第十四話 過保護
太陽が一番眩しく感じる時間帯。
外に出ると木々の間から差し込む光が目に痛く、男は目を細める。老婆も同じようで、ローブで空を見えないようにしていた。
ルゥトは眠ってしまい、男におんぶをされて幸せな夢を見ているようだった。口元は時々もちゃもちゃと動き、美味しいものを食べたときの顔をしている。
「兄ちゃんは長男かい?」
老婆はそう問いかけると男は首を横に振る。
「三人兄弟の一番下です。一番上の兄は死んだと聞いています。次兄は…」
そこで言い淀み、答えたくないとばかりに笑みを浮かべ、それを察した老婆は「んっんん」と下手な咳払いをする。
「■■」
驚いて目を見開く。己の主以外誰も知らない名前。自分の真名だ。
「私の神眼さね。あと一つは未来視。
近々その子とは離別が訪れるだろうよ。どちらがどうなるかは教えられんがね。
もし、その子を忘れ新しい幸せを欲するならその子を手放し、いい人を見つけなさい。すぐに見つかるだろうし、その子は気にしないだろうさ。
だがもし、それに抗うというのなら強く手を握り返すんだ。たくさんの人が敵になり、一部の心強い人間が味方になるだろうさ」
老婆はそう言うとクックと笑う。綺麗な紫水の瞳が今は太陽の光で燃えているように見える。
今だけでなく、未来を見通すことができるその眼はどれだけ先を見て、一体どんなものを見てきたのだろうか。
男はゆっくり頷き、手土産にと、クッキーとカップケーキの入った袋を手渡す。
老婆はそれをはにかみながら受け取ると、「もうここには来るんじゃないよ」と男に放つ。男は訝しげに眉を寄せながら首を傾げると、老婆はルゥトを指差しながら「その子にも言っておいてくれ」と言う。
「どうしてですか?」
「旅にもう一度出るからさ。明日からは此処にはいない。その子には教えられることは教えたしね」
少し寂しそうに夕焼けを老婆は見つめる。やはり燃えているみたいだと男は再度思うと、ゆっくり瞼を閉じ「わかりました」と答える。
「それじゃぁ、またいつか会いましょう」
「あぁ、縁があったらね」
老婆になら縁が有るか無いかくらい分かっているはずだ。だが敢えて何も言わずに、可能性だけを残して男に帰るべき道を指差す。
そちらは目を凝らすと月が登っており、鈍く錆色に輝いていた。
「さようなら」
背中から、そんな声が聞こえた。
どちらの声かは判別がつかなかったが、男は振り向かずに帰路へとついた。
老婆にあってから数週間が過ぎた。
互いに彼女のことにあまり触れず、かと言って無かったことにはしない程度にはあの日に触れていた。
トワという存在について。何を学んでいたのか。それをどうしたいのか。それらについて話を聞いていた。
トワは昔からルゥトと彼女の妹の中にいて、意識や記憶を共有できること。
また災禍の子ではなく神の子として生まれた祝福の子であり、本来不敬を働くとそれこそ災禍が起こるということを聞かされた。
今まで何も起きなかったのは「興味がないから」だそうだ。
そしてルゥトは老婆に魔法と神眼についてを学んでいた。
日常魔法から攻撃魔法、防御魔法を学んでおり、知識は頭に叩き込んだものの、魔力の流し方がよくわからず結局まだ使えずじまいだ。
そしてそれをどうしたいのか。ルゥトは少し恥ずかしそうに「あなたの為に使いたいの」と言った。
両脇の下に手を突っ込み、ルゥトを掲げて言葉にならない叫び声を上げる。その間もルゥトは恥ずかしそうに頬を染めて汗をピピピと飛ばしていた。
男も男で変化があり、何故かアパトが仕事をバックれ、ここ最近は上機嫌であったのだ。
朝もしっかり起き、鼻歌交じりに掃除や仕込み、ルゥトの世話をしていた。
そんな男がここ二、三日ほど怒っている様子だった。
いや、怒っているというよりは苛立っているようで時折口を尖らせては何かを呟き、ハァッと大きなため息をついた。
食事の際もボーッとしては体をゆらゆらと横に揺らし、時折天井を見つめては何かを思い出したかのようにご飯を搔き食らった。
(手っ取り早く心を見てしまおうかしら)
ルゥトは安易にそんなことを思ったが、男の嫌がることはしたくないと首を横に振り直接問いただしてみることにした。
「最近何かあったの?」
「ん?どうしてだ?」
「…無意識なの?」
訝しげに眉を寄せながら思わずそう聞いてしまうと、男も困ったように眉を寄せてしまう。本当に無意識のようだ。
仕事中にも関わらず、眼光を鋭くさせながら時折舌打ちが聞こえるのもよろしくない。普通の人なら肩を震わせて、財布を置いて逃げ帰っているだろう。
「なんだかイライラしているようだし、上の空だし…。ほら、昨日だけでお皿とグラス全部で五つも割ってたじゃない。いまもパスタをくるくるしているだけだし…。」
男はトングを持ったままどこかを見ながら「あー…」「うー…」などと言い訳を探す。ルゥトは頬をプクッと膨らませると、男の腹を一発パンっと叩いてホールへと出ていってしまった。
(しまったなぁ)と男は思いながらパスタを盛る用の皿を取り出しそこに映る自分を見てみる。確かに少し不機嫌そうだなと思い、ふぅっと息をついてから口角を上げてみるがうまく行かず再び真顔になる。
視線を感じてそちらを見てみると、イウロバとギンソウがニヤニヤと意地の悪い顔をしながらこちらを見ていた。
「見てはいけないものを見てしまった気分ね」
「忘れてください…」
恥ずかしそうにパスタを置きながら消え入るようにそう言うと、イウロバは口元に手を当ててクスクスと笑う。
「いやぁ逆だなぁ。面白いものを見てしまった気分だよ俺は」
ニッと大きな口を開けながらそう言うと、ギンソウは思い出したのかゲラゲラと笑い始める。
あの一件以来二人は仲良くなったようで、時折こうして似たような時間に現れては、カウンター席に座って楽しそうに談笑していた。その様子を男とルゥトは楽しげに見ていたが、男は内心美女と野獣だなと毒づいていた。
カランコロンと、人が入ってきた音が鳴り響く。「いらっしゃいませ」と言いながらそちらを見ると、両手に花を抱えたルゥトより三つほど年上くらいの少年が店に入ってくる。
「一名様ですか?」
ルゥトがそう言いながら近寄ると、店主はハッとした顔で「そいつに近づくな!」 と叫ぶ。客は全員何事かと男を見ると酷く焦った顔をしており、次にルゥトを見ると男の子はゆっくりと口を開く。
「一目惚れしました!結婚を前提にお付き合いしてください!」
一部は愕然とした店主の表情を。一部はルゥトのキョトンとした顔を。一部は顔を真っ赤に染め上げた少年の顔を見ていた。
その中でイウロバとギンソウは、店主の顔を愉快そうに眺めていた。
既に店内の客はイウロバとギンソウの二人だけになっていた。
そんな中、イウロバは口元に手を当てて上品に、ギンソウは机をバンバンと叩き下品に笑う。
男はその様子を見てプクッと頬を膨らましながら紅茶を作る。
結果として男の子は店主の大人気ない一言によりひとまず退散となった。
「……笑い過ぎでは?」
チラリと二人を見ながらそう言うと、店主の顔を見るなり再び笑い出す。
「いやぁ、そりゃぁ…!」
「そうよ、笑い過ぎよ。最近の機嫌が悪い理由もこれだったのよ、きっと。むしろ理由がわかって清々したわ」
ルゥトが追い打ちをかける。それを聞いてギンソウはさらに笑い声を大きくする。
少年が公開プロポーズを行ったあと、ルゥトは「なにそれ」と純粋な疑問をぶつけた。
少年は「将来一緒になってほしいんです」と言うとルゥトは首を傾げながらうーんと喉の奥で声を漏らす。
「それは仕事中にお願いするものなの?」
「いや、こうでもしないとあのお兄さんが会わせてくれなくて…」
チラリと店主を見ると、フンッと鼻を鳴らして早く帰れとでも言うように手をシッシとしていた。
「ごめんなさい、私あなたのことはよく知らないからそういった約束は軽々しくできないの」
ルゥトは汐らしくそう答えると、男の子は負けじと色々と話し始める。
「僕、七軒隣りにある本屋の息子です! エニシダと言って、十四歳です! ルゥトちゃんは今、十歳と聞きました! せ、せめて仲良くしてくれるとその……嬉しいです!」
花を持った手がプルプルと震える。七軒隣り本屋は何回か行ったことがあるが、正直目の前の男の子に興味は湧かなかった。かと言って無下にすることもできずどうしたものかと困り果てる。
「友達から始めたらどうかしら?」
助け舟を出される。振り返るとイウロバはニコニコと笑みを浮かべながらハンカチを持ち、口元を抑えていた。笑いを隠しているのだ。
「……それなら…」
俯きながらそう答えると、エニシダは嬉しそうにパァッと明るく笑う。店主には劣るが、悪くない顔をしていた。
少し天パで、深緑の髪色にそれと同じ瞳の色。十四歳にも関わらずまだ瞳は丸く幼さが際立つ。背は155センチあるかないかだが、これからまだ伸びるだろう。ギンソウはそう思いながらエニシダを見ていた。
「いいや、反対だね」
微笑ましく見ていた所に水が差される。そちらを見てみると鬼の形相をした店主が、態々ホールに出て仁王立ちに腕を組み、エニシダを睨みつけていた。
本で見た魔王のようだとルゥトは思いながら男を見る。
「でも…」
反対の声を上げたのはルゥトだった。店主は表情はそのままに首を横に振ると、エニシダを指差した。
「ルゥトと仲良くなるならせめて、一人で店のことをやりくりできるようになることだな」
「えっと…僕もルゥトちゃん同様お店のことを手伝っています。経済に関しても、知識はそれなりにあります」
「それなら給料は俺を超えることだな。貧しい所にルゥトはやれんからな」
ふんっと鼻を鳴らしながらそう言うと、エニシダは受けて立つと言わんばかりに構える。
「売上ならかなりあります。それに営業時間も長いからここよりあるかと…」
「そっちじゃなく、そばっ…」
男はほんの少し冷静になり、ここで一旦話が止まる。周りの人間も気づいてはいるが、善意で周りが敢えて口にしなかったことを己で口走りそうになってしまう。
気持ちを少し切り替えようとわざとらしく、えっえ。と、変な咳払いをする。
「いや、まぁいい。知識も俺以上にないと駄目だ」
「僕はいま学校に通ってます。きっと頭も良くなってみせます」
「……」
どうしたものかと右から左へと瞳をくるりと回す。ルゥトもさすがに呆れた顔をしていたが、それに気づかないほど男は必死なのだ。
男は閃いた! と言わんばかりの顔をすると、指をパチンと鳴らす。
「なら腕っ節で俺を超えろ。それができないなら二度とお付き合いだの結婚だのルゥトに言うな。」
フンッと鼻を鳴らし、エニシダをびしっと指差しながらそう言うと、エニシダはぐうっと言葉に詰まる。
彼もまた男の立場や素性を知っていたのだ。
「わ、わかりました。俺、あなたを超えます!」
「そうか、超えるか。できんと思うがな」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。エニシダは最後にルゥトと向き合い、花束を手渡すと「ま、また来ます!」 とだけ言うとカランコロンと音を鳴らして走り去ってしまった。
そして今に至るといった状況であった。
イウロバとギンソウだけでなく、事の成り行きを見守っていた他の客も、ほんのりクスクスと笑っている声が幻聴として聞こえる。
ムキになり過ぎた。と男は猛反省をし、頭を抱えてキッチンの何も置いていない所に突っ伏してしまう。
ルゥトは男の顔を覗こうとしゃがみこんでみるが、顔は一切見えない。ただそのかわり耳は真っ赤に染まっており、恥ずかしいんだなと気まずそうにホールに出ていってしまった。
「でもルゥトちゃんあの子とはどうするの?やっぱり友達から?」
「うーん…わかんない。お兄さんが仲良くするのを嫌がるなら仲良くする気はないなぁ」
「店主の言うことなんざ聞く必要ないぞ。大事なのは嬢ちゃんがどうしたいかだからな」
どうしたいか。そう言われて目をぱちくりとさせる。特段、どうしたいもこうしたいもないのだ。それはつまり
「じゃぁどうでもいいのかも」
イウロバは首を傾げる。他人とすぐに仲良くなるこの子のことだ、あの子ともすぐに仲良くなるだろうと思っていたのだ。
「仲良くなりたいとか、少しでもいいなと思ったらきっと、すぐに答えは出ていたのだと思うの。
でも、なにも思わなかったのなら、私は彼は興味がないの」
「それは早計じゃない?仲良くなってから変わることもたくさんあるわ」
「私は…」
何かを言おうとしてほんの少し瞳を落とす。どこまで言おうか躊躇ってしまい、トレーを持つ手に力が入る。
ほんの少しずつ、真っ赤な夕日が差し込み始める。そろそろ店仕舞いを始めなくてはと、いつもの癖でそう思う。
「直感……でお兄さんの手を握って良かったと思うように、良いことがあるときにはまた何となくでわかると思うの。
もしその時が来なかったら、お兄さんとずっと一緒にいればいいだけだと私は思っているし、そうしたいの。」
ルゥトは微笑みながらそう言うと、イウロバは何も言わずにルゥトの頭を撫でる。嬉しそうにニコッと笑ったあと、店仕舞い始めちゃうね。とパタパタと動き始めた。
ずっと一緒にいられると信じて疑わないその姿勢が眩しすぎると、その場にいる誰もが思った。
「だってよ。良かったな」
ギンソウは再び店主の方を見ると、頬杖をつきながらニヤニヤと笑う。店主はチラリと目だけをギンソウに向けると何も言わずに再び顔を隠す。
「こりゃぁどっちも結婚できねぇかもしれねぇなぁ。それともうちの子をもらってくれるか?」
ガハハ! と大きな声で笑うと代を置いて店を出ていってしまった。店主はそちらを見ずに手をひらりと上げるとそのまま突っ伏す。
「子離れ…ならぬ妹離れはできなさそうね。でもあぁ言われたら嬉しいでしょうね。血が繋がっていても、そうでなくとも」
ふふっと上品に笑うイウロバに店主はほんの少し顔を向ける。
その顔を見て、思っていた顔とほんの少し違い驚いてしまうが彼の英雄譚が事実であるならば、その表情もおかしくはなかろう。
なんと言っても災禍の子を追い詰めたと言われている人物が、何故か災禍の子を匿っているのだから。
「安心しなさいな。今のあなたを見ているのは私だけよ」
「……ありがとうございます」
ズッと鼻をすする音が聞こえる。
大きな息子と訳ありな娘を持ってしまったものだと、イウロバは最後の紅茶を飲みながら思う。
ただそれと同時に守ってあげたいとも、母性本能にも似た何かをムクムクと沸き上がらせていた。




