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小麦畑の君に  作者: おはよう


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16話


「ちょっと待っててね」


私を抱えたまま執務室へ入った宰相様は、そっとソファへ下ろしてくれた。


そのまま補佐官室へ続く扉の向こうへ消えていく。


しばらくして戻ってきた宰相様の手には、タオルと着替えが抱えられていた。


そして慣れた手つきで、部屋の隅に置かれていた衝立を引っ張り出していく。


「ここなら窓からも見えないから、安心して」


満足そうにひとつ頷いた後、宰相様はこちらを振り返って微笑んだ。

あまりにも流れるような動作に、思わず呆然と見つめてしまう。


すると宰相様は、不思議そうに首を傾げた。


「どうかしたかい?」


「い、いえ!」


「冷えただろう? 着替えておいで」


くすりと笑われ、見惚れていたことを見透かされた気がして、さらに頬が熱くなった。


「……ありがとうございます」


タオルと着替えを受け取り、私は衝立の裏へ移動する。


肩に掛けられていたジャケットを脱ぐと、水を吸った布地はところどころ色が変わっていた。

これを、このまま返すのは気が引ける。


「宰相様、このジャケットは洗って――」


そう言いながら、ジャケットを抱えたまま衝立から顔を覗かせる。


――そして。

目の前の光景に、思わず息を呑んだ。


そこにいたのは、シャツを脱ぎ、濡れた身体をタオルで拭いている宰相様の姿。


普段は服に隠れている、しなやかな筋肉。

白い肌の上を滑る水滴。


そのどれもが妙に目を引いて、気づけば食い入るように見つめてしまっていた。


ふと、宰相様の手が止まる。

そして小さく咳払いをした。


「……そんなに見つめられると、さすがに恥ずかしいんだけど」


「ひっ……!」


自分が何をしていたのか理解した瞬間、喉の奥から情けない悲鳴が漏れた。


「も、ももも申し訳ありません!」


慌てて衝立の裏へ引っ込む。

胸元へ抱き寄せたジャケットが、じんわりと冷たい。

けれど、それ以上に顔が熱かった。


「いや、僕もいつもの癖でここで着替えちゃって……配慮が足りなかったね」


宰相様の苦笑交じりの声が聞こえる。


向こう側では、衣擦れの音が微かに響いていた。

それだけで、さらに恥ずかしさが増していく。


「もう終わったよ」


やがて穏やかな声が落ちてきた。


「僕は少し部屋を出ているから、ゆっくり着替えて」


ガチャリと扉の閉まる音がすると、辺りは静寂に包まれた。


けれど、まるで心臓の位置が耳へ移動してしまったかのように、自分の鼓動だけが騒がしい。


「私だって、一応貴族令嬢なのに……」


その場にしゃがみ込み、思わず頭を抱える。


男性の着替え姿を凝視するなんて、宰相様にはしたない娘だと思われたに違いない。


自分の失態を思い返した途端、脳裏に浮かぶのは宰相様の――


その姿を振り払うように、慌てて立ち上がり、勢いよく濡れた服を脱ぐ。


真正面から浴びた水のせいで、シャツはびっしょり濡れていた。



『……服、透けてるから』


不意に耳元で囁かれた言葉を思い出し、かっと顔に熱が集まる。


宰相様に、見られてしまった――


着替え姿を凝視してしまったうえに、透けた胸元まで見られてしまうなんて。


次にどんな顔をして宰相様に会えばいいのか、まるで分からない。


「……穴があったら入りたい……」


小さく零した呟きは、静かな室内へと溶けていく。


けれど、どれだけ目を閉じても――脳裏に浮かぶ宰相様の姿は、消えてくれそうになかった。



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