5話
定刻より少し早めに王宮へ到着すると、受付を済ませた私は、応接間のような部屋へと案内された。
中に入った瞬間、思わず息をのむ。
視界に入るのは、見るからに高価だと分かる調度品の数々。
磨き上げられた家具に、繊細な装飾が施された壺や絵画。
(……絶対に壊さないようにしなきゃ)
私はそっと、光り輝く壺から距離を取る。
うっかり触れてしまわないように、壁際へと移動した——そのとき。
コンコン、と軽やかなノックの音が響いた。
「失礼するよ」
扉が開き、入ってきたのは——
理知的で隙のない表情をした、老齢の紳士だった。
紳士は、壁に身を寄せる私の姿に目を丸くする。
「……何をしているのかな?」
「……壺を割らないように、しておりました」
小さな声で答えると——一瞬の沈黙のあと。
「はっはっは!」
紳士は弾けるように笑い出した。
「なるほど、面白いお嬢さんだ」
くしゃりと相好を崩すその様子に、最初に感じた堅さがふっと和らぐ。
(……よかった。怖い人じゃなさそう)
そう思っていると、紳士は軽く姿勢を正した。
「私は書記官長のセレディオ・ハーヴィス。よろしくお願いしますね、グラント書記官」
“書記官”と呼ばれた瞬間、ぴんと背筋が伸びる。
「キルシェ・グラントです。よろしくお願いいたします!」
勢いよく頭を下げると、ハーヴィス書記官長は優しく目元を緩めた。
その後、業務に関する簡単な説明を受け、ハーヴィス書記官長に連れられて書記官室へと向かう。
扉の前で立ち止まった書記官長は、少しだけ眉を下げた。
「……大分荒れているから、覚悟するように」
「荒れて……?」
首を傾げる私をよそに、ゆっくりと扉が開かれる。
そこは——
「午後までの契約書、準備できてる?」
「会議の議事録、どこだっけ!?」
「次の会議、もう始まるぞ!」
部屋中に飛び交う声。
机の上には書類の山がうず高く積まれ、制服姿の人たちが忙しなく動き回っている。
「……」
“荒れている”という言葉に、思わず納得する。
あまりの慌ただしさに目を丸くしていると、ハーヴィス書記官長が苦笑した。
「ミルトン書記官、少しいいかな」
「はい! なんでしょうか」
書類の山の向こうから、ミルトンと呼ばれた青年が顔を出し、こちらへやってくる。
「今日から一緒に働く、キルシェ・グラント書記官だ。仕事を教えてあげてくれ」
その一言で——
さっきまでの騒がしさが、ぴたりと止まった。
室内にいた全員の視線が、一斉にこちらへ向く。
「……!」
その視線に驚き、一瞬ひるみかけるが、ぐっと踏ん張って頭を下げる。
「えっと、キルシェ・グラントです! よろしくお願いします!」
しん、と静まり返る空気。
「……?」
不安がよぎった、その瞬間——
「新人ちゃん! よろしくね!」
「助かるー!」
「分からないことあったら、なんでも聞いて!」
ぱっと空気が弾けた。
先ほどまでの慌ただしさが嘘のように、みんなが明るい笑顔を向けてくる。
その優しさに、思わず肩の力が抜けた。
「グラント書記官には、まず僕の仕事を手伝ってもらおうかな」
ミルトン書記官がにこやかに言う。
「はい! よろしくお願いします!」
思わずぎゅっと拳を握ると、その様子がおかしかったのか、ハーヴィス書記官長とミルトン書記官がくすりと笑った。
その笑いは、周りにも伝わっていく。
気づけば、先ほどまでの張り詰めた空気はすっかり和らいでいた。
(うん、ここなら——楽しく働けそう)
小さく胸の中で呟きながら、用意された席へと腰を下ろす。
そして、ふと目の前を見ると——
まだ控えめではあるものの、すでに立派な“書類の山”ができあがっていた。
「……が、がんばります……!」
小さく気合いを入れながら、私はその山に向き合ったのだった。




