3話
教えられた看板を目印に歩いていると、やがて目的の場所に辿り着いた。
(教えてもらわなかったら、きっとぐるぐる迷っていたわね……)
ほっと息をつきながら、目の前の建物を見上げる。
こじんまりとした二階建ての建物。
一階は、可愛らしい花屋になっていた。
店先には色とりどりの花が並び、ふわりと優しい香りが漂ってくる。
(ここが、私の“城”……)
そう思うと、少しだけ胸が高鳴った。
この花屋の店主が、借家の大家さんだと聞いている。
「ごめんください」
店先を覗き込みながら声をかけると、奥からおばあさんが顔を出した。
「あらあら、いらっしゃいませ」
「えっと……二階に住まわせていただくことになっている、キルシェ・グラントと申します」
父の伝手で借りることになった部屋なので、大家さんと会うのはこれが初めてだ。
おずおずと名乗ると、おばあさんはぱちくりと目を瞬かせた。
「あらあら。まさか、こんなに可愛らしいお嬢さんが来るとは思わなかったわ」
どうやら父は、入居者のことをあまり詳しく伝えていなかったらしい。
思わず苦笑いがこぼれる。
「これから、よろしくお願いいたします」
背筋を伸ばして礼をすると、おばあさんはふんわりと微笑んだ。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね」
その穏やかな声音に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
(……よかった)
この人となら、きっと上手くやっていける。
そんな予感に、私はそっと胸を撫で下ろした。
挨拶を交わしたあと、おばあさん——ロザリーさんは部屋へ案内してくれた。
鍵を受け取り、扉を開ける。
そこは、こじんまりとしているけれど、可愛らしい部屋だった。
「貴族のお嬢さんが住むには、少し粗末なお部屋でしょう」
ロザリーさんが申し訳なさそうに言うのを、私はぶんぶんと首を振って否定する。
「そんなことないです! とっても素敵なお部屋です!」
思わず目を輝かせながら、部屋の中を見て回った。
ぬくもりを感じる木のベッドに、テーブルセット。
クローゼットまで備え付けられている。
奥の扉を開けると、水回りもきちんと整っていた。
そして、なにより——
立派なキッチンには、大きなオーブンが備え付けられている。
小麦を特産とするグラント領で育った私は、パンやお菓子を作るのが大好きだった。
このオーブンがあれば、どんなものでも作れそうで——思わず胸が躍る。
はしゃぐ私の様子に、ロザリーさんがくすくすと笑った。
「……はしゃぎすぎました」
少し恥ずかしくなって苦笑いを浮かべると、ロザリーさんは優しく首を振る。
「いいのよ。喜んでもらえて、嬉しいわ」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
「こんなにいいお部屋を、あの家賃で借りてしまっていいんでしょうか……」
王宮の敷地内には、王都に屋敷を持たない王宮勤めの者たちのための寮が完備されていた。
けれど、そこは“貴族価格”。
とてもじゃないが、私には手が出なかった。
どうしようかと悩んでいたとき、父が見つけてくれたのがこの家だ。
王都のどの物件よりも、ずっと良心的な家賃。
けれど、設備と家賃が見合ってないような気がして、心配で思わず眉を下げる。
「いいのよ、いいの。家はね、誰かが住んでくれないと、すぐに寂しくなってしまうものだから」
ロザリーさんは、そっと私の手を包み込む。
「日中は下の花屋に私がいるし、孫もたまに店番をしているの。
何かあったら、いつでも声をかけてちょうだいね」
その手の温もりに、胸の奥がじんわりとほどけていく。
「……ありがとうございます」
微笑み合うと、ロザリーさんは「ちょっと待っててね」と部屋を出ていった。
ほどなくして戻ってきた彼女の手には、色とりどりの花束が抱えられていた。
「はい。少しはお部屋が明るくなるでしょう?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。引っ越し祝いのプレゼントよ」
「ありがとうございます」
受け取った花束に、そっと顔を寄せる。
甘ずっぱい香りに、思わず頬がゆるんだ。
「スイートピー。“門出”っていう花言葉があるのよ」
「……門出」
ひらひらとした花びらに、そっと指先で触れる。
揺れる花たちは、まるで——
これからの新しい生活を、応援してくれているみたいで。
気づけば、自然と笑みがこぼれていた。




