その③
レコードや蓄音機、黒電話などいまでは絶滅危惧種となった品々が置かれた店内は街の喧騒を忘れさせてくれる。
店の雰囲気に合わせ、照明もやや控えめなフロアには先客が数人。彼女くらいの年齢層はもとより隆俊よりも遥かに客層は上でカップを片手に新聞を広げる者、なぜか囲碁を興じる者と各々が自由に過ごしていた。
「それで、話ってなんだ」
店の奥にあるテーブル席。注文したコーヒーには手を付けず、正面に座る少女に問い掛ける隆俊は彼女が話し始めるのを待った。
「まぁ、アレだ。言いたくないならそれでいい」
「え?」
「おまえが言いたい時に言ってくれれば良い。訳アリなのはなんとなく分かるからな」
「……優しいですね。私、普通に考えればお尋ね者同然ですよ」
「おまえをウチに泊めた時から俺も同じようなものだ」
自虐的に言ったつもりだった隆俊だがそれが好意的に受け止められたらしく、ようやく「実は――」と本題に入ってくれた。
「実は私、本当に“お尋ね者”なんですよ」
「? どういう意味だ」
「築大病院って分かります? そこから抜け出したんですよ」
「っ⁉」
この辺りに住む者なら誰しもが知る大学病院の名を口にした瞬間、隆俊は隣にいる少女が重い病に侵されているのだと悟った。そんなはずがない。見たところ体調は良く、何か患っていたとしても大学病院に入院する程とは誰が見ても思わない。
「信じられないですよね」
「……ああ」
「いまはすごく調子が良いんです。こんなに調子が良いのは久しぶりです」
「……なんで抜け出したんだ」
その刹那、少女の顔色が変わった。恐らく病院へ連れて行かれると思ったのだろう。そうするべきだ。大学病院に入院していたのだからきっと重い病のはずだ。ならば然るべき治療を受けさせるべきなのだと心では理解している。
「安心しろ。病院には連絡しない」
それなのに隆俊は理に反する選択をした。怯えた目をする彼女を安心させる為――いや、命に危険が及ぶかもしれないリスクを負ってまで病院を抜け出したこと自体に興味を覚えたのだ。
「いまさらどこかへ連絡しようとは思わん。それこそ本当にお尋ね者になってしまう」
「……本当に……本当に連絡しませんか」
「ああ。だから代わりに理由を聞かせてくれ。どうして抜け出した」
「……夢があるんです」
「夢?」
尋ね返す隆俊に小さく頷く少女は俯いたままカップを両手で持ち、ミルクティーを一口飲むと大学病院へ入院することになった経緯を語り始めた。
「――私は昔から体が弱く、入退院を繰り返してました。学校へはほとんど行ってません」
通信制とは言えども高校に入学できたのは奇跡だと言う彼女はカップに口を付け小さく笑みをこぼした。
「こんなに甘いの初めてです。知ってますか。病院食って味ないんですよ」
「味……だから昼も――」
「はい。生まれて初めて食べました」
本当に人生の大半を病室で過ごしてきたのだろう。そういえば彼女が作る食事はお世辞にも美味しいとは言えないものが多い。料理下手なだけと思っていたが味を知らないせいだったのか。
「周りは必ず治るって言います。でもわかってるんです。助からないって」
「っ⁉」
「長いこと病院にいると察しが良くなるんですよ」
「……だから抜け出したのか」
コクンと頷く少女は最初で最後の大冒険だと笑顔を見せる。
「せめて最後くらいやりたいことをやりたいなって」
「……」
「こんなことしたら本当にダメになってしまうかもしれない。わかっていても外を見たい。そう思ったんです。だからあの日、私は病室を抜け出しました。そして隆俊さんと出会ったんです」
「パジャマだったのはそう言うことだったのか」
「はい。その……ごめんなさい。隆俊さんにとって都合が悪いことはわかっています。だからもし、もし迷惑ならいまからでも病院に――」
自分が足枷になっていることを自覚しているのだろう。俯く少女の目には涙が浮かんでいた。自分の我儘にこれ以上付き合わせる訳にはいかない。そんな彼女の良心が隆俊の心を揺さぶる。




