認識阻害越しでもわかるように瞳をウロウロとさせたあと、ちょいちょいっと顔を近寄るようにジェスチャーをするので、耳を近づけると思いもよらない返事が返ってきた。
『自分の育ての親は神獣様なんです』
驚きのあまりに目を見開いて少年を見る。恐らくかなり呆けた顔をしているであろう、己の顔を見ても何も言わずに真面目な顔をしているだけであった。
『神獣はもうこの世にはいないはずだが……』
『はい。自分もこの世の者ではないので』
『……死人という事か?それにしては随分と顔色がよく見えるが…。いや、認識阻害でそう見えるだけか…』
少年は軽く首を横に振ると、自身の頭をトントンっと二回突き刺す仕草をする。
『死んだんです。随分と昔に、一度。そして地獄に堕ち、神獣様に育ててもらい、様々なことを教えてもらいました。
そしてある縁を辿り、人に戻り今に至ります。要は今は人です』
黒く質の良い外套が風に吹かれてパタパタと靡く。
風神族の者が好んで着そうな軍服に、右脇から左肩にかけての黒い斜めがけの外套。少年には少し大きいらしく、ほんの少しダボッとしているが、これから背も伸びるだろうしガタイも良くなるだろう。
いずれ丁度良くなるし、なんならパツパツになるかもしれないなどと、どうでもいいことを頭の隅で考える。
『どうして俺にその話をした?』
当然の疑問だ。人々には無敵だの何だのと騒がれてはいるが、所詮は側付きでかつその称号を取れば平民だ。だが少年は想像の斜め上をいく答えを返した。
『あなたの顔に弱いんです』
多分、随分と変な顔をしていたと思う。女性には黄色い声を浴びせられ、男性には称賛を浴びせられる。
その中には顔に関するものもいくつかあったが、このように面と向かって言われたのは初めてであった。しかも男相手に。
ほんのり、能面のような顔であった少年が微笑んでいたが、またすぐに元の顔に戻る。
『………別に好いているとかそういう意味ではないですよ』
眉を寄せる気配がする。こいつもこんな顔をするのか。
『ならどういう意味だ?』
『……自分がお世話になった人に似ているんです。地獄に堕ちる前、ずっと一緒にいて、育ててくれた人に』
少年は足をトントンとする。ハッと何かに気づいたかのようにそれをやめると、ほんの少し首を横に振って『すみません』と何故か謝る。
『だから、あなたに笑っていてほしいし、幸せになってほしいんです。
自分の一番大切な人に似ているから』
帽子のつばを下げられ、顔は見えないが何故か泣きそうな顔をしているような気がした。
励まそうか。あやそうか。撫でようか。どれもなんだか違う気がして、敢えて何もしないという選択肢を取る。
夕日が、彼を照らしている。彼は静かに顔を上げると、たしかに微笑んでいた。まるで慈しむかのように。懐かしむかのように。
『やるべき事は終えました。自分は恐らくもう此処には戻ってこないでしょう。
では■■殿、さようなら。お元気で』
最後の最後に爆弾を落として少年は踵を返す。いつ、彼に真名を教えただろうか。それとも、彼が所属している組織にはかなりの情報通がいるのだろうか。
ただ呆然とそんなことを考えながら彼を見送った。
パチパチと音のなる火を眺める。昔のことを思い出していると、遠くからうっすら鳥の鳴き声が聞こえ始めていた。
あと少ししたら歩き始めよう。鬱蒼とした森の木の下でそう思いながら、再びルゥトの頭を撫でる。
火を見つめていて少し思い出したことがある。確かこの辺りには火神族の里があり、時期的にたくさんの人が出入りしているので、おそらくバレずに入ることができるはずだ。
そうすれば約一週間ぶりに風呂に入れるし、布団で寝ることができる。
ルゥトが起きたらそのことを話して一旦里に寄ろうと思いながら手元にある乾いた火に木を焚べた。
◇◆◇
心の中には四角い箱があります。白く、小さく、人差し指で軽く上に上げればすぐに開くようなものです。
少し上げると中からは黒いモヤモヤが現れ、それが嫌ですぐに塞ぎます。でも、それは時々溢れてしまい、一度どうしようもなくなり、完全に開ききってしまったことがありました。
けど、自分ではない大きく逞しい手が、その蓋をそっと塞いでくれたので、そのモヤモヤは大きくならずに済んだのです。
どこかもわからない広い場所。
玉座のようなところに座る若い男と、その足元にはよく見知った大好きな男がまるで物のように転がっている。
規則正しく動くはずの胸は動かず、優しく見守ってくれるはずの目はどこを見ているのかわからず、優しく頭を撫でてくれる手は土色に染まっておりぬくもりは感じられない。
目を離すことができない。瞬きができない。呼吸が、できない。
玉座に座っている男はこちらに何かを言っているが、何一つとして耳には入らない。いや、拒絶しているのだ。
髪を掴まれ、腕を掴まれ、首を掴まれるがもはや抵抗する気も起きずただ、されるがままに暴言を浴びせられ、殴られ、蹴られる。
あぁ、こんな事なら里を燃やされたとき許さなければよかった。
妹を殺されたときに全てを呪えばよかった。
そうすれば彼は殺される必要はなかった。
こんな未来が来ることはなかった。
自由に生きることができたはずだ。
手を、握らなければよかった。
意識が遠のくと同時に辺りをドス黒い何かが覆い尽くし、子供の泣き声が響き渡る。
水子神。災禍の子唯一の弟で、現世に留まり続ける神。
それらは世界中を覆い尽くし、破滅をもたらした。
ハッと目を覚ますと、気持ちよさそうにスヤスヤと眠る男がいた。
胸は規則正しく動いている。目は閉じていてわからないが、きっと大丈夫。頭の上に置かれた手は温かく、よく知っているものだ。
ホッと胸を撫で下ろすと男の腰に抱きつく。その動きで目が覚めたのか、頭を撫で始めたことに安堵しおはようと呟く。
言霊の様に言葉が返ってくると、腰から顔をどかして男の顔を見やる。男は小さく「ん?」 と呟くとルゥトの額に手を当てた。
「熱があるな。」
そう言って魔空間から水筒を取り出すと、器に移してルゥトに手渡す。ルゥトはコクリとそれを飲むが、喉が痛くて半分ほどで断念してしまった。
残りの半分で布を濡らし、それを額に当てると「行こうか」と言いながら野営の片付けをし、ルゥトをおんぶして歩き出す。
「ごめんなさい、迷惑かけて…。」
いつもより覇気のない声でそう謝るので、男は思わず苦笑してしまう。
謝るようなことではないのに。
「それより今日は火神族の里に向かおう。あそこなら旅人や観光客の受け入れ…というか身分証も特に必要なく入れる。俺やお前はそういうのを持っていないからな」
少しずり落ちてきたため、よいしょと言いながら持ち直すと小さくうん。という声が聞こえてきた。
さて、族長様に挨拶に行って事情を話そうかどうしようか。




