2話
三日間、休むことなく馬車に揺られ辿り着いた王都。
長旅に軋む身体を目一杯伸ばすと、手にしたメモに視線を走らせた。
そこには、これから私の“城”となる借家の住所が書かれている。
「ええっと……三番街の、四番地……」
ルミナリア王国の中心部は、大きく三つの街に分かれている。
王宮に最も近い一番街は、王族や高位貴族御用達の高級街。
二番街は、下位貴族たちが多く利用する中層の街。
そして——私がこれから住む三番街は、平民たちが行き交う、市井の街だ。
三番街は建物が密集していて、道も入り組んでいる。
私はメモと、ところどころに立つ柱の番地を見比べながら歩いていた。
そのとき——
ドンッ。
「きゃっ!」
余所見をしていたせいで、人にぶつかってしまう。
よろけた身体に、思わず目をつぶった。
「おっと」
転ぶ——そう思った瞬間、誰かに支えられた。
「す、すみません!」
慌てて顔を上げた、その先にいたのは——
美しい金色の髪に、宝石のように澄んだ翠の瞳を持つ男性だった。
「大丈夫かい?」
「……」
心配そうに下げられた眉。すっと通った鼻筋。
そして、形の良い唇からこぼれる、柔らかな低い声。
ずっと聞いていたくなるような声音に、思わず見とれてしまう。
まるで——
「……王子様?」
「え?」
ぽろりと、思ったことがそのまま口からこぼれ出た。
はっと我に返り、慌てて距離をとる。
「す、すみません! 思ったことがつい……!」
勢いよく頭を下げると、くすくすと笑う声が降ってきた。
(王子様は、笑い声まで素敵なのね……)
——いやいや。
そこまで考えて、慌てて首を振る。
これではまるで、田舎から出てきたばかりの少女だ。
……まあ、間違ってはいないけれど。
顔を上げると、男性はぶつかった拍子に落ちたトランクを拾い上げ、差し出してくれた。
「はい、これ」
「あ、ありがとうございます」
受け取ると、男性は穏やかに微笑む。
笑うと少し垂れる目元が、とても優しそうだった。
「本物の王子様が聞いたら怒られるから、あんまり言っちゃだめだよ」
「あ……」
今さらながら、自分の発言が恥ずかしくなる。
いくら見目の良い人でも、初対面の人に“王子様”はさすがに子どもっぽすぎる。
顔を赤らめていると、男性はまた楽しそうに笑った。
そして、私の手元のメモに目を向ける。
「迷子かな?」
「は、はい……。三番街の四番地に行きたくて……」
「ああ、四番地は分かりづらいんだ」
そう言って、男性は私の隣に立ち、一方向を指差した。
「あそこの看板、見えるかな?」
他の建物より少し高く掲げられた看板が目に入る。
「あれを目印に進めば、辿り着けるよ」
ふわりと、甘い香りがかすめた。
(王子様は、香りまで——)
——やめよう。
これ以上考えると、また変なことを口走ってしまいそうだ。
私は気持ちを切り替えると、改めて男性に向き直り、深く頭を下げた。
「ぶつかってしまい、申し訳ありませんでした。
それから、ご親切にありがとうございます」
祖母は、礼儀にとても厳しい人だった。
“ごめんなさい”と“ありがとう”が言えない人は、心が寂しい人だと——そう教えられてきた。
顔を上げると、男性は少し驚いたように目を見開いていた。
「あの……?」
首を傾げると、ふっと目元を緩める。
「いや、礼儀正しいお嬢さんだと思ってね」
「あ、ありがとうございます……」
思わぬ言葉に、また頬が熱くなる。
「それじゃあ、気をつけて行くんだよ」
まるで子どもに言い聞かせるようにそう言うと、男性はそのまま人混みの中へと消えていった。
私は、その後ろ姿をぼんやりと見送る。
(都会って……すごい……)
胸の内で呟きながら、ふと自分の格好を見下ろした。
機能性重視で選んだブーツは少し野暮ったく、
一番ましなはずのワンピースも、どこか流行から遅れている。
思わずつきそうになったため息を飲み込み、トランクを握る手に力を込めた。
(都会の雰囲気にのまれてどうするの)
自分に言い聞かせるように、力強く一歩を踏み出す。
——また、どこかであの人に会えたらいいな。
そんな淡い期待を、胸の片隅に残しながら。




