表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小麦畑の君に  作者: おはよう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/24

15話


「そんな暇があれば、ですが」


秘書官の職に就いてから数日。

レイトン補佐官の言葉を実感するのに、そう時間はかからなかった。


朝、登城すれば山のような手紙の仕分けから始まり、宰相様への面会を求める人々の対応をし、各部署へ書類を届ける。

毎日が、目まぐるしく過ぎていく。



「お腹すいた……」


頼まれていた書類を届け終え、時計を見れば昼の時間はとうに過ぎていた。


今日のランチは、ハーブに漬けたチキンを挟んだサンドウィッチと、チョコチップをたっぷり入れたマフィン。


マフィンは、宰相様にお裾分けしようと余分に持ってきていた。


傍で働くようになって知ったのは、宰相様がとんでもなく多忙だということ。

そのせいで、昼食もまともに取れていないことが多い。

マフィンなら片手で手軽に食べられる。

好物の焼き菓子で、少しでも一息ついてもらえたら——そう思って持ってきたのだ。


(そろそろ会議も終わる頃かな)


宰相様の予定を頭の中でなぞりながら、すれ違いにならないよう急いで戻ろうと一歩踏み出した——その時。


「あなたなの? 宰相様の周りをうろつく身の程知らずは」


「え?」


声に振り向くと、豪奢なドレスに身を包んだ令嬢が三人、こちらを見据えていた。


眉間に皺を寄せ、露骨な敵意を向けてくる視線に、思わず目を瞬かせる。


「えっと……私が何か?」


「しらばっくれちゃって!」


「どんな汚い手を使ったのかしら!」


「田舎娘のくせに!」


令嬢たちは扇子で口元を隠しながら、次々と棘のある言葉を投げつけてくる。


もしかすると、これがレイトン補佐官の言っていた“厄介事”のひとつなのかもしれない。


「あの、うろついているというか……お傍でお仕事をしているだけですので……」


怒りを収めようと苦笑交じりに答えるけれど、その言葉は逆効果だったらしい。


彼女たちの目が、さらに吊り上がった。


「まあ! “だけ”ですって!」


「どれだけ私たちが応募しても受からなかったと思っているの!?」


「嫌味ったらしい!」


——どうやら、さらに火に油を注いでしまったようだ。


どうしたものかと視線をさまよわせていると、中央に立っていた令嬢が、ぱちん、と派手な音を立てて扇子を閉じた。


「まあいいわ。今すぐ宰相様とのランチのお約束を取り付けてきなさい」


「は?」


突然投げつけられた無茶な要求に、思わず間の抜けた声が漏れる。


そんな私の反応に、取り巻きの令嬢二人が一斉に口を開いた。


「なんですの、その顔は! こちらはドミトル伯爵家のカミラ様ですのよ!」


「そうよ! 言われた通り、さっさと動きなさい!」


取り巻き令嬢たちの言葉に、真ん中に立つ令嬢——カミラ嬢は、誇らしげに微笑んでいた。


その要求が通ると確信しているような表情に、気づかれないようそっと息を吐き、私は静かに背筋を伸ばした。


「宰相様との面会をご希望でしたら、規則に則った手続きをお願いいたします」


「て、手続きですって?」


「はい。一階の受付に申請書類がございますので、必要事項をご記入の上、ご提出ください。宰相様ご本人の承認が下りましたら、改めてご連絡差し上げます」


秘書官としての心得として、レイトン補佐官に最初に教えられたことのひとつ。


――『手続きを踏まずに宰相様へ近づこうとする輩には、毅然と対応すること』


まさか、こんなにも早く“輩”に遭遇するとは思っていなかった。


「な、なんて失礼なの!」


「伯爵家のご令嬢に、そんなもの必要あるわけないじゃない!」


令嬢たちの勢いに思わず怯みそうになるが、ぎゅっと手を握り締めた。


「例外はございません」


レイトン補佐官を思い浮かべながら、意識して表情から感情を抜く。


ハルクス補佐官曰く、レイトン補佐官は無表情で見つめるだけで“輩”たちを追い返せるらしい。


「な、なによ……その顔!」


「あの冷徹補佐官みたいじゃない……!」


怯んだような令嬢たちの言葉に、思わず心の中で小さくガッツポーズをした。


(レイトン補佐官の真似が効いてる?)


けれど、ここで口元を緩めるわけにはいかない。

必死に笑いそうになるのを堪えながら、私は軽く一礼した。


「ご用件がないようでしたら、失礼いたします」


そう言って踵を返そうとした――その時だった。


「生意気な……!」


カミラ嬢が、手にしていた扇子を放り投げると次の瞬間、傍らに置かれていた大きな花瓶を掴み、その中身を勢いよくこちらへぶちまけた。


「きゃ……!」


全身に冷たい水が降りかかる。

飛び散った花びらと葉が、頬を掠めて床へ散った。


呆然とカミラ嬢を見つめる。

彼女は肩を激しく上下させながら、憎々しげにこちらを睨みつけていた。


けれど、その隣にいた令嬢たちは青ざめたように表情を引きつらせている。


――この花は、王宮の庭園に咲く花。

つまり、王族の所有物だ。


それを感情任せに投げつけた意味を、どうやらカミラ嬢以外は理解しているらしい。


「私は……! 宰相様とお話ししたことがあるのよ!」


カミラ嬢が震える声を張り上げる。


「優しく声を掛けていただいたことだってあるわ! 私は、私は特別なのよ……!!」


悲痛な叫びに、騒ぎを聞きつけた使用人たちが戸惑うように顔を見合わせていた。


(……私には、レイトン補佐官みたいな対応は無理ね)


内心で小さくため息をつく。

とりあえず散らばった花を片付けようと、その場に膝をつこうとした――その時。


「何をしているのかな?」


低く、柔らかな声にはっと顔を上げる。


そこには、薄く微笑みを浮かべた宰相様が立っていた。


「宰相様……」


宰相様は私へ視線を向けると、一瞬だけ目を見開く。


次の瞬間、素早く自身のジャケットを脱ぎ、包み込むように私の肩へ掛けた。


「ぬ、濡れてしまいます……!」


慌てて返そうとジャケットへ手を伸ばす。

けれど宰相様は、有無を言わせない声音でそれを制した。


「いいから」


そのまま胸元を隠すように、ジャケットの前をぎゅっと合わせてくれる。


そして――。


宰相様は静かに顔を上げ、令嬢たちへ視線を向けた。


「で、これは何の騒ぎかな?」


いつもと変わらない、穏やかな微笑み。

けれど、その目は少しも笑っていなかった。


その静かな圧に、令嬢たちは目に見えて震え始める。


「さ、宰相様! 私はただ、あなたにお会いしたくて――」


縋るように伸ばされたカミラ嬢の手を、宰相様はするりと躱した。


「近衛兵、何をしているんだい? 彼女たちを捕らえなさい」


「し、しかし……」


いつの間にか集まっていた近衛兵たちが、戸惑うように宰相様と令嬢たちを見比べる。


相手は伯爵家の令嬢だ。

しかも、一見すればただの口論にも見える。

この場で拘束していいものか迷っているのだろう。


「さ、宰相様。そこまでしなくても……」


思わず止めようと声を掛ける。

けれど宰相様は、不思議がるように片眉を跳ね上げた。


「何を言ってるんだい? 王宮職員への暴行に、王族所有物の損壊――“そこまで”するには十分すぎると思うけど」


そして、ちらりと近衛兵たちへ視線を向ける。


「そうだろう?」


その冷ややかな眼差しに、近衛兵たちははっとしたように姿勢を正した。


「か、畏まりました!」


慌てて令嬢たちへ向かっていく。


「や、やめてよ!」


「大人しく同行してください」


「宰相様! こんなの酷いわ!」


なおも宰相様へ手を伸ばすカミラ嬢は、両脇を抱えられるようにして連れて行かれる。

取り巻きの二人は青ざめた顔で俯き、大人しく近衛兵の後に続いていった。



騒ぎが収まると、周囲にいた使用人たちが静かに後片付けを始める。


「あ、お手伝いします!」


自分も花を拾おうと身を屈めかけた、その時。


「君は、他にやることがあるでしょ」


宰相様に静かに止められた。


「やること、ですか?」


意味が分からず首を傾げると、宰相様は深々とため息を落とす。


「着替えないと、風邪を引いてしまう」


「だ、大丈夫です! 私、丈夫なので!」


ぐっと両手を握ってみせると、肩に掛けられていたジャケットがずり落ちかけた。


宰相様は慌ててそれを掴み――そのまま、私の身体を横抱きに抱え上げる。


「きゃ……!?」


突然のことに、思わず小さな悲鳴が漏れた。


「しっかりジャケットを掴んで」


「え?」


きょとんと見上げると、宰相様はそっと顔を寄せ、私の耳元で低く囁く。


その距離に、どくんと心臓が跳ねた。


「……服、透けてるから」


「――っ!!」


その言葉で、真正面から水を浴びたことを思い出す。

そして今、自分が薄いシャツ一枚しか着ていないことにも。


そこまで思い至った瞬間、全身が一気に熱くなった。


「大人しく連れて行かれる気になったかな?」


先程よりも柔らかくなった声。

羞恥で顔を上げられないまま、私は小さく頷いた。


「……はい」


その返事に、宰相様がくすりと笑った気配がする。


けれど私は、その顔をまともに見ることができないまま―― ただ、ジャケットをぎゅっと握り締めることしかできなかったのだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ