その①
旅行当日は雲一つない綺麗な夏空が広がる絶好の行楽日和になった。
未那を迎えに空港へ寄ったあとはそのまま高速に乗り、関門海峡を越えたが道中の車内は至って和やかだった。未那とさくらは思っていた以上に意気投合し、少なからず不安を抱いていた隆俊は安心して運転に集中できた。
「――で、どこ向かってるの?」
「唐戸市場。昼時だから間違いなく混んでるだろうけど」
「ちょっと混んでるのわかって行くの? さくらちゃん疲れるでしょ?」
助手席から文句を言ってくる未那だが後部座席のさくらは大丈夫だと隆俊を擁護する。入院生活が長かったためか誰もが嫌うはずの人混みでさえ新鮮に思えてしまうのだ。
「隆俊さん。その“唐戸市場”って有名なんですか」
「ん? そうだな。下関観光なら外せないスポットにはなっているな」
「私も初めてなんだけどね、普段は鮮魚を扱っているお店で休日だけお寿司や海鮮丼が食べられるらしいわよ」
「ざっくりした説明ありがとな。さくらは生魚とか大丈夫だよな」
スーパーで買ってきた刺身は普通に食べていたから問題ないはず。そもそもそういうことは事前に確認しておくべきだと未那が横槍を入れ、さくらは大丈夫と言って隆俊をフォローする。先ほどから事あるごとに隆俊の肩を持つさくらだが未那は特に表情を変えず、代わりにハンドルを握る隆俊を肘で小突いている。
「よほどタカのことを信頼してるのね」
「うるせぇ」
「はいはい。あ、そうだ。さくらちゃん」
「は、はい。なんですか」
「市場の近くに水族館もあるみたいなの。行ってみる?」
「水族館、ですか?」
その反応はやはり行ったことがないようだな。どうせ行く予定だったから別に問題ないがルームミラー越しに見るさくらは少し戸惑った顔をしている。
「どうした。興味ないのか」
「い、いえ。すごく嬉しいです。ただ――」
「ただ?」
「幸せ過ぎるなって」
目を伏せて素直な気持ちを吐露するさくらに隆俊は思わず笑ってしまう。未那も同じだ。ごく自然なことをこんな風に受け取ってくれる少女を愛おしく思ってしまう。
「ねぇ、タカ?」
未那が隆俊にだけ聞こえるように囁く。
「大切にしなきゃダメよ」
「なんだよ急に」
「別に。あ、料金所出たら左車線ね」
「案内板見ればわかる」
いきなりナビを始める婚約者に素っ気ない返事を返しつつ、ハンドルを切る隆俊はドアミラーを見るふりをして後部座席のさくらを見る。恐らく初めて見る景色なのだろう。さくらはずっと窓越しに見える街並みを目で追っている。
「なんか面白いものでも見えたか?」
「え? あ、いえ。見慣れない景色って見ていて飽きないっていうか。新鮮で楽しいです」
「そうか。まぁ、確かに知らない土地って楽しいよな。俺もウチの会社に入った理由もそれだし」
「そうなんですか」
「ええ。タカは旅行が好きなのよ。まさか趣味を仕事にするとは思わなかったけど」
隆俊の代わりに答える未那は地元を離れると思っていなかったと付け足し、その隣で「そういうことだ」と相槌を入れる運転手。
「ま、俺は好きなことを仕事にしてるってことだ」
「良いですね。羨ましいです」
「さくらちゃんはなにかやりたいこととかないの?」
「え?」
「将来なにがしたいとかないの?」
運転中の隆俊の代わりに尋ねる未那に対してさくらは答えに困ったように唸り、考えたことないとある意味無難な返事をした。事実、病院を抜け出し隆俊と出会うまで将来について考えたことは無かった。
病室から外を見るだけの日々は空しく、周囲の反応から長くないと悟ってからは死ぬまでにやりたいことをやろう。ただそれしか考えていなかった。だから将来、どんな仕事がしたいのかと聞かれても答えが出ない。
「ごめんね。別に無理に答えなくて良いのよ」
「そ、そう言うわけじゃなくて。考えたことなかったので」
「そっか。なんかごめんね」
「い、いえ。気にしないでください」
少しだけ車内の空気が淀む。もしかしたらさくらの地雷を踏み抜いてしまったのかもしれないと未那はチラッと隆俊を見る。別にさくらの接し方に長けていると思っていないがこの程度のやり取りなら何度も経験がある。未那が心配する程のことじゃない。
「ま、ゆっくり考えればいいんじゃないか?」
「え?」
「まだ高校も卒業してないんだ。別に焦ることないと思うぞ」
「そう……なんですか?」
「そうね。長い人生、先急いでも良いことないしさくらちゃんのペースで良いと思うわ」
当面の目標は病気を治すことねと付け足す未那に一瞬目を丸くするさくらだがすぐにはにかんだ。ルームミラーに映るその笑顔に隆俊は満足気に頷き、未那も彼女の感情は本物だと確信する。同時にもう少しだけ見守ろうと決めるのだった。




