第十三話 妹姉と名前
昼は妹が奴隷のように里の人間たちにこき使われていた。
自分たちの手で殺すことはできないから、不慮の事故を装えるようにと少し遠いところに水を汲ませに行ったり、馬の世話をさせたり、山奥に山菜を取りに行かせたりしていた。
里の者たちの誤算は妹は動物たちと意思疎通ができるということだった。もし役目が逆であったなら恐らく一年と持たず、死んでいたであろう。
夜は自分が奴隷のように扱われていた。いや、奴隷というよりはストレスの捌け口だ。暴言、暴力は当たり前で死ぬ間際のことをされることもあった。
山奥にある時の神を祀る社のもっと奥、獣道を抜けた先に世界の果てがあるその手前。そこに自分の……遥か昔からある家が建てられていた。
『声を上げるな。
助けを乞うな。
誰もお前に興味ない。
誰もお前を助けない。
逃げようなどと夢にも思わんことだな。』
そう言われ続け、助けを求めることも手を伸ばすことも諦めた。
幸か不幸か、神気を込めれば傷は治った。やり過ぎには注意が必要だが、痛みを抑える程度によく使っていた。
夜はこうして里の者たちに虐げられ、昼は妹を見守るために里に降りていた。
妹は自分がいることに気づいており、時折話しかけてきたが、姿を見せると心配かけてしまうと思い、敢えて無視をし続けた。
それを続けるうちに、話しかけてこなくなった。そうだ、それでいい。
嫌われても、貴女が何時かこの里を抜け出し幸せになったとき、自分を思い出さないでほしい。こういうやつがいたなぁと、少し懐かしむ程度でいいのだ。
嫌なことは、封印してほしい。
少し寒い日の夜、起きていても誰も来なかった。時間になっても誰も現れず、ついウトウトしてしまいこれはいけないと思い、外の空気を吸おうと扉を開けると一面真っ白に染まっていた。
「雪だ…」
そう呟きながら手に雪を取ると体温でじわりとすぐに溶けてしまった。
一歩外に足を踏み出すと数センチほど沈み、驚いてしまう。冷たく痛い。
だがそれも気にせず一歩、また一歩と踏み出す。
普通の雲より少し灰色の空を見ていると雲の切れ間から月が見える。それを追いかけるように少しずつ進んでいると見たこともない場所に辿り着いた。
洞窟だ。
奥からは息遣いのようなものが聞こえる。泣いているような、楽しんでいるような声も聞こえ、複数人いるのかと思いながら慎重に足を踏み入れると、そこにいたのは水子神であった。
目はギョロギョロと忙しなく動き、手は何かを探すかのようにバタバタと宙をかく。
口は笑っているものもあれば不機嫌そうに尖っているもの、何かを食べているかのようにもちゃもちゃとしているものもあった。
悪いものではないと思い、ゆっくり近づきただの肌の部分を撫でると赤子のようなキャッキャという笑い声が聞こえた。
暖かく、安心する温度であった。その温度に安心し、ゆっくりと目を閉じてしまう。
目を覚ますと既に朝になっており、雪はまだ残っていたが水子神は既にいなくなっていた。代わりに頑張ってかき集めたのであろう落ち葉が体中にかけられており、少し笑いながら洞窟をあとにした。
男は頭を抱えていた。
原初の災禍の子がいたからではなく、人ではなかったからというわけでもない。
ルゥトにアパトとの夜の密会を見られていたことだ。
あれだけ気をつけていた筈なのに魔力にも気づけず、人の気配にも…ましてや子供の気配に気づけないなんて。
「まぁ、驚いてはいたけど別にいいじゃない。減るものでもないし」
楽しそうにケラケラと笑うルゥトにちらりと視線を向ける。
「減るものでも何でもないけど…嫌だろ?身内のあぁだこうだを見てしまうのは」
「さぁ。私、これでも混血の一柱だから人のことはわからないの。けど、あなたがそう思うのならそうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「私なら嫌だねぇ」
魔女は笑いながらそう言うと「じゃぁ嫌だったんでしょうね」と愉快そうに笑う。
「お互い、思考や感情の共有はしていないのか?」
「しているわ。けど、他人の興味ない話をいちいち覚えていられるとでも?」
それもそうだ。机に突っ伏して頭を再び抱える。
「ねぇ、お兄さん」
そう声をかけられ、「ん?」 と言いながら顔を上げる。
「なんで、この子を拾ったの?」
そう問いかけられ、男は眉を寄せる。正直に答えようか、ぼかそうか迷ったが男は
「罪滅ぼしだよ」
正直に答えることにした。ただ、なんとなく真摯に向き合いたいと思ったのだ。
「…ルゥトは知らないかもしれないけど、あの子の姉?妹?を追い詰めたのは俺だ。だから、せめてルゥトだけでも助けたいと、思ったんだ」
「エゴだとは思わないの?」
「思うさ。自己保身かつ短慮だともな。…でも、今はそれ以上に幸せだとも思うし、あの時手を振り払わず握り返してよかったと思う」
無意識であろう、笑みを浮かべながらそう言う男を見てルゥトは微笑み返す。
(■■、あなたの勝ちね)
「さて、お兄さん。お兄さんは何故あの子がここに来るのか、そして今はなぜ私が出てきているのかが気になっているでしょ?」
「まぁ、そうだな」
急に話が変わったことに驚きながらもそう返すとルゥトはフフンと胸を張る。
「その前に、あなたに私の名前を渡す名誉をやるわ」
「ふんっ。私のときは断ったくせに」
老婆は不服そうにそう呟くと、紅茶をすべて飲み干す。それを見た男は老婆のカップに紅茶を注ぐと、「おや」と老婆は少し嬉しそうにはにかんだ。
「でもいいのか?それが神名になることも…」
「えぇ、別に構わないわ。私もあなたの神名を知っているから」
「そうなのか?」
「思ったより驚かないんだ」
思っていたより反応の薄い男を見て、口を尖らせながらつまらなさそうにする。
「まぁ、現状驚きばかりだからな。もう何があっても受け入れようと思って」
「……貴方がさっきの問いに嘘をついたり、暈したりしたら目を切り刻んでやるつもりだったと言ったら…?」
男は心底嫌そうな顔をする。その様子を見て、ルゥトは再び笑みを浮かべる。
「私、これでも人の心が読める…? 見える…? の。目を凝らさないといけないけど、あなた一人程度なら余裕よ。魔力による阻害もしていないようだし。」
男は大きくため息をついた。もはや何でもありじゃないかと内心思うが、それも読まれているのだろう。「これでも神よ」と返ってきた。
「まぁいい…。いくつか質問をしていいか?」
「かまわないわよ」
「これまで、五十年から数百年毎に災禍の子は生まれてきたが、そこには毎回君はいたのか?」
その問いに、少女は迷うことなく答える。
「いたわ。みんな私を認識できなかったけど。私を認識できたのはこの子達が初めてよ」
「毎回、七歳でその…」
「それについては黙秘させてもらうわ」
なるほど、答えたくないこともあるよなと。男は内心頷く。
「じゃぁ世界の知識をたくさん蓄えているという話も?」
「本当よ。ただ“やれ”と言われてもできないことのほうが多いけどね。それに理解できないことも」
「……」
男は黙ったままルゥトの頬を揉み始める。頬骨を軽く揉みほぐすように力を込めると、気持ちがいいのか少し目を閉じる。
「ブルーローズでいいだろう?花言葉だってピッタリだ」
「おば様は黙ってて!」
プンスコと再び起こりながら机をバンバン叩く。老婆は「まったく…」と呟くと一つの本を読み始めてしまった。
「トワはどうだ?」
「なんの捻りもないど安直な案ね。私がここまで永遠に近い日々を生きたから?」
その問いに男は首を横に振る。
「逆だよ。これから先も君は永い時を生きるんだと思う。それこそ、永遠に等しいくらいに。その中で今この時、ほんの少しでも幸せであってくれたらと思う。
振り返ったときに、いい思い出であったらと思った」
まるで真逆な考えだと思った。
自分の事を思い出して欲しくないルゥトと、思い出して良かったと思ってほしい目の前の男。どちらも人間としては正しくて、どちらも正しくないのだろう。
「じゃぁそう呼んで」
「じゃぁよろしく、トワ」
「話は終わったかい?」
老婆は呆れたようにため息をつきながらそう言うと、本を元の場所に戻した。
「もうルゥトも戻ってこれるタイミングだろ?いい加減あんたは引っ込みな」
「ひどいなぁ。最初はあれだけ歓迎してくれたのに」
「私の軍門に降らないなら不必要さね」
「何軍門って。隊を作るわけでもないのに」
老婆はフンッと鼻息を鳴らすと手でシッシと追い払う。トワはハッと鼻で笑うと最後にチラリと男を見る。
「私にできて、あの子にできないことはないわ。この目は“神の眼”そのものなんだもの。貴方のことはお見通しだし、周りの人間が何を考えているのかもわかる。
だからこそ用心することね。善悪が上手いこと分けられない、自分に対する曲がった感情を持った人間の警戒の仕方を教えた方がいいわ。」
それだけ伝えるとネックレスをつけゆっくりと瞳を閉じると、淡い光に包まれる。
再度ゆっくり目を開けると先程までの眼光の鋭さは緩和され、いつものクリクリの瞳に戻っていた。
目をコシコシと擦り、あたりをキョロキョロと見渡すとんんー?と随分と間の抜けた声を出す。
「どうしてここに貴方が?」
「なんだ、そこから記憶がないのか。」
ルゥトは首を傾げる。どうやら記憶の共有はされていないのかこれからされるのか。先程までトワが飲んでいた冷めた紅茶を一口飲むと、頭が覚めてきたのか一、二度瞬きをすると縮こまりながら「あの子がご迷惑をおかけしました……」と小さく呟く。
「ほんとだよ。昨日の昼頃急に変わったかと思ったら家の中を荒らすだけ荒らして帰って。
今日来たかと思えば男を連れてきて。男前だったから許したけど醜男ならお尻を叩き落としていたよ」
顎をしゃくれさせながら老婆はそう言うとよいしょと立ち上がり、一つの本を男に手渡す。ほんというよりは冊子だろうか、中には神眼について色々と書かれていた。
「赤色で丸をつけているやつはこの子が使えるやつだ。未来、過去、現在の千里眼。
人の心を見る。神名の看破。魔力の流れ。今のこの子にはどれも三流だが、人を警戒する程度なら使い勝手がいい。それとも、この子を戦場にでも送るかい?」
「まさか」
男は即答でそう答えると冊子を魔空間にしまい込む。
「あれ? 私にケーキはないの?」
空気を読まず隣で困ったように眉を寄せるルゥトを見て思わず笑う。老婆もケヒヒと笑うと「あたしが全部食べたよ」と意地の悪い顔をする。
ゆっくりとした時間が流れる。祖母と孫二人。傍目から見たらそんな様子であろう、三人のお茶会はもうすぐでお開きとなる。




